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【BL】政略結婚のはずが恋して拗れて離縁を申し出る話

作者: にしざわ藍

 



 自由に恋愛ができる者と、ままならない者がいる。相思相愛の大恋愛がしたいかといえばそうでもなくて、恋に落ちるような出会いすらないままこの歳になってしまった、と。だからといって僕の中に悲壮感があるわけじゃなかった。

 伯爵とは名ばかりで古くから続いているが広い領地はあれども権力や太い人脈を持たない伯爵家。僕、フィリベルト・ローゼンハイムの生家のことだ。卑下しているわけじゃなくて、そういったことにはこだわらない我が家。平穏なこの領地を僕は好ましく思っている。


 しっかり者の姉とかわいい妹、僕は四男で容貌だけは整っていると幼い頃からよく言われていた。

 成長した今、姉は他家へ嫁いでいる。兄たちも領地運営や文官や騎士など手にした職が適しているようで、それぞれが忙しくしていた。そういうわけで全員の顔が揃うことは稀だった。


 ところが。ほんの数分ではあるものの、姉や兄たちが邸に全員揃った。おやまあ珍しい。僕に侯爵家から縁談の話が届いていると耳にしたようで、緊急招集がかかったのだ。

 そのようなわけでしっかりした体躯の兄たちが、居間であーだこーだと膝を突き合わせている。少々暑苦しい。


 兄①「どこでフィリベルトを見初めたんだ……学園じゃなく家庭教師をつけて学ばせていたというのに」


 兄③「たまに貴族街へ行ってただろ。そのときじゃないか?」


 兄②「いや、店を貸し切って誰とも顔を合わせないようにしていた。俺も付き添ってたし馬車から降りるときはフード付きの外套を着せていたんだがな」


 兄たちのピリピリした空気はともすれば喧嘩に発展しそうで、当人であるはずの僕が口をはさむ隙がない。

 ちなみにこうなることは予見できていたのか、姉は顔を出してそうそうに茶会へ向かう準備、妹は友人と花摘みの約束があると既に外出済。父はどなたかとお会いになるとのことだし、母は『あらあら』とこの光景を気にしている様子はなかった。


 兄①「問題は侯爵家ということだ。それで、どこのどいつから来たんだ? うちのかわいいフィリベルトに釣書を持ってきた奴は」


 兄③「ちょっと兄さん、言い方」


 兄①「あー、すまん。つい本音が」


 兄②「病弱のため伴侶の務めを果たせません、って断ればいいんじゃないか?」


 兄①「だよな。それが手っ取り早い」


 僕をおいてけぼりにして話が勝手に進んでいく。走り回れるくらい元気なのに病弱かあ……そんなことをぼんやり思いながら、最近浮かんだ新しい商品の案を兄さんに伝えられるのはいつになるやら。なんて考えていた。


 そろそろこの話を切り上げてもいいだろうか。だって、兄たちのあーだこーだはたぶん無意味だから。なにしろ……


「あのね、兄さんたち」


 兄②「フィリベルト、この縁談は俺たちが阻止するから安心しろ」


 兄①「そうだぞ」


「あのね、僕『お受けします』ってお返事してます」


 兄①「そうか、そ……はっ? なんて言った?」


「お受けします?」


 ①②③「「「…………」」」


 三人が同じ顔をして同じように固まっている。仲良しだね。そして次兄が絶叫。僕はそれより新しい商品を試作してほしい、って固まっている長兄に笑顔で提案したのだった。




 遡ること数日前。

 侯爵家を名乗る使いの者が釣書と共に来訪なさった。珍しく僕も応接室に呼ばれ、使いの方からご丁寧なアピールを受けたのだ。その際の印象は悪くなかった。驚きはしたもののお話に耳を傾け、真摯に受け止めた。


『白銀の髪に紫水晶の瞳、名はフィリベルト様とおっしゃるご令息を我が主は探しておいででした』


 その方によると、アルノルト・クラインシュミット──クラインシュミット侯爵家だという。……聞いたことがない。そんな侯爵家、あった? まずそこで僕は首を傾げた。隣に座る父と母をチラッと見てみると、僕とは違い存じ上げているのか表情からは読み取れない。特に訝しんでいる様子はなかった。僕だけが『どちらの?』と最後まで家系が思い浮かぶことはなかった。


 そのクラインシュミット侯がお探しの人物は確かに僕の容貌と違わず、名前まで一致しているとなれば人違いということはあるまい。いつどこでお会いしたのかさっぱり記憶にはないけれど。

 そもそも兄たちが過保護で心配性。僕が一人で外出することはほぼない。幼い頃、高熱で生死をさまよったことが原因だろう。未だ子供扱い。それに加えて、攫われそうになったことや、ガーデンパーティーのような場で『我が家へ来ないか』などの誘いが重なり、周りを警戒するようになってしまった。

 というわけで、作法も学問も邸で家庭教師から学ぶことになったわけだが、そこは伯爵家の名に恥じないよう僕なりに励んだ。穀潰しの四男と言われて父に恥をかかせたくないしね。読書が好きなこともあり知識だけは増えた。

