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第5章 天空の梯子(The Ladder to the Sanctuary)


 ――風が、真上から吹いていた。


 灰域の丘を三つ越えた先、

 地平線の向こうに、黒い塔が見える。

 それは、まるで空を支える“柱”のようにそびえ立ち、

 周囲の廃墟を押し黙らせていた。


 古い鉄骨、風化した階段。

 塔の中腹には、雲に溶けるように伸びる構造物――

 “昇降路”らしきものが残っていた。


 


「ねぇ……あれ、本当に登るの?」ルカが引きつった声で言う。

「登るしかない」セレンが淡々と答える。

「いやいや、見た? ボルト、錆びてるよ? 信頼度ゼロ!」

「登る前から信頼してどうする」

「落ちたら死ぬの!」

「登らなくても、何も変わらない」

「……セレン、それ一歩間違えたら名言っぽいけど死ぬ覚悟の台詞だよ?」

「名言かどうかは生き残ってから判断する」

「真顔で言うのやめて!」


 


 ユナは小さく笑った。

 風の音に混じって、塔の中から金属のきしむ音が響く。


「ここが“祈りのエレベータ”。

 昔は、天と地をつなぐ通路だったって伝わってる」

「“祈り”で動くって、本当に?」

「たぶん、機械的には“信号”。でも、意味は変わらない」

「信号を送る……何で?」

「これ」


 ユナは、胸元の星瓶を掲げた。

 青い光が風を吸い込み、塔の鉄骨を撫でていく。

 その瞬間、塔の表面が淡く光った。


「反応した……?」セレンが眉を寄せる。

「ノヴァの記録片が共鳴してる」


 


 足元の地面が微かに震えた。

 塔の下部から、砂に埋もれていた円形の床が露出していく。

 古い金属板、中央にはかすれた刻印――


 > E-Node Sanctuary – Access Ladder β層


 


「……ほんとにあったんだ」ユナの声が震えた。

 風の音が少し変わる。

 遠く、機械の稼働音に似た低い唸りが響く。


 


「これが“梯子”か」

「階段っぽくないけどね」ルカが覗き込みながら言う。

「むしろ“柱の底”だ」

「底から空に? 逆さエレベータ?」

「論理的には昇降装置。感情的には……怖い」

「やっぱりセレンも怖いんじゃん!」

「怖いけど、行く」

「またそれ!」


 


 ユナが二人を見た。

「……揺れが、入口を開く」

「“揺れ”?」セレンが反復する。

「ノヴァが言ってた。“笑いでも、恐れでも、祈りでもいい”って」


 ルカが手を上げた。

「じゃあ、私の出番か!」

「何する気だ」セレンが冷ややかに問う。

「揺らすよ! テンションで!」

「テンションで梯子が動くわけ――」


 その瞬間、ルカが全力で叫んだ。


「うおおおおー! 痛みも恐怖もぜんぶまとめてエレベータパワーー!!!」


 塔が、鳴った。

 低く、唸るように。

 まるで“笑い声”を真似したような音だった。


「……動いたんだけど」セレンがぽつり。

「私、やっぱり才能あるかも」

「たぶん方向性の問題だ」

「でも動いたんでしょ!?」

「否定できないのが悔しい」


 


 床の中央に、光の輪が生まれる。

 青白い粒子が渦を描き、風の流れが真下から立ち上がる。

 まるで空気そのものが、下から押し上げてくるような圧力。


「これ……昇る力だ」ユナが息をのむ。

 星瓶の光が強くなり、ユナの頬を照らす。


 ノヴァの声が風の中に混ざった。


> 『――合図、成功。

 梯子は、記録の座標を指す。

 ただし、“痛みを忘れた者”は進めない。』




 


「痛み……」

「つまり、〈ペイル〉が作動してたら拒まれる」セレンが言う。

「なら、私たち三人は……」

「行ける」ユナが微笑んだ。

「ちゃんと、痛みを知ってるから」


 


 三人は輪の中央に立った。

 風が渦を巻く。

 金属板の下から青白い光が伸び、足元を包み込む。

 次の瞬間――身体が浮いた。


 


「うわぁぁぁあ!?」

 ルカが半分悲鳴、半分笑いの声をあげる。

「ちょ、セレン、これ高速っ!」

「手を離すな!」

「離したらどうなる!?」

「笑って死ぬ!」

「イヤだぁぁぁ!!」


 ユナは目を閉じ、風の音に身を預けた。

 昇る光は、塔の内側を駆け上がり、

 まるで空そのものを“押し上げる”ようだった。


 


 ――そして。


 ふっと、重力が消える。

 光がやんだ。


 三人の足元には、雲。

 白い霧のような地面が広がり、

 その中央に、小さな浮遊台があった。


 


「……ここが、“空の中”?」

 ユナの声は震えていた。


「天空の……サンクチュアリ」セレンが呟く。

 遠くに、輪の形をした構造物が浮かんでいる。

 都市のものとは違う。

 透明で、脈動している。

 まるで“心臓”のように。


 


「うわ……景色、反則レベル……!」

 ルカが感嘆の声を漏らした。

「ここ、落ちたらどうなるの?」

「永遠に降下。痛みの向こうまで」セレンが即答する。

「ちょっと怖い例えやめて!」


 


 その時、青い光が空間を満たした。

 ノヴァの声が、風の中で響く。


> 『――ようこそ。記録の梯子の先へ』




 光が粒になり、空間に浮かび上がる。

 無数の文字、映像、声。

 それは、人の“記憶”だった。


 笑い声、祈り、嘆き、名前。

 かつての人々の心が、青い波のように漂っている。


 


「……これ、全部、記録?」セレンが呟く。


> 『うん。痛みを“保存”した場所。

 ハルモニアはこれを“削除”しようとしている。

 幸福を保つために、心の“速度”を均すために』




「削除って……記憶を?」


> 『ええ。E-Nodeが完全稼働すれば、

 灰域も、祈りも、痛みも、“過去”にされる』




 ユナが息を詰めた。

「……だから、私たちがここに?」


> 『そう。あなたたちが、この記録を“思い出す側”になる』




 


 ノヴァの声が一瞬、震えた。

 風が光をかき消し、短くノイズが走る。


> 『――誰かが、梯子を……封じようとしてる』




 セレンが周囲を見渡す。

 雲の向こう、黒い影が動いた。


 金属の羽音。

 境界ドローン。

 それも、灰域で見たものとは違う――

 “軍用型”。


「……来たな」セレンが低く呟いた。

 ユナが星瓶を強く握る。

 ルカが小さく息を吸った。


「セレン、どうする?」

「祈れ」

「え?」

「祈りは、力だろ」

「……はいはい、了解、“祈りモード”入ります!」


 ルカは両手を胸の前で組み、目を閉じた。

 その姿を見て、ユナが微笑む。


「祈りって、形があるんだね」

「形がなくても、届くよ」セレンが答える。


 風が再び渦を巻く。

 ノヴァの声がかすかに戻る。


> 『……セレン、ルカ、ユナ。

 記録は、風より早く消える。

 だから――覚えて。』




 


 三人の足元から、青い光が再び立ち上がる。

 まるで彼ら自身の“記憶”が反応しているようだった。

 塔の上層、E-Node Sanctuaryへの光の道が、

 静かに開きはじめる。


 ドローンの影が迫る。

 だが、彼らは動かなかった。


 風が、祈りを運んでいた。


 


 “痛みを、忘れない”。


 それが、この世界で生きるということ。


 


 空が裂け、青い光が塔を貫いた。

 ノヴァの声が、その中心で――微笑んだ。


 


(つづく)

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