第4章 静寂の継承(Legacy of Silence)
――祈りの子らが消えてから、六時間。
〈ミナト号〉の航路は、依然として不安定なままだった。
残されたのは、光の波形データ。
だが、それは“言葉でも、音でもない”。
ただ、心臓の鼓動のように一定のリズムで、
沈黙の中を打ち続けていた。
「……まだ動いてるな」ソラが呟いた。
「ええ。これは“信号”じゃなく、“鼓動”よ」アムが答える。
「鼓動?」
「そう。データの周期が、まるで生体反応みたいなの。
静寂を“維持する”ために動いてる。」
「維持……?」
「祈りの子らは消えたんじゃない。
“静寂”という形で、この宇宙に溶けたの。」
ソラは眉を寄せ、船内の計測器に目をやる。
確かに、微細な波が一定の周期で揺れている。
まるで、宇宙が息をしているようだった。
「……静寂が、命?」
「うん。
たぶん、祈りが進化した“最終形”なんだと思う。
音も風もない。でも――心だけが残る。」
アムは静かに続ける。
「それを、“静寂の継承”と呼ぶのよ。」
そのとき、モニターが微かに光を放った。
データ波形が突然変化し、人の声が混じり始めた。
> 『……記録者へ……ここは、終わりではない……』
「誰の声?」
「不明……でも、この波形は……」
> 『……静寂を恐れるな……
音が消えた先に、次の祈りがある……』
アムの目が震える。
「これ、ヴァン博士の声……!」
「博士? そんなはずは……」
> 『……共鳴は永遠ではない。
だが、“沈黙”もまた、ひとつの共鳴だ。
風が止む時、人はようやく、自分の心を聴ける。』
ソラは息をのんだ。
「……博士は、“沈黙を継承せよ”と言っているのか?」
「うん。つまり――“祈りの終わり”を恐れるな、ってこと。」
彼らの手元の端末が青く光る。
〈Echo Core-R2〉の内部から、淡い立体映像が浮かび上がった。
そこには、かつてのヴァン博士の姿が映っていた。
白髪を風に揺らし、優しい眼差しでこちらを見ている。
> 『リアン、リサ、そしてその子孫たちへ。
私たちは、風の記録を残した。
だが、記録はやがて“静寂”に帰る。
それを恐れず、受け入れなさい。
沈黙とは、消滅ではない。
“心が完全に共鳴した瞬間”――それが静寂だ。』
ソラはアムを見る。
アムの頬を、涙が伝っていた。
「……これが、博士の最後の祈りだったんだね」
「うん。
静寂って、終わりじゃなくて“完成”なんだ。」
船体が振動する。
外の空間に、淡い光が広がる。
祈りの子らの残響――それが、星屑のように形を変えていく。
「……これ、まるで……心臓みたいだ」
「ええ。博士の言葉が引き金になったのね。」
やがて、空間全体がひとつの巨大な心臓のように鼓動を始めた。
それは宇宙そのものが呼吸しているような感覚。
音はない。だが、“脈”があった。
> 『――これが、“祈りの心臓(Resonant Heart)”。
風の果てに、沈黙の命が生まれる。』
「……アム、もし博士の言う通りなら」
「うん。
祈りは風を超えて、“宇宙の呼吸”になったの。」
「じゃあ、俺たちは――何を継ぐ?」
「“静寂”よ。
祈りの次に生まれた命、それを守るために。」
アムが〈Echo Band〉を掲げる。
青い光が天へと昇り、宇宙全体に波紋が広がる。
沈黙が響いた。
音も言葉もないのに、確かに伝わる“心の共鳴”。
それが“風”の次に訪れた新しい命の形――
静寂そのものが、生命の記録となった瞬間だった。
ソラは目を閉じた。
その胸の奥で、博士の言葉が反響する。
> 『沈黙は、終わりではない。
それは、心が完全に響き合った証。』
ソラがそっと呟く。
「……風の終わりに、音がある。
音の果てに、静寂がある。
そして――その静寂の中に、また“風”が生まれる。」
アムが頷く。
「それが、“生命の循環”なんだね。」
〈ミナト号〉の外で、宇宙が淡く光る。
まるで“心臓銀河”のように脈動する星の群れ。
風のない世界に、確かな“息づかい”が生まれていた。
(つづく)