 そんな僕も十八を迎え、商会で扱う品の考案を担うことに。たまたまそれらは評価を得ることができ、商会の売上へ貢献できた。どうやら商品を創り出す作業は僕に向いていたらしい。


 ああ、話が逸れてしまった。

 そういう経緯があり夜会などには行ったことはないから他家のご子息ご令嬢との交流もなく、詳しく存じ上げてはいないが、兄たち基準によると僕の顔は整っているそうだ。印象に残るらしい。だからこっそりでかけた際に、僕の気づかないところで侯爵閣下のお目に触れたのだろうと推測するしかなかった。


(これはいい機会なんじゃないかな。僕のことは気にせず、兄さんたちは結婚するなり階級を上げて任務に就いてもらいたいし。それに……)


 僕のことを探してまで望んでくれたのなら、その方の元へ行くのも悪くない。兄たち宛の釣書の存在は知っているが、僕宛てはないようだし。


 相思相愛の大恋愛に憧れているわけでも、恋に落ちてみたいわけでもない。


 けれど、こんな風に求められたのは初めてだ。いや、最初で最後の可能性だってある。

 何より侯爵家からの打診ということは余程のことがない限り断れないんじゃなかろうか。クラインシュミット侯爵家がどのような立場なのか存じ上げないが、父が僕を席に呼び、こうして話を伺っているということは、お受けするためなのかもしれない。


 姿絵には金髪碧眼の誠実そうなお姿が描かれている。実際お会いしたときに印象が変わるにしても、そこまで大きく(たが)わないだろう。


(あ、政略的な結婚というやつだったりする?)


 だとすると返事はひとつしかないわけで。こういうことは勢いと自分の直感を信じるに限る。


「光栄なことでございます。謹んでお受けしたいと存じます」


 僕が諾を伝えると、父はなんともいえないスンッと凪いだ顔をしていた。え、そういうことじゃないの? それはどういう感情の顔なのだろう。


 聞けばクラインシュミット侯は若くして爵位を継いだため、僕より七つ年上。お人柄は厳しくも優しい方で、口数は少ないかもしれないとのことだ。特に悪癖があるようには感じられず、会うことなく決めてしまったが、うまくやっていけるのではないかと思えた。


 ◇◆◇


 閣下にお会いすることなく、あっという間に三ヶ月が過ぎ、けれど婚姻の準備は滞りなく進められた。兄さんたちは父の『口出し無用』の一言で騒ぐことはなくなった。さすが父上。

 そして婚姻式の準備があるため僕は王都にある侯爵家のタウンハウスへ居を移した。それでもまだ閣下とお会いできていない。


 そのような中でも閣下のことを信じることができたのは手紙のやりとりがあり、お人柄に触れる機会があったからだ。

 婚約者であるのに未だお姿すら拝見していない。それでも届いた手紙の文面でも、タウンハウスで生活していく上でも、家令を通じて細やかに手配してくれたのだ。


『こちらが届いておりましたよ』


 例えば部屋に飾られた花。

 甘い菓子。

 本や栞。

 閣下が、僕のことを思う時間が存在している。それがわかってなんともいえないくすぐったい気持ちになった。

 日常から知れたこともある。邸の皆が主を支え、尊敬し、仕えていると伝わったからだ。慕われている当主、それが彼自身を表していた。


 手紙に『これからはアルノルトと呼んでほしい』とあって、初めて「アルノルト様」とペンを走らせたときは照れてしまった。まさか自分にこんな一面があるとは思わず、両手で顔を覆った。会えないからこそ、恋のような気持ちが育っていた。

 アルノルト様は僕が思っていた以上にご多忙のご様子だ。現在、領地で対応しなくてはならないことがおありだそうで、タウンハウスでの対面が叶ったのは、僕が移り住んで一ヶ月後のことだった。




「これでいいかな?」


「ええ、大変お美しゅうございます」


「……緊張してきた」


 僕に与えられた部屋で身支度を整えてもらう。何かあるわけじゃない。けれど、特別な日だ。アルノルト様が領地から戻られるとの知らせがあった。

 髪も衣装も気になる。普段、こんなに気にしたことはなかったのに、鏡の前で何度も確かめた。


(アルノルト様……)


 居間に移動してからも落ち着かず、淹れてもらった茶の味がよくわからない。お会いしたことがないから不安なのか、それとも期待なのか。こんな風にぐちゃぐちゃな感情は初めてだ。


 すると『アルノルト様がお着きです』とノックの後にドアが開いた。肌がピキッと引きつり緊張が高まる。

 立ち上がりそのときを待っていると姿を現した美丈夫に、僕はポカンと惚けることになった。


 姿絵詐欺。


 長身で優雅な所作に金髪碧眼。一度見たら忘れるはずがない。それくらいアルノルト様は素敵な方だった。兄たちもそれぞれ個性があって整った顔立ちをしているが、また違った存在感をを放っていたのだ。


 僕の前でアルノルト様が立ち止まった。挨拶を忘れていることに気づかず、ただじっと見つめる僕にクスッと笑いながら『フィリベルト、触れてもいいかい?』と問われる。頷いてから、そこでようやく現実に引き戻された。


