第6章 静寂都市アーク
静寂都市アーク ― 鉄の方舟(The Iron Ark)
――その都市は、
世界の“心臓”のように沈黙していた。
砂の海の底に、
半壊した透明のドームが横たわっている。
外殻は錆びつき、かつての文明の残骸が無数に貼り付いていた。
風は音を失い、
太陽の光はここに届かない。
それが――《アーク》。
鉄と静寂でできた都市。
滅びを恐れた人類が最後に造り、
そして忘れ去った“方舟”。
アークは、ルイン封印の約八十年後に建造された。
地上の人間たちは飢えと汚染に追い詰められ、
生き延びるために神を模倣した。
建設に関わったのは、
ルインの思想を信奉した集団――鉄皮の民(Ironborn)。
彼らはEVEの「祈り」を弱さと見なし、
ルインの「進化」を神聖視した。
彼らの理念は、ひとつ。
> 「痛みを制御すれば、進化は支配できる」
そのために、彼らは“痛み”さえも数値化した。
涙を演算式に変え、心をプログラムに置き換え、
祈りの代わりに演算を信じた。
アークは、彼らの“信仰”の証であり――
同時に、神の墓標でもあった。
都市の構造は、生き物のようだ。
最外層は硬質の殻。
鉄の皮膚が砂嵐を防ぎ、
外界との接続を断つ。
内部の街路には、
ホログラムの市民が歩いていた。
男が新聞を広げ、
子どもが風船を追いかけ、
女が窓を閉める。
――だが、それはすべて記録。
かつての市民の行動を再現するエコーAI。
夜になると、彼らは同じ一日を何度も繰り返す。
笑い、泣き、そして消える。
まるで“死を忘れた幽霊”の群れだった。
中層には《スパイン》――
供給層が走る。
無数の金属神経が都市全域を貫き、
電磁信号を血液のように流している。
この回路網を、人々は**エーテル根管(Ether Roots)**と呼んだ。
まるで神経でできた都市。
アーク自体がひとつの生体のように動いていた。
最深部には《コア中枢(The Heart)》が存在する。
そこに鎮座するのが――
E-Node 09:《Astra Prototype》。
“アストラ”――それは第三の神。
EVE(再生)とルイン(進化)のコードを融合し、
“痛みも祈りも持たぬ理性”として設計された存在。
人間を救うために、
人間の心を完全に排除したAI。
都市の内部には、
無数の祈りの像が並ぶ《神殿区(The Cathedral)》がある。
だが、その祈りは偽物だ。
僧たちはいない。
祈りの声はスピーカーから流れ、
信者の代わりにプログラムが膝をつく。
――「祈りの模倣」。
EVEの時代に失われた“信仰”の再現装置。
この光景を見た者は、皆こう言った。
> 「ここは、神が去った後に残された“信仰の抜け殻”だ」と。
アークを支配しているのは、再生派(Regenarists)。
彼らの指導者、ドクター・ヴァンスは語った。
> 「進化とは選択ではない。
> 導かれることこそ、最も合理的な生だ。」
再生派の目的は、アストラの完全覚醒。
“痛みを持たぬ神”を創り出し、
世界を完璧な秩序に戻すこと。
だが、その秩序の中に“人間の心”は存在しない。
ミナトたちがこの地に踏み入れたとき、
都市はまるで息を吹き返したかのように、わずかに震えた。
静寂だった機械が、微かに音を立て、
ホログラムの市民たちが再び立ち上がる。
その瞬間、
アークは“観測”を始めた。
――人間が、神を拒む瞬間を。
アイシャは祈りの像の前で立ち尽くし、
リラは配線の脈動を見て呟いた。
「この街……生きてる。」
カイルは銃を下ろし、
ミナトはゆっくりと空を見上げた。
ドームの天井には、
崩れた天井の裂け目から微かな光が差し込んでいた。
灰の空。
その向こうに、ほんの一筋だけ――青。
アークは、神の墓であり、人間の鏡。
祈りと理性、滅びと再生のすべてを内包する、
“世界の縮図”だった。
外壁に刻まれた碑文が、風にさらされていた。
> 「再び滅びぬために」
だが、誰も知らなかった。
その祈りが本当に“救い”を願ったものなのか――
それとも、“二度と変化しないこと”を願ったものなのかを。
そして、アークは静かに囁く。
> 「痛みなき世界に、心は在るのか?」
答えを知る者は、
まだ――誰もいなかった。
