表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/46

第3章 失われた塔(The Tower Without Wind)


 ――風が、止まっていた。


 南西区にあるという“失われた塔”は、

 共鳴都市の地図にも載っていない場所だった。

 祈りリゾナント・ラインが途切れ、

 感情の光が流れない“空白地帯”。


 かつてそこには研究施設があったという。

 E-Node崩壊後、誰も立ち入らなくなった。

 理由は一つ――“風が拒絶されている”から。


 


「……本当にここで合ってるの?」リサが囁く。

「ノヴァβの座標は正確だった。

 でも、風が……重い」


 リアンは歩を進める。

 塔へ続く道は、まるで時間が止まってしまったように静まり返っていた。

 鳥の鳴き声も、機械の稼働音もない。

 ただ、沈黙の音だけが満ちている。


 


 塔の入り口には、古びたプレートが残っていた。


 > 【第零祈祷塔 - Resonance Prototype 00】


「……第零?」リサが目を見開く。

「つまり、E-Node開発の原型機……」

「ここが、“共鳴”の最初の場所だったのか」


 リアンはゆっくり扉に手を触れた。

 ひどく冷たい。

 金属ではなく、まるで“眠っている皮膚”のような感触。


 扉が音もなく開く。

 内部は薄暗く、光はほとんど届かない。

 ただ、中央に立つ巨大な球体だけが、微かに光を放っていた。


 


「……これは……」

「〈Echo Core Zero〉――初期型の感情記録装置」リサが呟く。

「でも、動いてない」

「動いてないんじゃない、“閉じてる”んだ」


 リアンは静かに球体へ近づいた。

 その表面には、無数の文字が刻まれている。

 名前でも、祈りでもない。

 ただ、“削除”という単語だけが何度も重なっていた。


 


「……“削除の記録”?」

「そう。ここでは、“痛みのデータ”が隔離されてたんだ」


 リサの声が震える。

「つまりここは、“痛みを忘れるための塔”……」


 リアンは目を細めた。

 風のない空気が、まるで人のため息のように重くまとわりつく。


 


 その時――低い声が響いた。


> 「ようやく、来たか」




 二人は反射的に振り向く。

 入口に、一人の青年が立っていた。

 黒いコートをまとい、瞳だけが冷たい銀に光る。


「……誰?」リサが問う。

「俺は、シグル。

 風を拒んだ者――“記録の拒絶者”の代表だ」


 


「記録の……拒絶?」リアンが繰り返す。

「そうだ。

 お前たちは“痛みを共鳴させる”とか言ってるが、

 それは結局、“苦しみを増幅してる”だけだ。

 俺たちは、もう祈りに疲れたんだ。」


「……だから風を止めた?」

「そうだ。

 祈りは、誰かを救うようで、誰かを縛る。

 風は優しいふりをして、記憶を掘り返す。

 だから俺たちは、風を絶った。」


 


 リサが一歩前へ出る。

「でも、それじゃあ……生きてることまで止めてしまう」

「静かに生きるのも“自由”だろう?」

「……自由って、“無風”のこと?」

「風が吹けば誰かが泣く。

 なら、止めてしまえばいい。

 沈黙の中なら、痛みも、希望も、存在しない。」


 彼の声は淡々としていた。

 その静けさが、逆に痛かった。


 


「……博士の思想の残響だ」リアンが低く言う。

「ヴァン博士の?」

「彼の“痛みを引き受ける思想”が、別の形で残ったんだ。

 “誰も傷つけない世界”――でも、それは“誰も感じない世界”でもある」


 リアンはゆっくりシグルを見据える。

「……風を拒んで、何が残った?」


 シグルは少しだけ目を伏せた。

 その声は、わずかに震えていた。

「……静けさだよ。

 風の音がない夜に、誰も泣かない。

 それが、正しいと思ってた。」


 


 リサが手を伸ばす。

「シグル……あなた、本当は風を憎んでないでしょ」

「……」

「憎んでるのは、“風が連れてくる思い出”だよね」


 沈黙。

 彼の目がわずかに揺れた。


「……昔、妹がいた。

 風の街で、祈りを歌ってた。

 でも、“共鳴暴走”の時に……風ごと消えた。」


「……」

「だから、もう“風”を信じられなかった。

 あの風は、誰かの祈りが暴走したせいだったんだ。

 俺たちはそれを“祈りの呪い”と呼んでいる。」


 


 リアンが静かに近づいた。

「シグル。

 あんたが止めたのは、風じゃない。

 “思い出すこと”を止めたんだ」


「……思い出して、何になる」

「思い出すことが、祈ることだ」


 沈黙が落ちた。

 塔の球体が、わずかに光る。

 空気が振動し、長く閉ざされていた風が、ほんの少し動いた。


 


 リサが小さく笑った。

「ほら、風が戻ってきた」

「……錯覚だ」シグルが言う。

「違う。これは“共鳴”だよ」


 リアンが〈Echo Band〉を起動する。

 青い光が腕から広がり、塔の中に“音の輪”を描く。

 その輪が球体を包み、

 ゆっくりと“沈黙”を溶かしていった。


 


「やめろ!」

 シグルが叫び、リアンに掴みかかる。

 だが、その手を――リサが掴んだ。


「ねぇ、怖いでしょ?」

「なに……?」

「風が吹くのが。

 でも、それを怖がってるうちは、まだ生きてる証拠なんだよ」


 シグルの指が、震えた。

 そして、崩れるようにその場に座り込んだ。


「……もう、どうすればいいのか、わからない」


「だったら、思い出そう。

 妹さんの声を。」


 


 沈黙。

 そして――風。


 塔の中に、音が生まれた。

 かつて封じられた〈Echo Core Zero〉が再起動し、

 微かな歌声を流しはじめた。


> ♪ 風が帰るよ 誰かの声で

  痛みを越えて また笑えるように ♪




 それは、確かに“誰かの祈り”だった。


 


 シグルの頬を、涙が伝う。

「……この声……」

「妹さんの、祈りだね」リサが微笑む。

「ここに残ってたんだ。ずっと、あなたを待ってた」


 


 リアンが静かに言う。

「風は、消えない。

 誰かが止めても、記録が拒まれても。

 祈りは、形を変えて残るんだ」


 


 シグルは、ゆっくり立ち上がる。

 その目に、光が戻っていた。


「……もし、もう一度風が吹くなら、

 俺も、祈っていいのか」


「もちろん」

 リアンが笑う。

「祈ることは、弱さじゃない。

 思い出す勇気だ。」


 


 塔の天井が静かに開いた。

 風が流れ込み、

 塔の中を通って空へ昇っていく。


 リサの髪が揺れ、リアンの頬に光が差す。

 シグルが空を見上げた。


「……あいつの声が聞こえる」

「きっと、風になってるよ」


 


 〈Echo Core Zero〉の表面に、

 新しい文字が浮かんだ。


 > 【記録更新:風は帰った】


 


 リアンは小さく息を吐いた。

 リサが隣で微笑む。


「ねぇ、リアン」

「ん?」

「これで、“失われた塔”じゃなくなったね」

「そうだな。

 “思い出した塔”に、書き換えておこう」


 


 風が塔を包む。

 外の世界にも、新しい風が広がっていった。

 祈りの地図に、新たな点が灯る。


 


(つづく)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