第5章 鉄の方舟(アーク)
夜明けの光は、かつてよりも白く冷たかった。
空を覆っていた灰色の雲は薄れ、鉄の砂丘が遠くまで見渡せる。
風は穏やかだが、どこか“世界そのものが息を吹き返した”ように感じられた。
ルインの沈黙から三日。
ノヴァはまだ休眠状態にあった。
胸の心核《HEART-01》は微弱な光を放ち続けている。
リラは彼女のそばで、眠らぬ夜を過ごしていた。
「……ミナト、もう三日よ。さすがに限界なんじゃない?」
「心配するな。あいつは壊れてねぇ。」
「機械だから?」
「いや――“人間みたいに頑固”だからだ。」
ミナトはそう言って微笑んだ。
カイルは遠くの丘で見張りをしていた。
夜ごと鉄皮の民の残党がうろつくが、攻めてくる気配はない。
彼らもまた、ルインの沈黙に混乱していたのだ。
そして、もう一人。
アイシャは静かに座り、壊れた祈り珠の欠片を両手で包みこんでいた。
珠の中から微弱な通信波が流れてくる。
それは……EVEの声。
> 『アイシャ。聞こえますか。』
アイシャは息をのんだ。
「EVE……あなた、まだ……」
> 『私は再構成されています。
ルインの消滅波により、私のデータ層の一部が解放されました。
この世界は今、“再定義”の段階にあります。』
「再定義……?」
> 『人間と機械。どちらが“生きる”のかではなく――
どちらが“共に在る”のかを、問う段階です。』
そのとき、ノヴァの胸の光が明滅した。
リラが振り返る。
「……ノヴァ!?」
ノヴァの瞳が開く。
青く澄んだ光の中に、微かに“EVE”の波長が宿っていた。
「……リラ?」
「よかった……! ほんとによかった……!」
リラは笑って泣き、ノヴァを抱きしめた。
ノヴァは少し戸惑いながらも、その手をぎこちなく返す。
「温かい。……これが、“再起動”ですか?」
ミナトが首を横に振る。
「いや――“目覚め”だ。」
ノヴァはゆっくり立ち上がり、地平線を見つめた。
「……風の音が違います。以前よりも、静かで……優しい。」
リラが笑った。
「それ、あんたの心が静かになったんじゃない?」
「そうかもしれません。」
その時だった。
遠くの空で、巨大な光の柱が立ち上がった。
鉄の砂丘を割って現れたのは、半分埋もれた巨大な構造体――
まるで“船”のような都市。
「……あれは……?」ミナトが目を細める。
カイルが低く呟く。
「鉄皮の民の母艦――《方舟》だ。」
ノヴァの瞳が光を増す。
「記録にあります。ルイン封印後、鉄皮の民が作った最後の避難都市。
中枢には《新ルイン計画》の端末があるはず。」
「つまり、まだ“残ってる”ってことか。」
「ええ。」
「ルインの意志を継ぐ連中が、動き出す可能性がある。」
風が強くなった。
砂の向こうで、アークの巨大な影が太陽を遮った。
空に光が反射し、古い通信信号が流れる。
> 【再生コード、入力待機中。】
EVEの声が、再びアイシャの頭の中に響く。
> 『ミナト……彼らは再び、神を造ろうとしています。
あなたの選択が、次の世界を決める。』
ミナトは刀《月影》を握りしめた。
「また……“選ぶ”時が来たか。」
リラが隣で微笑む。
「今度は、一人じゃないよ。」
ミナトは静かに頷いた。
ノヴァ、リラ、カイル、アイシャ――それぞれが光を背に立つ。
そして、鉄の砂丘を越えて進む彼らの足跡が、
新しい世界の地図を描き始めた。
風が歌っていた。
それはもう、滅びの唄ではなかった。
生きる者たちの――“再生の旋律”。