「おかえりなさいませ。フィリベルト・ローゼンハイムにございます」


「おや、俺の婚約者殿は真面目だね」


 婚約者……ではあるが何しろ初めてお会いする。礼をして名乗りはしたが、アルノルト様ご本人を前にどうするべきなのかわからない。あまりにも眩くて、本当に自分で合っているのだろうかと躊躇いが生じた。

 すると僕の左手をアルノルト様が取った。手の甲ではなく、薬指に唇を寄せられる。挨拶……ではないな? え、え、えー。


「俺を受け入れてくれてありがとう」


「……っ、あの」


「こうしてやっと会えたんだ、名前を呼んでくれる? フィリー」


 僕の左手はそのまま引かれ、ぽすりとアルノルト様の腕の中に倒れ込んだ。頭ひとつ分は身長差があるだろうか。白檀のような甘さを含んだ香りに優しく抱きしめられながら、家族ではない……いや、これからは伴侶となる方に耳元で愛称を呼ばれた。容貌だけでなく声までもが艷やかで耳に心地よい。意識した途端じわじわ顔が熱くなって、彼の求めに応じるまで少し時間が必要だった。


「アルノルト様……お会いしたかったです」




 さて。お聞きしたいことや話したいことはいくつもあり、ようやくアルノルト様と共に過ごせる時間ができると思っていた。ところが驚いたことに、こんなことをおっしゃった。

 まさか。自分の耳を疑った。


『明日の婚姻式が楽しみだ』と。


 はい? 明日ですか、寝て起きたら翌日になる明日でしょうか。何も知らされておりませんでした。

 お披露目だの招待客だの、対外的なことは後日だそうで、とにかく婚姻を結んでしまいたいとのことだった。


 そういうわけでの急展開。お聞きしたいことは山ほどあるのに、アルノルト様はにこやかに部屋から僕を送り出した。

 敏腕の侍女たちに囲まれる。湯浴みからいつも以上に丁寧な施術によって磨かれ揉まれ、髪にも体にも何かを塗りたくられた。前日準備というやつだ。気づいたときには慣れない準備のせいか、僕は眠りについていた。


 翌日。朝早くからこれまた張り切った侍女たちにより、髪から何から整えられた。侯爵家から縁談の話をお受けした際、採寸などは済んでいる。アルノルト様が誂えてくださった婚姻の衣装はとても繊細なもので、刺繍や輝く飾りが縫い付けられていた。職人の手によって丁寧に仕上げられている美しいものだった。


 アルノルト様とは別の馬車に乗り一人で揺られ、着いた先は大聖堂。そこには長身に婚姻の衣装を纏っておられるアルノルト様がいらっしゃった。絵画かな。異国の王子殿下を彷彿させるような立ち姿だった。

 僕に向かって手を差し伸べている。そこに歩み寄り手を重ねると、きゅっと指先を包み込まれた。


 誰もいない。僕たち二人だけだ。

 大司教様も家族も招待客だっていない。そして僕はこの婚姻式のことを何も聞いていなかった。アルノルト様、実はサプライズ好きなのかもしれない。


「フィリー……フィリベルト。君に誓おう。永遠に愛すると」


「アルノルト様、僕も誓います。貴方を愛し続けると」


 アルノルト様が僕の左手を取る。薬指には銀色のリングが嵌められた。僕も同じようにアルノルト様の左手にリングを嵌める。

 二人で見つめ合ってから僕たちはそっと口づけた。


 二人だけで誓い合った婚姻式。

 この日、僕は初めて幸せで胸がいっぱいになるという体験をした。




 無事に婚姻式を済ませ、名を記した書類を提出して邸へ戻った。そして夜です。そうです、初夜なんです。

 僕は純潔を守っているから、この体は誰のことも知らない。知識として閨の作法は学んでいるが、なにぶん座学のみで実地はなかった。

『相手にお任せしてください。どうにかなりますので大丈夫です』

 といった具合だ。同性同士の場合、受け入れる準備をしておくとよい。そのくらい知識くらいだ。

 おそらく間違ってはいないだろうが、何しろアルノルト様のお戻りが急なこともあって準備など何もしていない。


 湯浴みを済ませ身を清め、いつもと違う香油で今夜も肌を磨かれた。それから寝台の上でアルノルト様を待っている。

 お会いしたばかりだというのに、急速に惹かれている自覚はあった。アルノルト様の顔がよすぎる。もちろん執事や侍女たちが主を尊敬していたように、アルノルト様は人として大変魅力的な方だ。本当に、僕でよかったのだろうかと戸惑うほどに。


 そういえば僕を探しておられた理由をまだお聞きしていない。どこで目にされたとか。銀髪に紫水晶の瞳という容貌は確かに僕ではあるけれど、顔が好みだからというだけで婚姻を結ぶだろうか。いやもうしてしまったけれど。そして初夜。あー。


 気を紛らわせながら覚悟を決めていると、内扉が開いた。廊下を使わずともアルノルト様の部屋と僕の部屋はドア一枚で繋がっている。いわゆる夫婦の続き部屋というものだ。いつでも訪れることができるように。


「フィリー、今日は疲れただろう」


 パタリとドアは閉まり、部屋に入ったアルノルト様は、僕の隣に腰をおろした。寝衣の姿にどうしたって意識してしまう。

 僕の頬へ伸ばされた手が触れ、それだけでビクッと反応してしまった。

 伴侶となった今、この身を差し出すことに躊躇いはない。ただ、知らない閨事への緊張から体は勝手に震えてしまう。決して嫌だとは思っていない。

 するとアルノルト様は『今夜は君を抱きしめて寝るとしよう』とおっしゃり、僕を腕の中へ抱き込んだ。横たえ僕の髪へ唇で触れ『おやすみ、よい夢を』と、目を閉じてしまった。


(えっ、このまま……何もせず?)


