七.宙の番人
紬はトリノを睨んだ。驚いた顔をしたトリノだったが、ふっと顔を緩めた。紬は眉をひそめた。トリノが満足したようにうなずいた。
「九十五点。すごいよ。やったね。この短期間で一気に点が伸びた。でも残念、選択ミス。アイコスは残しておくべきだった。彼らの魂の精度は高い。人間だけじゃあ、やっぱり限界があったね」
紬は黙りこんでいる。岡本と秋山は不安そうに紬に目を向けた。トリノが続けた。
「次男は七十九点。及第点ではあるけど、もうちょっと頑張ってもらわないと。せっかくユージ君という優秀な家庭教師をつけたのに。あの、のんびりした性格じゃあ、この先は厳しいね」
トリノは笑った。
「そして三男。彼はいいね。思い切りがあって。そしてその魂たちもよく食らいついてきている。九十八点。後の二点は期待かな。まだ彼には今後頑張ってもらわないといけない。という事で今回のテストの結果は……」
目の前の空間に、呆然とたたずむ岡本の姿が映った。その上空は真っ白な魂で覆われている。
「今後の予定だ。いったん三男のグランマに君たちの魂を全て集める。その後、初期状態にリセットして三男の魂をコピー。そして君たちのアースに送り戻す。最終的に三男と同じ魂をもったアースに君たちは生まれ変わる。そして、再試験に挑戦だ。残念だけど、君と次男は今回で終わり。あたらしいクリエイターに頑張ってもらわないとね」
トリノはにこりと笑った。岡本が叫んだ。
「てめぇ。何寝ぼけた事いってやがる。紬が負けるわけねえだろ。秋山。ニューロウィルスの状況を報告しろ」
秋山はうなずいたが、すぐに青白い顔になって首を振った。岡本は唖然として紬を見た。紬はうつむき拳を震わせている。トリノが首をすくめて帰ろうとした時、紬が顔を上げた。
「何かおかしい気がした。弟たちの惑星が出現した時、自然とその理を思い出した。トライアングル・イーター。その試練を超える戦い。過去の記憶が一気に蘇った。無限の殺し合い。今回こそは……入念に準備をして挑んだ。銀河の理。無条件にそれを受け入れた。
しかし、ここに呼び出された時、ふと違和感を感じた。弟と話している中で、過去の仲間たちと過ごした記憶が蘇る中で、いいしれない虚無感を感じた。記憶の中の彼らには顔が無かった。目も鼻も口もない、人形のような物体。誰だ……いや、そもそも彼らは……」
トリノは無表情のままじっと紬を見ている。紬はトリノを睨んだ。
「これはお前が作り出した虚無だ。トライアングル・イーターだと? そんなものは銀河の理でもなんでもない。何らかの不具合による三つの平行世界の干渉。お前はそれを利用して、悪魔のストーリを生み出した。
この宇宙の創造主にでもなったつもりか? お前の理は実現しない。アイコスを残しておくべきだと? 見損なうな。彼らは生きている。我々人間と完全に調和した新たな生命体として、今も私の中で生き続けているんだ」
紬の瞳が薄緑色に輝いた。その背後に無数の物体。うっすらと輝くゴーストたち。皆微笑み肩を組んでいる。そして、彼らは一斉に宙に飛び立った。
「ばかな……」
トリノは唖然としてその様子を見上げた。
*
岡本は呆然と宙を見上げていた。大量の魂。目前まで迫ってきている。ふとキラキラと輝く細い線が遠くに見えた。強烈な速さでこちらに近づき、目前まできてはじけた。
閃光
岡本はその場に倒れこんだ。
(いったい何が……)
岡本は恐る恐る目を開けた。宙を覆う巨大な真っ白なネット。舞い降りる魂は次々にふわりとそこに着地した。すべての魂が舞い降りた後、ネットは優しくそれらを包み込み、宙に戻っていた。
*
(ソウル容力を使えるのか)
トリノは驚いた。アイコスの大虐殺。それは新たなエネルギー源としての再生だったのか。
(百点だ)
トリノは目を輝かせた。
(私の理は間違いではなかった。シンの他力本願。理を変えるのもまた理だ)
肩を震わしながら目を輝かすトリノを紬は悲しそうに眺めた。
「次男の魂は再生した。銀河の不具合も修正した。ワームロードからの魂の流出も停止した。平行世界での魂の精錬は引き続き行う。ただし、それぞれが自分のペースで。これがこの銀河の真の理だ」
「さすが、紬。俺は信じてたぜ。こんなクソガキにお前がまけるわけないってな」
岡本が大声で笑った。秋山もほっとして微笑んでいる。ふと、男があらわれた。白いひげを蓄えた老人。
「トリノや。もう、諦めなさい。お前がこの銀河の事を一番に考えている事はしっている。三つの世界。それを競わせ、相乗効果を出す。たしかにいい考えじゃ。しかし、兄弟は助け合う事が必要じゃ。互いに憎しみ合い、けなしあい、そこで得られた力にいったい何の意味がある?
