六.トライアングル・イーター
昔あるところに三人の仲のよい兄弟がいました。頭がよく優しい長男。慎重で奥手な次男。元気のよい三男。互いに力を合わせて幸せに過ごしていました。ある時、父親が三人を呼び出しました。
「私は旅に出る事にした。今から、この家の跡継ぎを選びたいと思う。ここに武器がある。自分が好きなものを一つだけ使っていい。お互いに死ぬまで戦い続けなさい」
突然の事に三人は呆気にとられました。不意に三男が父の元に駆け寄り剣を取りました。そして、そのまま次男の腹を刺しました。驚いた長男は斧を手に取り、三男の首を切り落としました。父親は満足げに微笑みました。
「よくやった。お前をこの家の跡継ぎにしてあげよう」
血まみれの長男は二つの死体のそばに唖然と立ちつくしました。父親が立ち去ろうと背を向けたその時、その頭に斧を突き立てました。父親はゆっくりと振り返りました。
「それでいい」
にやりと笑って歩いて去っていきました。
「なにが……?」
長男は混乱しました。さっきまで笑っていた弟たち。やさしかった父親。もうすぐ母親のおいしい夕食の時間だ。たわいもない事を考えていただけなのに。手のひらを見ました。べっとりとへばりつく血のり。妙においしそうに見えました。ぺろりと舐めました。すっと、さわやかな気分になりました。
ふと、父親が気になり周囲を見回しました。彼方に斧が頭にささったままの父親が立っていました。そして、その前に真っ赤な血まみれの姿をした次男が立っていました。足元には三男と自分が死んでいました。
父親は再び歩き出しました。頭には斧が、おなかには剣が刺さっていました。今度は三男が次男と自分を殴り殺しました。
父親は再び歩きました。右腕が切り落とされていました。無限の殺し合い。至宝の血の報酬を得るための地獄が続きました。
長男は呆然と歩きまわる父親を見ていました。一人ぽつんと立っているうちに、だんだんと寂しくなってきました。ふと、向こうでさみし気に立っている次男に気づきました。思い切って近づきました。
「やあ、君もなかなかやるね」
なるべくフランクな感じで話しかけました。
「そんなことないよ」
次男は照れくさそうに笑っていました。すぐに意気投合しました。二人で近くの三男に声を掛けました。
「全然、これくらいへっちゃらだよ」
三男はニコニコと笑っていました。その後、三人は仲良く一緒に暮らすことにしました。続く。
*
パートンはぼんやりと天井を見上げた。
〝トライアングル・イーター〟
あの話が実話であるならば、三兄弟、つまり、アースに似た惑星はもう一つ存在する。そして、父の役割を演じるのはマスター。頭に斧が刺さった父親を思い出した。銀河を一巡した後に待つのはおそらく……。
エレックはこの役割に恐怖した。さらに追い打ちをかけたのがシンの他力本願。意図しないもう一つのアースの可視化。もしかして、まだそのタイミングではなかったのかもしれない。エレックの慌てふためく様子が目に浮かんだ。そして、それを察したトリノがマスターを引き受けた。しかし、トリノと言えども今の状況は一筋縄ではない。
(彼の焦りはこれか。勝手に一人で背負いこみやがって。ほんとに生意気なガキだ)
うつむき肩を震わすパートンにトリノは首を振った。
「エレックは精神的にも身体的にも限界でした。彼からこの事を聞いた時、私もあなたと同じく驚きました。まさかあのおとぎ話が……。そして、六道衆に課せられた真の役割。命を懸けて銀河の果し合いを見届ける審判員。
しかし、今回シンの他力本願でアースの最終審判が早められた。未成熟な状態での兄弟争い。その結果がどうなるか、まったく予想ができない。全て私の責任だ。だから、せめて……」
苦悩な表情でうなだれるトリノをみてパートンは嫌な予感がした。