 伴侶としてまず最初の務めでは。これで役目が務まっているのかおろおろしていたが、アルノルト様から漂う甘い白檀の香りと体温に安心してしまい、僕はそのうち眠っていた。


 ◇◆◇


 穏やかな時間はあっという間に過ぎ、気づけば婚姻から一ヶ月が経っていた。アルノルト様は執務で留守にすることもあるが、変わらずに僕を抱きしめて眠る。

 はしたなく自分から誘っては呆れられるかもしれないと躊躇い、言葉の代わりにじっと視線を向けてみる。しかしそれでは通じないのか僕に魅力が足りないのか、額や頬へのキスはあれどもまだ抱かれたことはない。

 一度だけ恥ずかしい思いをして『抱かないのか』と尋ねたことはあるが、無理をしなくていいと気遣われてしまった。初夜に震えてしまったばかりにそれ以上せがむわけにもいかず、そのまま僕たちの白い関係は続いた。


 そんなある日。懇意にしている侯爵家から夜会に招待されたそうで、僕も出席してほしいとアルノルト様から話があった。気楽なものだから挨拶をするだけ、と。

 穏やかながらも、ものごとは簡潔に告げるアルノルト様にしてはどこかすっきりしない言い方に、何かあるのかもしれないと僕は気持ちを引き締めた。

 クラインシュミットとして出席する以上、僕に無作法があればアルノルト様の名に関わる。そのため僕は出席者のお名前やお取り扱いなさっている商品、ご興味あるもの等を把握すべく、資料へ目を通すことにした。ここのところ少し寝不足になっていたのはそのためだ。


 夜会当日。肩よりもだいぶ下まで伸びた髪は、片側を編み込んで蒼玉の髪飾りが着けてある。アルノルト様の瞳の色だ。そして選んでくださったシルバーグレーの衣装に身を包み、アルノルト様のエスコートで夜会へ向かった。もちろんアルノルト様もたいへん素敵です。


 二人並んで会場へ入る。そういえば婚姻を結んでから人前へ立つ機会がなかった。お前は誰だと思われているのかもしれない。あちらこちらから視線が集まっていることに気付く。アルノルト様が精悍で素敵だからという理由もあるだろう。僕だって見惚れたもの。御髪の金色には太陽の輝きが似合う。でも夜の気配もまたしっとりと雰囲気が変わり素敵だ。

 僕もアルノルト様の伴侶として恥ずかしくないよう努力はしてきたが、どのように見られているかはわからない。マナーはしっかり学んできたものの、夜会自体が初めてなのだ。それでも精一杯、相応しくあるよう務めるつもりだ。


(よしっ)


 僕は俯くことなく前を向き、微笑むことを心掛けた。印象は大切。特に初めてお会いする方々ばかり。

 アルノルト様と共に、ご招待いただいた侯爵閣下へご挨拶へ向かう。


「ようこそ、楽しんでいくといい。アルノルトには早く連れて来いと何度も伝えたが、なかなか頷いてはくれなくてね。こういう場でも設けなければ、会わせてくれないようだ」


「お招きにあずかり、ありがとうございます」


「お初にお目にかかります。フィリベルトにございます」


 アルノルト様に続いて、僕もご挨拶を申し上げた。柔和で優しそうな侯爵閣下だ。アルノルト様から世話になっていると伺っているが、その割に閣下への態度が素っ気ない。

 僕が礼の姿勢を正すと、アルノルト様からさり気なく腰を抱かれた。え、今ここでそんなにくっつきます?


「余計な事、言わないでくださいね。こうして連れてきましたからもういいでしょう?」


「はははっ そんなに露骨な態度を取らずとも。久しぶりだというのに相変わらずだな」


「お力添えには感謝していますが、それとこれは別です」


 ほどほどで帰らせてもらいますからね、と挨拶を切り上げてしまった。早い。しかもちょっと不貞腐れたようなお顔がいつもと違い、青年らしさが可愛いと思えてしまう。

 アルノルト様の態度を閣下は寛容に許されており、親しい間柄のようだ。その様子は友人にも親子のようにも見えた。閣下とアルノルト様の言い方は気になったが、詳細を伺うわけにもいかず、腰を抱かれたまま会場内をするする移動していった。

 あまり僕を関わらせたくないのか、アルノルト様とお話されたいご様子の方がチラチラ見ていらっしゃるのに立ち止まろうとはしない。僕でもわかる視線だ。アルノルト様だって気づいているはず。


(本当にこの場から僕を連れ出そうとしている……?)