この銀河はお前が思っているほどシビアではない。魂の精錬の速度と容量は今のままで十分じゃ。そして、残念じゃが今回の事は大事になってしもうた。お前の身柄は銀河警察が拘束する。心を入れ替えて戻ってきてくれる日をまっておるよ」
エレックの隣に警帽をかぶった男が立っていた。細い目、大きな鼻。飛び出た顎。中肉中背のがっしりとした男。
「こい」
男はトリノに手錠をかけた。トリノはぶつぶつとつぶやき歩いた。
ごり、ごり、ごり
大地を震わす巨大な音。地は揺れ、宙は震えた。紬、岡本、秋山、トリノ、エレック、警官はその場に放り投げられた。巨大な猿の顔が宙に映った。大きく口を開けて威嚇をしているように見える。
ギーギーギー
獣の無く声が響いた。猿は後ろを振り向き宙から消えた。
*
ユージは唖然と空を見上げていた。真部の緊急会議の後、ワームホールの詳細調査を行うためのインドへの出向チームが結成された。ユージは紬と共に参加がきまり、現地に到着後、その悲惨な状況に必死に打開策を検討していた時だった。何かをこするような巨大な音。そして、突然現れた巨大な猿。こちらを眺め不思議そうに首をかしげている。一体何が……。
「宙の番人たち……ついに彼らが現れた。終わりだ、何もかも……」
紬が呆然とつぶやき、その場にひざから崩れ落ちた。
(宙の番人?)
ユージは唖然と紬を眺めた。ギーという獣の鳴き声が響き、慌てて見上げると猿の姿は消えていた。ユージは混乱した。三十分程前か。巨大な地震があった。銀河を震わす揺れ。クリエイターから聞いていた長兄。ついに動いたのか。その時を思い起こした。
高台から見下ろす巨大な暗黒穴が急激に拡大し出した。豊かな森林がどす黒い影に覆われ、荒れ果てた大地に変貌した。三兄弟争いの最終決着。負けた次男は、そして、おそらく達也の住む三男のアースも、その魂が長兄に取り込まれ出した。穴の境界が猛烈なスピードでこちらに近づいてきた。紬は絶望でその場に崩れ落ちた。ユージも目を閉じ死を覚悟した。しかし、突然、迫りくる境界の動きがとまった。程なくして、穴が縮まりだし、数分後には大地は以前の緑豊かな景色に戻った。
ふと紬さんの意識を感じた。ここではない別の世界の。彼は笑っていた。彼が、長兄がこの銀河の理を変えたのだろうか。なぜか確信して感謝した。ついに銀河に平和が訪れた。達也もこれで助かる。必死に地球にいる達也の意識にアクセスしていた頃を思い出した。不思議そうにこちらを眺める彼。別に思い出してほしいわけじゃない。ただ、彼には幸せに生きてもらいたかった。これでやっと平和が訪れる。そう思った時に現れた謎の巨大猿。すくりと紬が立ち上がった。
「厄介なことになりましたね。宙の番人、彼らが現れるとは。しかし、この大地の再生と魂の復元。兄弟争いは取りやめになったようですね。やはり頼りになるのは長兄です。兄の声、あなたも聞こえましたか? ソウル容力。ユージさんも使えるようですね」
紬が笑った。
(ソウル容力?)
ユージは眉をひそめた。この気配はクリエイターか?
「長兄。聞こえていますか? 私も伊達にのんびりと過ごしていたわけではありません。三男にも、あなたにもない、私だけの強み。こつこつとしらみつぶしに調査する。宙の番人。彼らの秘密は既に把握しています。時間がない、早急に始めなければ」
*
「で、私たちを呼び出した理由をおしえてもらえるか」
長兄が厳しい目で次男を睨んだ。宇宙空間。巨大な円卓と三つの荘厳な椅子が浮かんでいる。その後ろには天の川銀河が美しく回転していた。次男が一人席に着き、ニコニコとほほ笑んでこちらを向いている。
年齢は異なるが、同じ紬の顔をする二人。後ろからその様子を眺めていた岡本は手に汗を握った。
〝次男のクリエイターが会議を要望しています〟
ユージから突然連絡がきた。どうやら、あいつは異なる世界の間で意思の疎通が取れるようだった。そして、三男の代理での参加。
(俺にその役割が務まるのか?)