「トリノ。話はわかりました。これはあなた一人で背負いこむ問題じゃない。シンの件は偶然です。私だってあの場にいた、責任はあります。……黙り込んで、何を考えているんです? 変なことはしないで。まだ私以外にはこの事には気づいていません。
惑星の調査団についてはいったん中止します。グランマからの不浄な魂の出荷も停止している。既に入り込んだ魂もそのうち濃度が薄まり影響は少なくなるはず。銀河の理はすぐに回復します。何とかしてこの争いを防がないと。
そしてマスターの役割。疲れたらすぐに休めばいい。私は喜んで君の後を引き継ぐよ。全員で力を合わせよう」
パートンは優しく微笑んだ。トリノは驚いた顔をしてパートンを見つめた。
「ありがとう、パートン。そう言ってくれると助かるよ。そして、エレックは大丈夫。疲労で休んでいるだけです。ただ、今後は六道衆としての活動は難しいかもしれません。新しいメンバーを募集する必要がありますね。一人心当たりがあります。落ち着いたらまたその件で全員で話し合いましょう」
落ち着いたトリノの様子を見て、パートンは、ほっと胸を撫でおろした。
「じゃあ、早速メーソンに調査を中止するように伝えてくるよ」
パートンは速足で部屋を出て行った。トリノはパートンを微笑んで見送った。その姿が消えた後、トリノの顔がすっと無表情になった。
(うそも真実を交えれば現実になる)
トリノは首をすくめて席に着いた。
(パートンの件はいったんこれで落ち着いた。エレックも何もできない。想定通り。しかし、次はそう簡単には……)
*
岡本紬は荒れ果てた地にぼんやりとたたずんでいた。ふと、背後に気配を感じた。
「なつかしいね。昔は君とよくここで遊んだ」
トリノが目を細めて周りを見渡した。朽ち果てた倒木、草ひとつない岩場。灰色の空。生命の痕跡はない。
「もう、準備はできているのか」
紬は振り返らず尋ねた。トリノはうなづいた。そうか、紬は大きく息を吸って空を見上げた。
「目をつぶればあの時の風景が蘇る。青い空、緑あふれる大地。周りにはたくさんの仲間がいた。皆ワイワイと楽しそうに騒いていた。年上、年下、同い年。年齢は関係ない。とにかく全員が何かに夢中になっていた」
トリノも一緒になって空を見上げた。紬は目を閉じて続けた。
「一人、そして一人。いなくなった。理由はわからない。なぜか、皆去っていった、君も含めて。そして、私は知らない地に放り出された、突然に。そこには悪魔がいた。醜く笑う彼ら。私はだんだんと気が狂った。一緒になって笑った。泣きながら引きつった顔で笑って殺しあった」
トリノは悲しい顔で紬に目を向けた。紬は首を振った。
「しかし、私は気づいた。これは真理だ。これが銀河の理だ。そして、心を閉じた。ただ、一つ。己の芯を磨き上げることに命を懸けた。三つの世界。悪いが私は負ける気はしない。これが銀河の理であるならば、この非情で、薄っぺらい、ただやみくもに傷つけあうだけが理ならば、それを全て食らいつくしてやる。それが私のこの宇宙への復讐だ」
紬は振り返りトリノを睨んだ。トリノは悲しそうな顔をした。
「兄ちゃんはすっかり変わってしまったね。何をそんなに怖がっているの。彼は、岡本紬はそんなことを望んではいない。あなたはアースに干渉しすぎている。それじゃあ、真の魂の精錬にはならないよ。このままだと負ける。三男に、彼の魂たちに」
紬は驚き、何かに迷うように苦悩の表情を浮かべうつむいた。しかし、振り切るように首を振り、トリノを睨んだ。
「言いたいことはそれだけか。わざわざマスターの力を借りて私を呼び出して。同じ兄弟として恥ずかしい。お前は負け犬だ。慎重すぎて何の役にも立たない無能な次男。なんなら、今すぐここで始めたっていいんだぞ」
紬は足を一歩進めた。そして、その背後に二人の男が現れた。
「紬、やるんだな」
岡本が指を鳴らしながらニヤリと微笑んだ。秋山も隣でうっすらと笑っている。紬はさけんだ。