 まさかと思いながら動きに合わせていると、さすがに挨拶のみで辞去するようなことはなく、その後、アルノルト様に伴って数人の方にもご挨拶を申し上げた。

 そのときには事前に覚えていた情報が役立ち、話題に困らずに済んだ。ちゃんと把握しておいてよかった。


 しばらくしてアルノルト様は僕を人が少ない壁際へ移動させた。直前まで歓談していた伯爵閣下の夫人もいらっしゃる。

 サッと給仕係からグラスを受け取り、僕と夫人へ渡してくれた。喉が乾いていたこともあってありがたい。ずっと気を張っていたから息をつきたいとも思っていた。


「フィリー、話をしてくるから待っていてくれるかい。夫人と一緒にいて?」


「はい。ここでお待ちしておりますね」


「夫人、フィリベルトをお願いします」


「ええ、ごゆっくり。フィリベルト様をお借りするわね ふふっ」


 込み入った話があるようで、アルノルト様が僕の髪にひとつキスをし、『すぐ戻る』と離れていった。夫人が気遣ってくださったのに、ゆっくりはしてこないらしい。僕が無作法をしないか心配なのかもしれない。気にせずどうぞお話してきてください。


 僕と夫人は手にグラスを持っている。しかもわざわざ壁に寄って。密な歓談をしているように見えれば、わざわざ声をかけられることはないだろう。

 もし近寄られたとして、雑談などは多少交わせるだろうが、僕の情報はにわか仕込み。どこで綻びが出るかわからない。できることなら話したくはなかった。

 気のせいでなければ、アルノルト様がご挨拶申し上げた方々は隣国と関わりが深い貴族家ではないだろうか……? ローゼンハイムともお取引があったような……うーん?


「フィリベルト様、お聞きしていたとおり、本当にお美しい方だわ」


「私、ですか」


「ええ。アルノルト様が紫水晶を愛でていらっしゃる、と。大切なあまり隠されてしまうんですもの。こうしてお話することができて嬉しいわ」


 夫人のお話が自分には関係ないことのように思え、何のことだかわからず、一瞬ポカンとしてしまう。


(紫水晶とは……僕のこと?)


 瞳の色が紫だから、そう言われているのかな?


「私も夫人とお会いできて光栄です」


 大仰な表し方がくすぐったい。だとしても、アルノルト様は僕のことを隠しているわけではない。ましてや誰にも会わせないというのも誤解だろう。実際はご多忙だから僕を伴って外出する時間がない。ただそれだけだ。


「ふふっ アルノルト様、諦めたのではと思いましたけど、」


 僕がこれまでの経緯を思い出していると、夫人が意味ありげにおっしゃった。そしてチラッと目線を送った先、あちらでも歓談なさっている方々がおられる。僕もそちらへ目をやった。

 そこにいらっしゃる人物を目にして、思わず驚きで固まった。


(……同じ……似ている?)


 僕とよく似た銀髪の令息。同じくらいの体躯、雰囲気も近い。と思う。ここから瞳の色まで確かめることはできないが、僕と近い色味のようにも見えた。

 にわかで社交界の知識を身につけた僕と違い、この場にそぐわしい方だと思った。歓談の輪にいることが自然で、けれど目を引くというのだろうか。華美というわけではないのに見てしまう。所作も洗練されていた。


「探し続けて見つけたのね」


「っ……あの、方は?」


「公爵家のご令息と婚姻を結ばれたマルティス様よ。アルノルト様とはとても仲がよろしくて、婚姻を結ばれたときには寂しく思われたのじゃないかしら?」


 婚姻なさって……銀髪の……

 夫人の話を聞いて、僕は納得できてしまった。アルノルト様がわざわざ僕を探していた理由が。銀髪で紫水晶の瞳、探していたのは、そういう意味で――


 どこで会ったのかわからない侯爵家からの打診。もっと慎重になるべきだった。わかっていた。何か理由があることはわかってはいたけれど、僕のことが必要なんだとばかり勘違いして。


 違った。そんなことなかったんだ。

 やはり政略結婚には気持ちなんて必要ない。求められたものを差し出すから見返りがある。そういうことなんだ。


 アルノルト様が欲しかったのは僕じゃない。彼なのだ。もう手には入らないマルティス様の代わりに、僕は乞われた。そしてローゼンハイムには侯爵家との繋がりができた。


 急に理解できた真実に、僕はいい表しようのない感情に胸が締め付けられた。おかしいな。衝撃でぐらぐらする。政略結婚ってわかっていたじゃないか。


「フィリベルト様? お加減でも?」


「待たせてごめん……どうかしたのかい? フィリー、顔色が悪い」


 そこにアルノルト様が話を終えて戻られた。こういうときこそ平静でいなければならないというのに、心配されてしまった。僕の相手をしてくださった夫人にも申し訳ない。


 アルノルト様にふさわしくあれと思っているのに、心を揺らしてどうする。きっとマルティス様なら何があろうと毅然とした振る舞いをなさるだろう。微塵も気振りなど見せないはずだ。