二人の紬に気おくれしながらも必死に気持ち奮い立たせて意見した。
「俺も同意見だ。あの巨大な猿。あれに関する事だとは推測するが。いったいあなたは何を知っているんですか」
「まあ、落ち着いて」
次男はにっこりとほほ笑んで二人を席に促した。
「超メタバース。脳コンピューターアダムによる平行世界で共有可能な仮想空間。早くからその存在を認知していた長兄が他世界の調査ために開発した技術」
長兄と岡本は黙って席に着いた。次男は満足そうにうなずき、後方に広がる銀河にうっとりと見とれた。
「それにしても壮大な景色だ。さすが長兄。センスがいい。そして、こんなすばらしい技術を持っているなんて。我々は大いに見習う必要があるね」
やけに落ち着いて話す次男に長兄は眉をしかめた。そんな兄を気にせず次男は続けた。
「私の長所は気長なことです。のんびり屋の次男。マスターにはよく注意されました。まあでも、そんな事も気にせず、自分のペースで仕事をこなせるのが自分の強みなんですが」
いつの間にか手元に持ったティーカップを美味しそうに口に運んでいる。
「バカバカしい……」
次男の態度にあきれて席を立とうとした長男に岡本は冷や汗をかいた。この二人は本当に相性が悪い。一旦落ち着いて、岡本が仲裁に入ろうとしたとき。
「あれは夢です」
次男がつぶやいた。夢? 二人は怪訝そうに眉をひそめた。次男は真剣な顔をして二人に向き合った。
「レビー小体型認知症。レビー小体と呼ばれるたんぱく質のかたまりが脳内にでき、神経細胞を傷つけることで引き起こされる脳の障害。記憶力、理解力、判断力の低下が見られることが特徴です。なぜ突然そんな話を、と戸惑われていますね」
次男は飲み干したカップを残念そうに机に置いた。
「この宇宙と生物の脳には共通点が多い。宇宙に散らばる無数の銀河が糸状に連なり生成されるネットワーク網は、脳内の神経細胞が成すそれと同じ原理で構成されていることが証明されています。
そして、宇宙は今なお、膨張し続けている。子供が大人に成長するように。宇宙は巨大な生物の脳である、という説もあります。残念ながら人ではなくネズミのような下等生物かもしれませんが」
(ネズミだと?)
岡本は予想外の内容に戸惑った。次男は相変わらずマイペースに続けた。
「この宇宙は広い。長兄の技術を持ってしても、その境界にはたどり着けていなようです。そう怖い目で睨まないで。私なんかは、まだ、この太陽系の端すらも拝んでいないのですから。まあ、その話は一旦横において、目下のところ、問題はあの巨大な猿」
次男は一息ついて再びカップを口に運んだ。いつの間にか中身が満たされている。
「まるで本物の味だね」
感心してにこにこと微笑んだ。じっとその様子を見ていた長兄のその目がわずかにゆらいだ。
「まさか……」
岡本は何のことがわからない。が、納得したようにひとまず頷いた。二人の様子に次男は満足した表情をして続けた。
「想像のとおりです。夢……と言いましたが正確には幻視。レビー小体型認知症の大きな特徴です。この宇宙は、今、悪夢を見ている。猿の夢は不安の象徴。ソウル容力の急激な消費による天の川銀河の縮小が要因で発生した宇宙ネットワークの障害。別に兄を責めているわけではありません。これは宇宙の理。精錬された魂を別の銀河に放出したあとに待つのは、銀河の死。今回は放出ではなく、消滅でしたが」
次男の説明に長兄は顔をしかめた。
(そういうことか)
岡本は気づいた。長男の中央政府への攻撃はユージから聞いていた。あれが原因でこの銀河の多くの魂が消滅した。姿を突然に消したシンや他のゴーストたちの事を思い出した。魂が消えた銀河はその命を終える運命にある。あの猿は傷ついた宇宙が見た幻か。苦悩する長兄に次男は優しく微笑んだ。
「兄ちゃんは、真っ直ぐすぎる。こんな素晴らしい技術を生み出したあなたは尊敬します。でも、少し休憩したらどうですか? そして、残念ながら私ができることはここまでです。あとは頼りになる三男に任せましょう」
次男は真剣な顔をして岡本の方を向いた。長男も険しい表情で顔を上げ岡本に目を向けた。突然、二人の紬に注目された岡本は、思いもよらない展開に頭が真っ白になった。
*
岡本はグランマからレインボーロードを通じて秋山たちに語り掛けた。
「ということだ。銀河が崩壊の危機を迎えている。長兄はグランマにある魂を攻撃に利用した。見ての通り、ほとんどのゴーストが消えてしまった。紬とアイコスにはグランマ全体の状況を確認してもらっている。せっかくクリエイターに延命してもらったんだが。さて、どうしたもんか……」
