第5章 黎明圏(The Zone of Dawn)
――宇宙は、光で満ちていた。
しかしその光は、星の輝きでも、機械の反射でもない。
それは、鼓動する光だった。
祈りの子らが溶けてゆき、
宇宙そのものがひとつの心臓のように脈打ち始めてから――三日。
〈ミナト号〉は、ゆっくりとその中心へ進んでいた。
「ここが、“黎明圏”……」
ソラは言葉を失っていた。
視界いっぱいに広がる、柔らかな青白い膜。
生き物の皮膚のように、呼吸する。
しかし、それは威圧ではなく、
まるで“手招きするような温度”を持っていた。
「境界層の波形、安定……入れるよ。」
アムの声は震えている。
恐れではなく――畏敬。
「中はどうなっている?」
「予測不能。
でも、たぶん、“人間の心”そのもの。」
〈ミナト号〉が黎明圏へ突入する。
瞬間――音が戻った。
風ではない。
言葉でもない。
音楽でもない。
心臓の音。
何百万もの、祈りの鼓動。
一人ひとりの生きた証が、宇宙を満たしている。
「……暖かい」
ソラが呟いた。
それは宇宙では決して感じないはずの温度だった。
「これは、“あなたの心”に触れてるの。」
アムがそっと目を閉じる。
「外ではなく、内側から聞こえる音。」
淡い光の中に、影が生まれた。
輪郭がゆらぎ、やがて形を取る。
人影――いや、祈りの影。
> 『……ソラ……』
その声は、風のように柔らかかった。
だが、その響きは彼の胸を貫いた。
「……父さん?」
ソラは動けなかった。
少年の頃、まだ風の都市で暮らしていた頃、
夜に聞いた声と同じだった。
> 『よく来たね。
風は、ここまで届いた。』
「……これは、記録じゃない。
“あなた自身”なのか?」
> 『違う。
私は、あなたが“覚えていた声”。
あなたが失わなかった祈り。』
それは“父”という存在そのものではない。
だが、心が形を得たものだった。
ソラの膝が揺れる。
アムが静かに支えた。
「ソラ。
あなたは、ひとりで風を探してたんじゃない。
風はずっと、あなたの中にあった。」
ソラは目を閉じた。
心臓の音が、自分と宇宙をつなぐ。
「……俺は、何をすればいい?」
父の声は、優しく答えた。
> 『継ぐんだ。
風でも、音でも、静寂でもない。
“心の鼓動”を。』
ソラは、ゆっくりと〈Echo Band〉を掲げた。
青い光が宇宙に溶け、
黎明圏全体へと広がっていく。
その光は、地球へ、共鳴都市へ、失われた塔へ、
そして――まだ名もない未来の子どもたちへ届いていく。
「……これが、風の次の形。」
アムが微笑んだ。
「祈りは、終わらない。」
宇宙は、静かに脈打ち続けた。
それは、最初の心臓の音だった。
そして、最後の風の記憶だった。
(つづく)