 僕では代わりになれない格の違いを突きつけられ、打ちのめされる。代わりの僕は本物になれない。


「少し寝不足で……休めば大丈夫です」


 絞り出してそう伝えはしたものの、アルノルト様に支えられながら辞去の断りを入れ、僕たちは邸へ戻ることになった。

 馬車の中ではアルノルト様に肩を抱かれ、体温がわかるほど近くにいるというのに、僕たちの距離はあまりにも遠いもので、切なくなった。




 婚姻の打診はアルノルト様からではあったが、彼の人柄に触れていくうちに惹かれていった。ところが求められていたのは僕ではないとわかり、このまま一緒にいてよいのか迷いが生じている。

 わかっている。これは僕だけの問題ではない。それでも。


 いくら容貌が似ていたとしても僕とマルティス様は別人である。だから同衾したってアルノルト様は手を出さなかったのだ。眺めるだけなら、会話をするだけならば、代わりになれるのかもしれないが、いざ腕に抱いてみたらその違いに萎えたのだろう。


 このまま婚姻関係を続けられるだろうか……どれだけ僕がアルノルト様に好意を抱いても、返されることのない想いだ。きっといつかは辛くなる。

 今ならこの想いを消せるのではないか。傷が深くなる前に引き返せば。婚姻を結んだといっても、体を繋いだことのない白い関係だ。形だけの婚姻だとしてもアルノルト様は僕のことを大切にしてくださった。

 けれどアルノルト様もきっと虚しさは感じていらっしゃるはずだ。だって僕は別人なのだから。それに気づいたとき、アルノルト様も傷つくことになるだろう。お互い他人であったなら……


 そうだ、離縁しよう。


 それがいい。

 思い立ったら即行動。細かいことは気にしない。僕の容貌から慎ましく謙虚な印象を思い浮かべる方もいらっしゃるらしいが、実は頑固で突き進む性格である。考えている時間があるなら動け。

 僕はすぐさまアルノルト様がいらっしゃる執務室へ向かった。躊躇っている時間はない。


 コンコンッ、バタンッ──


 ノックはしたものの、主の返事を待たずにドアを開ける。無作法だけれど今はそれどころじゃない。こっちは急いでいるのだ。緊急案件です。


「失礼致しますっ。さあ離縁いたしましょう!」


「は? フィリー、何を突然……」


 机に向かっていたアルノルト様が、騒がしい物音と突然入ってきた僕に驚いて顔を上げる。机の前までツカツカ歩き進み、僕はバーンと手をついた。

 それからずずいっと少し身を乗り出して、アルノルト様の目をしっかり見る。ちゃんと耳を傾けて僕の望みを聞き入れてほしいから。


「アルノルト様と僕は想い合っていないのです。ならば、婚姻関係ではいられません!」


「……待て。想い人がいるというのか?」


「お答えできません」


 あなたですから。目の前にいるアルノルト様のことが好きなんです。しかもあなたは既に婚姻なさっている方を好いている。アルノルト様だって見込みないじゃないですか。僕より。言わせないでくださいよ。もう。


 せめてもの矜持とばかりに僕はアルノルト様に対する気持ちを告げなかった。これくらいのこと、許してほしい。


 すると、ペンを静かにコトリと置き、ふぅっと息をひとつ。すぅっと目を細めたアルノルト様は立ち上がり、机を挟んで向かい側にいる僕の方へ回り込んだ。


 あれ? いつもと違う。

 目が、雰囲気が。


「……あのときの誓いも、俺に向ける笑顔も、偽りだったというのか? 攫うように婚姻を結んだんだ、いつまでも待つつもりで……こんなことなら悠長に時間をかけず、抱いてしまえばよかった」


「何を、っあ」


 僕の手首を掴むとアルノルト様は執務室の隣にある寝室へ向かった。僕が踏みとどまろうとしても力の差、体格の差は歴然で、抵抗しようにもまったく敵わなかった。


「アルノルト、様っ」


 掴まれた手首が痛い。引きずられるようにぐいぐい進む。僕の声なんか届いていないようで聞いてもらえなかった。こんな風に扱われたことなどなく、荒々しいアルノルト様の行動なんて初めてだ。


「ぅ、わっ……!!」


 乱暴に寝台の上へ放られた。ギシッと音を立てはしたが、打ち付けたわけではないので僕に痛みはない。


「フィリベルト……」


 首元の釦を外しタイを緩め、僕を見下ろすアルノルト様の瞳はギラギラ滾っている。怒りなのか欲望なのかわからない圧に囚われそうだ。


「やっと見つけたというのに」


「やっ……やめてくだ、さいっ」


「どれだけ探したと、」


 動けずにいる僕へ手が伸ばされた。

 剥ぎ取るように上衣を開かれる。釦が弾け飛び、左右へ広げられた。アルノルト様の腕や服を掴んで抗うが、肌を露わにされてしまった。僕の両手は邪魔だとばかりに、顔の両側へ縫い付けられる。