岡本は諦めたように周囲を見回した。草木は枯れ、土地は荒れ果て、優雅なゴーストたちの姿はどこにも見られない。ゲートの向こうは秋山と紀香が、そして涅槃にいるブッダが真剣にこちらを見ている。
「そんな……シンが……」
ブッダが悲痛な声を漏らしうつむいた。その姿に岡本は心がいたんだ。まさかシンの魂が犠牲になるなんて。ブッダが厳しい表情で顔を上げた。
「シンはきっと大丈夫です。これくらいでやられるような子じゃない。でも、長兄の態度はおかしくないですか? 銀河の崩壊。自分のしたことを棚に上げて最終的に私達に全て丸投げするなんて。今回の事、きちんと責任を取るつもりはないのでしょうか?」
岡本は理解したように頷いた。
「当然、それは俺も抗議した。元はと言えばあなた達二人の言い争いから始まったことだ。全員で力を合わせて対処するのが筋じゃないかと。しかし、次男はこう言った」
『それは無理です。正確にはやりたくてもできないんです。今の私達の技術では平行世界を行き来することはできません。後戻りのできない一方通行。アダムによる意識の共有が限界です。
不浄な魂が並行世界の干渉に影響している可能性はありますが、まだその理論がはっきりしない。現時点では自分たちの世界は、自分たちで守るしかありません。
そして、残念ながら私にはその能力がない。のんびり屋の次男。イレギュラーな状況に対応できる自信がありません。長兄には別でやってもらいたいことがある。岡本さん。あなたたちは幾度の試練を乗り越えてきた。きっと解決の糸口をつかめるはずです。そしてあなたの管理するアースは特に危険な状態にある。急いでください。大丈夫。あなた達ならきっと乗り越えれる。期待しています』
突然、紀香が声を上げた。
「でも、中央政府はなんと言ってるんですか? 元はと言えばマスターの暴走が生んだことじゃないんですか」
紀香は父親をじっと見た。心臓の鼓動が早まり声が上ずった。父の事は秋山から聞いていた。会いたい気持ちとそうでない気持ち。長年、悶々と過ごした。梶原が死去し、秋山がプロフェッサーに就き、自分も本部の重要な役割を求められる立場になった。もう現実から逃るわけにはいかない。
真剣な眼差しを向ける娘に岡本は驚いた顔をした。わずかにその瞳が優しく憂いをおびたが、すぐに厳しい顔に戻った。
「中央政府は並行世界間のワームゲートの接続に着手してもらっている。それが完成すれば、アース間を自由に行き来が可能となり、互いに協力することもできる。残りは相互接続の許可設定だけのようだが、マスター不在の今、手こずっているらしい」
岡本は残念そうに首を振った。紀香はあきらめなかった。
「でも長兄のソウル容力を使えばなんとかなるんじゃないんですか。彼は他力本願の不具合を修正し、ワームロードからの魂の流出を防いだ。彼の力をすれば……」
岡本は再び驚いた顔をして今度はふっと微笑んだ。紀香は幼い頃の父親の記憶が思い浮かんだ。いつも優しく笑っていた父親。涙があふれ出た。岡本は優しく答えた。
「それはすでに実施している。ソウル容力は他世界間をまたいで影響を与えることができる能力。天の川銀河に散らばる並行世界を含めた幾千のグランマ。長兄は今、それに対して自らのソウル容力を供給している。銀河中の魂の消滅。彼は深く責任を感じてその償いに奔走している。そのお陰で一時的に銀河の消滅速度は減速している。俺の住むこのグランマも今のところ崩壊はストップしているようだが、それもいつまで持つか」
岡本は周りにたたずむ数名のゴーストに目を向けた。屈強な体をした戦士達。顔色は青白く、苦悩の表情を浮かべて必死に何かに耐えている。ありがとう。岡本は彼らに感謝した。
(そんな……)
紀香は唖然とした。岡本は娘の顔をしみじみと見た。母親の薫にそっくりだった。昔の記憶がふっと思い浮かんだ。問いかけても微笑みながら頷くだけの妻。あのときは本当に苦しかった。早く楽になりたい。医療用チューブを外そうとしている自分に気づき、嗚咽を漏らした。
限界だった。〝あなたは選ばれた人なんだよ〟 疲労で倒れ、病院のベッドで朦朧とする意識の中、天から聞こえたその声に心底安らぎを感じ、身をささげた。グランマとアースがレインボーロードで通信可能となった時、秋山が薫を気にかけてくれている事を知って安心した。娘にも随分と苦労をかけた。岡本は拳を握りしめた。銀河の崩壊。何としても食い止めなければ。岡本は冷静に続けた。
「実は、ユージからある提案があるということだ。あいつは今、次男のアースにいる。アダムを使えば合うことはできるが、長兄と同じソウル容力を使って俺たちに直接話しかける事ができるらしい。俺の声は今あいつは聞こえてるはずだ。ユージ。詳しく教えてくれ」