「全ワームゲート開放。一斉に銀河中央に向けて最大出力でソウルセグメントを放出しろ。すべてを破壊する。この銀河を腐った政府から解放する」
秋山の瞳が薄緑色に輝いた。地響き。惑星、いや銀河全体が震えている。トリノは驚いて声を荒げた。
「まだそのタイミングじゃないはず。あの情報はフェイクだったのか」
紬がトリノを見てニヤリと笑った。
*
紬とトリノの出来事の少し前。パートンが申し訳なさそうに岡本に頭を下げた。
「調査は取りやめになりました。申し訳ありません。急遽、政府の方針が変わってしまって。現在、あの惑星は少しづつその姿が消えつつある。一時的なガスや塵の塊の可能性として当分は状況を見守る事になりました」
岡本は突然の話に呆気に取られた。シンの他力本願。グランマの管理者である自分にも一定の責任はある。この遠征でなんらかの成果を上げないと場合によっては……そう身構えていたが、思いがけない展開に一気に力が抜けた。隣で様子をみていたシンが怪訝そうな顔で尋ねた。
「本当にあれは私の他力本願が原因なのですか? 今回の調査でその真偽がはっきりすると思っていました。このまま、うやむやにするつもりですか? であれば運用中止は解除していただきたい。推定は無罪です」
パートンは眉を下げて申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまないがそれはできない。タイミングからして、今回の現象は不浄な魂の流入が原因である可能性が高い。我々六道衆は銀河の理を守るがの使命。それを乱すものを受け入れることはできないんです」
パートンが消えた後、岡本とシンはしばらく黙り込んでいた。岡本は内心ほっとしていた。シンには申し訳ないが他力本願はリスクが高い。アースの自転停止も回避されている。グランマも魂の許容量がぎりぎりだ。パートンが言う通り、ここはいったん様子を見た方がいい。シンがつぶやいた。
「銀河の理を守るのが使命……彼はそういいましたね。たかが、ガスや塵が現れた事が理を乱すことなのでしょうか。そして、レインボーロードの件。彼はそれについて何も触れなかった。何か様子が変です。まるで、何かを隠しているような……」
岡本は嫌な予感がした。シンは思い込んだら周りが見えなくなる。お前……シンに声をかけようとした時、シンが岡本に鋭い眼差しを向けた。
「岡本さん。今回の件、何か裏がありそうです。ユージさんの事も気になる。そして、この銀河の不穏なざわめき。何か良くないことが起ころうとしている。私はあの惑星に行きます。大丈夫、岡本さんには迷惑をかけません。ユージさんの事をはまかせて。かならず連れて帰ってきます」
岡本は焦った。ユージの件。あれは自分も関わっている。のどに出そうになった言葉を飲み込んだ。あいつは自分の意志でこの地を、アースを去った。それを自身が望んでいた。〝誰にもこのことは口外しないでください〟 思いつめたユージの顔を思い出した。顔を真っ青にして、口をパクパクさせる岡本にシンは眉をひそめた。
「引き留めても無駄です、準備出来次第出発します」
シンは踵を返して走って行った。まて、岡本が声をかけようとした時、ふいに地響きがした。穏やかなグランマではめずらしい地震。
(なんだ?)
岡本は胸騒ぎがして周囲を見渡した。
(何かがいつもと違う。妙に静かだ。ゴーストの姿が一体も見えない)
ふと前を見た。シンが消えていた。
(さっきまでそこに……)
急激な力が岡本を襲った。なにかに引き寄せられる力。以前経験したことがある。全身に穴の空いたクリエイターの姿が頭にうかんだ。岡本は地面に必死にしがみついた。数秒間。突然嵐はとまった。
(一体何が……)
岡本は唖然として周囲を見渡した。ふと宙に違和感を感じた。
(何かがおちてくる? 白い、大量の霧状のもの。あれはもしかして……)
大量の魂が上空を埋め尽くしていた。