 瞠目する僕と、なぜか傷ついた表情を浮かべているアルノルト様の視線が重なる。力尽くでされている僕よりも、よほど悲しそうな目をしていた。


 顕になった僕の肌へアルノルト様は唇を落としていく。どうして、なぜ……驚きと力による征服に、肌がゾワリと粟立った。怖い、と思った。

 けれど荒々しく扱われているのに、唇の触れ方はそっと壊れ物を確かめているようで──


 こんなことは望んでいない。僕たちの関係は不毛でしかなく、互いに何も得られないのだ。マルティス様ではない僕を組み敷いたところで、アルノルト様が満たされることはないだろう。


()()求めてほしいのに……)


 アルノルト様に僕の声は届かない。気持ちも届くことはない。これからもずっと……そう考えると涙が溢れた。

 唇を噛み締めて耐える僕に気付いたアルノルト様は、ハッと我に返った。僕を暴こうとしていた手が止まる。掴まれていた両手は放され、アルノルト様はのそりっと身を起こし床へ降り立った。

 苛立ちから自身の髪をかきあげ僕を見た。


「すまない……こんなことをしたいわけじゃないんだ。くそっ、」


 アルノルト様は釦が飛んでいる僕の上衣を合わせて肌を隠し、腕と背中を支えて寝台の上へ座らせた。そして眦から溢れた涙の跡を指の腹で拭られる。いつもの優しい仕草。

 僕の『離縁』という言葉に激昂したようだが、今はもう感情任せの滾った目をしていない。


 僕はほっと長く息を吐いてから、まるで叱られた子どものように肩を落としているアルノルト様へ向き直った。


「おわかりだと思いますが、僕を抱いたとしてもマルティス様の代わりでしかありません。ですから、離縁を……」


「待ってくれ。さっきから何を言っているんだ? 代わりであるはずがないだろう」


 落ち着いて話し始めた僕の言葉は、語気を強めたアルノルト様に遮られた。眉間にシワを寄せ、怒っているわけではないだろうが、困惑とも違う。訝しんでいた。

 いやいや。僕はちゃんとわかっている。いまさら本心を隠す必要も、取り繕うこともしなくていい。


「ですが、僕の銀髪ならば似ていますし、瞳だって、」


 そこまで口にすると、アルノルト様は僕の肩に両手を置いて、それ以上言うなという意味で力が込められる。


「一体誰に何を吹き込まれた? だから夜会など連れて行きたくなかったんだ……何も話さなかった俺も悪いが、フィリーを望んだ気持ちに嘘偽りはないぞ」


「まだ隠そうとなさるのですね」


「だからそういうことは一切ない。あー……面倒だっ」


 苛立ちを隠すことなくアルノルト様は僕をぎゅうっと抱きしめた。まるで逃さないために拘束しているかのようだ。


「もう少しかかるが、こんなことになるなら話しておくべきだった」


「アルノルト様?」


「フィリー、俺を信じて。話を聞いてくれないか?」


 懇願するように言うから、僕は小さく頷いて耳を傾けることにした。それから静かに言葉を紡ぎ、アルノルト様はご自身について僕に聞かせた。


 聞いたことのない侯爵位だったのは隣国から来ているためであること。

 探している人物がこの国にいるとわかり、アルノルト様が現在置かれている状況や様々な理由から特別な許可を得て滞在していること。

 ようやく探していた人物に会うことが叶い、実際話してみれば美しく優しい人柄とよく笑う愛らしさ。アルノルト様はその方を愛していると──聞きたくないその言葉を言われてしまった。


「それは、……よかったですね?」


「何故そうなる。フィリベルトのことだが」


「えっ?」


 その言葉に今度は僕が驚く番だ。

 アルノルト様とは婚姻式の前日に初めてお会いしたはず。この長身に金髪碧眼、精悍な(かんばせ)。お見かけしたことがあるなら、記憶に残っているはずだ。まったく覚えていないことはあるまい。


 そしてアルノルト様がおっしゃるには『美しく優しく愛らしい』人物が、僕だと……?


 いやいやいやいや。どこをどうすれば僕になる? だって僕だ。この僕だ。多少整っているかもしれないが、美しいと言われたことなどない。しかも。自分でわかっていることだが、楽天的な性格をしていると思う。性格は直らない。愛らしいなんてほど遠い。

 楽しいこと、面白いことがあれば当然笑うことはあるだろう。それは誰でもそうではなくて?


「僕ではないです」


 きっぱり断言するとアルノルト様に上向かされ、『少し黙っててもらおうか』と、額に口づけられた。まるで子どものような扱いだ。嗜められてしまった。しかたがないので僕は口を噤むことにする。


「二年ほど前に自国で身なりを変えて城下街へ行ったことがある。そこにフィリーがいた。おそらく平民の子供が転んだのだろうが……その子に対して優しく声をかけていたんだ。貴族の中には平民を虫けらのように見る者もいるから。もちろん立場をわきまえなければならないことも承知しているが、それでもフィリーの優しさに救われた気がしたんだ」


 するっとアルノルト様が僕の頬を撫でた。思い出しながら話しているようで、今の僕と重ねているのかもしれない。間違いなく僕だと伝えている。

 確かに数年前、父と兄に連れられ隣国を訪れたことがある。商会の取引に関わることで、僕も同行した。実際この目で取り扱う商品の原材料を見てみないか、と。ついでに観光をしたときに、街中へ行っている。 子供のことは記憶にないが、そのときのことかもしれない。


