第1章 無音の空(Silent Horizon)
――風が、聞こえない。
ソラは、静かなコックピットの中で目を開けた。
船内時計が刻む微かな電子音だけが、生命の証のように響く。
彼の前には、漆黒の宇宙。
星々が散らばり、光だけが存在していた。
「……また、無音領域に入ったな」
通信席から声がした。
淡い金髪の女性――アムが、淡々とパネルを操作している。
「Echo送信機、反応は?」
「ゼロ。風の粒子密度が低すぎる。
ここでは、祈りが“散らばる”だけ」
「やっぱり……。宇宙には“風”がないんだな」
ソラはヘルメット越しに息を吐く。
その呼吸音さえ、すぐに無音の中に吸い込まれていった。
「でも、聞こえるでしょ?」アムが言う。
「何が?」
「“自分の音”。」
ソラは目を細めた。
自分の鼓動。
呼吸のリズム。
そして、心臓が打つたびに、わずかに震える船体。
「……確かに。
宇宙は無音じゃない。
“内側”には、まだ音がある。」
「そう、それが“残響”。」アムが微笑んだ。
「エコー計画は、外へ響かせるだけじゃない。
“中に残る音”を、記録することでもあるの。」
「内側の……祈りを?」
「うん。
たぶんね、風が消えたあとも、
人の心は、ちゃんと“鳴ってる”んだよ。」
モニターに光が走る。
外宇宙から、信号が一つ。
> 【信号受信:共鳴都市起源。送信者不明】
「……誰だ?」
「旧型の〈Echo Band〉を使ってる。
解析開始――」
ノイズ混じりの音声が流れた。
> 『……風……届いて……?』
『……地図……描き……続けて……』
ソラの手が止まった。
その声は、どこか懐かしい響きを持っていた。
「これ、まさか……」
「“地上の残響”よ」アムが言う。
「百年前の祈りが、まだ宇宙を漂ってるの」
「祈りは、消えない……」
「うん。たとえ風がなくても、
“想い”が光を揺らすんだよ。」
ソラは静かに席を立ち、船窓に手を触れた。
外の星々が、まるで誰かの声のように瞬いている。
「……この音を、記録しよう。
風がなくても、祈りが響くことを証明したい。」
「了解、記録モード開始。
“人類最後の共鳴記録”――スタート。」
船の外に光が広がる。
無数の粒子が青い軌跡を描き、
音のない宇宙に、確かな“残響”を刻んでいく。
それは風ではない。
でも、確かに“生きた音”だった。
> 『――風の果てに、まだ声がある。』
(つづく)




