2章 和衷協同
陽一の家に、名前も素性もわからない女の子が「なんとなく」居ついて、すでに数日が過ぎていた。
最初の一日はさすがに警戒していたが、不思議と彼女には危なげなところがまるでなかった。食事をすれば「おいしい」と笑い、テレビを見れば陽一の隣でくすくす笑い、夜には陽一が用意した布団の上で静かに眠る。
「……子供と暮らすって、こんな感じだったっけか」
仕事から帰ってきた夜、陽一はぼんやりとそうつぶやいた。
かつて自分の子供たちが家にいた頃の記憶が、少しずつ甦ってくる。リビングに置かれた「Swatch」のゲーム機――今でも現役で動くそれは、休日になると子供たちと一緒に盛り上がった、大切な思い出の象徴だ。
ふとした拍子に、彼女がそれに興味を示したことがあった。
「これ、なに?」
「Swatch。ゲーム機だよ。これでね、昔、僕の子供たちとよく遊んだんだ」
「ふーん……一緒にやってもいい?」
その時の、期待に満ちた顔が忘れられない。
それからというもの、夕飯を食べ終えると、二人は並んでゲームをするのが日課になった。陽一が子供たちと遊んでいたソフトを引っ張り出すと、彼女は目を輝かせて「これやってみたい!」と声を上げる。
笑いながらゲームをする時間
それは、陽一にとって「家族だった日々」のあたたかさを、再び思い出させてくれる時間でもあった。
彼女は、陽一が多くを語らなくても、そっと傍に寄り添ってくれる。無邪気で、ちょっとわがままで、でも思いやりのある、不思議な子だ。
それなのに。
「……名前、ほんとに覚えてないのか?」
夕食後、ふとした会話の流れでそう尋ねたとき、彼女は箸を止め、少しだけ困った顔をした。
「うん。覚えてない、じゃなくて……わからないの。誰も、呼んでくれなかったから、最初からなかったのかもしれないって」
陽一はその言葉に、返す言葉を失った。
名前も、居場所もない子供
それが、今、目の前で無邪気に笑っているのだ。
「……じゃあ、仮の名前、つけようか」
「え?」
「君の名前。仮でもいいから、あった方がいいだろ?」
彼女は目を丸くし、少しだけ照れたように俯いた。
「うん……じゃあ、つけて」
陽一は、テーブルの上で手を組み、少し考え込んだ。
「春に来たから……『こはる』っていうのは、どう?」
「こはる……」
何度か口の中で転がしたあと、ぱあっと笑顔を咲かせた。
「うん、それ、好き!」
陽一も、ほっとしたように笑い返す。
こうして、「こはる」は陽一の家で名前を持った。
それは、ほんの少しだけ家族に近づいた瞬間だった。