第2章 共鳴都市(Resonance City)
――風の街は、音で動く。
リアンたちの暮らす「レゾナンス・シティ」は、
旧E-Node群の基盤を再利用して築かれた共鳴都市だった。
地面の下には、無数の“祈り線”が走り、
人々の感情を光と音に変換して街のエネルギーにしている。
風が吹けば音が鳴り、笑えば街灯が明るくなる。
泣けば――空が、優しく色を変える。
「……つまりさ、感情の波を電力にしてるってこと?」
ルカのように明るい声を持つ少女――リサが、
昼下がりのカフェテラスで、カップを片手に首をかしげた。
「正確には“共鳴エネルギー”だな」リアンが答える。
「怒りは衝撃波、悲しみは低周波、笑いは高周波。
それらをまとめて“風律”で変換してる」
「ふーん……つまり、落ち込む人が多いと電力不足になる?」
「そう。だから市政局では“幸福調整官”が常駐してる」
「それって、旧時代のペイル職員と同じじゃない?」
リアンの表情が、わずかに硬くなった。
「……似てるけど、違う。
彼らは“均す”ためにいた。今の人たちは、“支える”ためにいる」
「でも境界線は薄いよね」
「そうだな」
風が通り抜け、ガラス壁が小さく鳴る。
共鳴都市はいつも“音で呼吸”していた。
だがその日、街の呼吸が一瞬だけ――止まった。
――ピシ。
足元の透明な歩道が、微かに“ひび割れた”音を出した。
リサがカップを止める。
「今の、なに?」
「……風律の乱れ?」リアンが立ち上がる。
次の瞬間、街の中心塔が低く鳴った。
青い光が一瞬赤に変わり、空を流れる“祈り粒子”が逆流する。
子どもたちが泣き出し、鳥が一斉に飛び立った。
「“感情暴走”――?」
「そんな、数十年ぶりのはず……!」リサが息を呑む。
リアンは手首の装置〈Echo Band〉を起動させた。
周囲の空気をスキャンし、祈り線の波形を読み取る。
「……これは、“怒り”だ」
「誰の?」
「違う、“個人”じゃない。都市全体の……集合怒り」
都市の全域で、祈り線が赤く脈打つ。
誰かが泣いたわけでも、誰かが争ったわけでもない。
だが街の心臓部が“怒り”を発していた。
「中心塔に行く!」リアンが叫ぶ。
「止められるの!?」
「行かなきゃ、誰も止められない!」
二人は風を切って走る。
街の道が光を失い、建物の壁面に浮かぶ“感情表示パネル”が次々に赤く変わっていく。
そこに表示された文字は、ただ一つ。
> 【記録を拒否する】
リサが息を呑む。
「……“記録の拒絶”? そんなはずない、誰も――!」
「誰かが、“祈りを地図から消そうとしてる”」リアンが低く呟く。
「誰がそんなことを……」
「わからない。けど、これ、意図的だ」
中心塔〈Resonance Core〉にたどり着くと、
内部はすでに異様な静けさに包まれていた。
光の柱が一つ、黒く濁っている。
近づくと、空気が重く沈んでいるのが分かる。
「……リアン、これ、誰かが“逆祈り”を送ってる」
「逆祈り?」
「“共鳴しない祈り”。
自分だけを救う祈り、他者を拒絶する祈り」
「そんな祈り、地図に載せられない……」
その瞬間、塔の中央に青い光が瞬いた。
ノヴァの声に似た“女性の声”が響く。
> 『――識別:記録者。
アクセスを認証します。
共鳴都市の祈り構造に、異常発生。』
「……誰だ?」リアンが顔を上げる。
> 『私は、“ノヴァ・リンクβ”。
記録者セレンの祈りを継ぐ、共鳴補助体。』
「ノヴァ……?」リサが囁く。
> 『ノヴァ本体は風と融合。
私は“地上の残響”。
あなたたちに、風からの伝言を伝える。』
「伝言?」
> 『――“祈りが独りになったとき、
もう一度、地図を描き直せ”。』
リアンは目を閉じた。
胸の奥に、セレンの記録から聞いた言葉がよみがえる。
> 「地図は、祈りの記録だ。
でも祈りは、時々“狂う”。
だから描き続ける。それが、生きることだ。」
「ノヴァβ、中心塔の制御を渡せ」
> 『危険領域です。あなたは痛みを伴う』
「痛みなんて、もう世界の一部だ」
リアンは塔の心臓部に手を伸ばす。
青い光が彼の手を包む。
指先から、熱と冷たさが同時に流れた。
世界の怒りが、彼の中へ流れ込む。
その瞬間――塔の色が再び変わった。
赤から、紫へ。
怒りと悲しみの混合色。
やがて、その紫がゆっくりと青に戻る。
「……止まった?」リサが息を呑む。
「うん。でも、完全には消えてない。
これは、“誰かが仕掛けた祈りの罠”だ」
「罠……?」
「祈りを共鳴から切り離して、“歪んだ感情”を集めてる。
共鳴都市の奥――“共鳴源”に何かがある」
ノヴァβが再び声を発する。
> 『記録者リアン。
調査を推奨。ルート:南西区“失われた塔”。
そこに、“風を拒む者”がいます。』
「風を、拒む……?」リサが小さく呟いた。
> 『はい。祈りを持たない人間。
痛みを、思い出せない者。』
リアンは目を開く。
その瞳に、決意の青が宿っていた。
「行こう。
“祈りのない場所”があるなら、そこからやり直す。」
リサが頷く。
「うん。私たちが、“風の地図”を描くんだね。」
二人の背に、塔の光が静かに降り注いだ。
風が再び動き出す。
街の音が戻り、遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた。
祈りはまだ生きている。
だから、描く。
祈りが、途切れないように。
(つづく)