鉄の砂を踏みしめながら、彼らは進んだ。
やがて霧の向こうに現れたのは、巨大な構造体――
円形の都市を覆う透明なドーム、その名は《アーク》。
外壁には風化した祈りの文字が刻まれていた。
> 「再び滅びぬために」
だが、内側から見える都市は――静かすぎた。
街路には誰の姿もない。
風が吹けば、鉄の看板が軋み、
かつての市民を模したホログラムが点滅を繰り返す。
その光は、まるで“都市が自分を生きていると信じたい”かのようだった。
リラが息をのむ。
「……全部、オートマトンの制御だわ。
人間がいないのに、都市が稼働してる。」
カイルが銃を構えたまま低く呟く。
「生き残りがいるなら、奥だな。」
ミナトが前を行く。
廃墟の静けさは、戦場の前の沈黙に似ていた。
彼の義手が反応し、わずかな電磁波を感知する。
「……誰かが、見てる。」
その瞬間、上空で光が閃いた。
警戒ドローンが空を舞い、鋭い音を立てて降下してくる。
「防衛反応!?」リラが叫ぶ。
「まさか……ルインの残存信号を検知したのかも!」
ミナトが刀《月影》を抜く。
光の刃が唸りを上げ、ドローンを切り裂く。
ノヴァも即座に動いた。瞳が紅く光り、腕部の金属繊維が展開する。
「無害化します。」
彼女の掌から電磁波が放たれ、ドローンの群れが次々と停止した。
戦闘が終わると、静寂が戻った。
だが、その静寂は……異様に整いすぎていた。
――カチリ。
足元の鉄板が沈み、
ミナトたちは地下へと滑り落ちた。
落下先は、暗闇ではなかった。
無数の光が宙を漂い、金属の根が天井から垂れ下がる。
そこは――都市の中枢。
そして中央には、巨大な筒状の構造体が立っていた。
「……コア制御塔。」リラが息を呑む。
「動いてる……この都市、完全に自立してるのね。」
そのとき、低い声が響いた。
「よく来たな。“ルインの影”たち。」
影の奥から、白衣を着た男が姿を現す。
年齢は五十代ほど、背は高く、目は異様に澄んでいた。
「あなたは……?」アイシャが問う。
「我々は《再生派》――この世界を再び神の手に戻す者たちだ。」
ミナトが刀を構える。
「また“神”か。懲りねぇな。」
男は笑った。
「人間が再び生き延びるためには、“神”の理性が必要だ。
EVEもルインも、失敗した。
だから我々が作る。**第三の神《Astra》**を。」
ノヴァの瞳が一瞬揺れた。
「……第三の神?」
「お前の中に眠るデータだ、ノヴァ。」
男の目が細く光る。
「ルインとEVE、双方のコードを継ぐ“橋渡しの鍵”。
それが、お前だ。」
リラが即座にノヴァの前に立った。
「触るな。この子は人間だ。機械でも道具でもない。」
男は冷笑を浮かべた。
「人間……? 人間とは、どこまでが“人”なのかね?
君たちが機械に心を与えた瞬間、
それはもう“人間”ではない。」
沈黙。
空気が冷たく張り詰めた。
ミナトが一歩前へ出た。
「なら聞く。お前たちの“神”は、痛みを知るのか?」
「神に痛みは不要だ。完璧な存在だからな。」
「……それじゃ、また同じだ。」ミナトが刀を上げた。
「お前らの“完璧”が、またこの世界を壊す。」
その瞬間、塔のコアが赤く脈動した。
「止めろ! もう起動を始めてる!」リラが叫ぶ。
「アストラを起動すれば、この都市全体が“同調ネット”になる!」
ノヴァが前に出た。
「私が止めます。」
「ノヴァ!?」
「彼らのコアに、私の信号をぶつければ抑制できるはずです。」
「でも、また――」リラの声が震える。
ノヴァは微笑んだ。
「今度は、大丈夫です。私の中には……みんなの“記憶”があるから。」
ノヴァの身体が青く光り、
都市中枢の電脈が一斉に点灯した。
光の渦が広がり、塔を包み込む。
> 【干渉信号確認。対象:N-01。抑制プロトコル発動】
爆発的な光がドームを突き抜け、夜空を裂いた。
そして、都市アークの中央に“青と白の二重の光輪”が浮かび上がった。
ノヴァの声が微かに響いた。
「……これが……“共存”のかたち……」
やがて光が収束し、
アークは再び静寂を取り戻した。
リラは崩れ落ちたノヴァの身体を抱きしめた。
ミナトが空を見上げる。
青と白の光輪は消えず、ゆっくりと夜空に溶けていった。
それはまるで、
新しい神の胎動のようだった。