「俺の心はそのときフィリーに奪われた」


 ふっとアルノルト様がやわらかい笑みを浮かべた。『そのときの笑顔も愛らしかった』と。


「身なりからして貴族だろうと安易に考え、声をかけることもなかった。すぐに掴めると思ってね。しかし自国にあなたらしき人物は見つからず」


 僕の髪を一房すくい、唇を寄せられる。探していたものはこれだと主張するように。


「銀の髪を頼りにこちらの国まで探す手をひろげたとき、マルティスの名前が挙がった。もちろん別人だとすぐにわかりはしたがな。マルティスと対面する機会があって、無遠慮にしつこく事情を尋ねてくるもので。協力するとアイツが言ってね。それからの友人だ」


 マルティス様は友人であると、アルノルト様から直接お聞きすることができて、ほっとした。


「ようやくフィリーへ辿り着いたが、会わせてほしいと申し入れてもローゼンハイム伯に難色を示された。それはそうだろう、隣国の人間がいきなり婚姻の打診をしてきて自国へ連れて行くと言うのだから。かわいい末っ子の前途を心配なさるのは当然だ」


「父上と事前にお話をなさって? え、隣国……とは……」


 話しながらアルノルト様は僕の髪や額、頬へと口付けていった。伝わっていなかった気持ちを届けようとしているのか、幾度も繰り返す。

 何もかもが急なことで慌ただしく過ぎた日々。すべてがこのひと月ほどの出来事である。そう、僕にとってはたったひと月。アルノルト様のことを僕はまだ何も知らない。


「だから俺の立場を盤石なものにしてから連れて行くと約束した」


「アルノルト様……?」


 ここまで話を聞いても点と点が繋がらない。理解できた部分とそうではない、まだ知らされていないアルノルト様の話がある。

 きっと、僕が思ってもいないことなのだろう。それでも僕は全てを知り、受け止めたい。


「騙すようなことをしてすまない。父は隣国の王弟、俺は三男だが継承権は放棄している。……腹立たしいことに、俺を担ごうとする不穏な動きがあってね。ようやく片付くところなんだ」


 まさか、そのような立場の方であるとは思っておらず、どう言葉を返せばいいのかわからない。驚きはしたがだからといってアルノルト様に対する気持ちが変わるわけもなく。


「フィリー……フィリベルト」


 僕の反応にアルノルト様の声が揺れる。不安と、憂慮と、期待。


 瞳を覗かれ僕に問う。

 『どうか、一緒に来てほしい』と、切なげに乞われた。


 僕は立ち上がりアルノルト様の腕の中へ自ら近づいた。背中へ手を伸ばし、そっと力を込める。同じようにアルノルト様からも抱きしめられ、空洞だった心が満ちていく。


 顔を上げて碧眼を見つめた。アルノルト様が求める言葉を僕は口にした。


「僕はあなたの伴侶としてずっとお側にいてもいいのですか?」


「フィリベルト以外、誰もいらない」


 とろりと熱を含んだ瞳で僕を捕えた。時間も距離も関係なく、アルノルト様は僕という存在を探して見つけ出した。けれどその熱量は僕だって同じだ。


 この人だけでいい。


「僕も……アルノルト様をお慕いしております」




 一晩中互いを求め合い、気持ちを伝え合った翌朝。


 急な婚姻だったため、父から無理強いしないことを固く約束させられていたそうだ。格上のアルノルト様に、なんてこと。だから僕の気持ちに寄り添ってくださり、あの夜、震えていた僕には何もしなかった、と。

 愛情ではあるのだろうが過保護な家族に呆れつつもありがたい気持ちになり、その約束を守ってくれたアルノルト様に対しても愛しさが募った。


 ただ。これは違う意味で少し考えなくてはならない、と思案している。身体中に散らばっている愛された証があまりにも……。しばらく襟に高さのあるものしか着られないだろう。

 更には歩き方だっていつものようにはいかない。鈍痛が走り、ときおり動きが鈍くなる。ゆえに毎回このような状態では邸の者たちに示しがつかないし、何より僕の身体が保たない。


 アルノルト様のアルノルト様はたいへんご立派で、確かに僕からも求めたとはいえ、これでは色々と邸を取り仕切るにしても差し触る。


「アルノルト様、次からはその……ほどほどで、お願いいたします」


 掠れて聞き取りづらい僕の声。自分で言いながら説得力のないことを自覚している。


「善処しよう」


 僕が困ると伝えても、どこか嬉しそうな顔でアルノルト様は受け流そうとしていた。

 頬やこめかみ、耳殻へと、唇でなだめられる。名前を呼びながらそうやって甘えれば、僕がなんでも絆されるとわかっているから。ズルい。


 ダメです、ダメ。そこはちゃんとしてください。そうでないなら僕にだって考えはある。

 アルノルト様にとって弱点ともいうべき唯一はどうやら僕のようなので、わかっていて試すようなことをする。


「お慕いしておりますが、程々にしていただけませんと、」


 また、離縁をお伝えしますよ?

 だから僕が逃げないように、ずっとつかまえていて──




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