五.第三のアース
~2079年、岡本紬プレジデント(八十三歳)の偉大な歴史~
五歳で論文博士を授与、武井の研究室に所属して人工シナプスの生成に成功
十一歳で武井と共にIT Translator育成本部を設立、当時二十二歳の兄の岡本巧と七歳の秋山結弦も合流
十二歳でアイコスを開発
十五歳でネイティブシナプスを発見し、アイコスの脳への共有に成功
十八歳でネイティブシナプスに関する論文を発表、人類はまたたくまにその能力に覚醒
二十歳で涅槃の発見
三十六歳で暗黒物質の研究に着手
四十二歳で人類の百パーセントがネイティブシナプスを保持、全人類が死後に天国への切符を約束される状態まで進化
四十六歳で平行世界の発見
六十一歳でレインボーロードの独自生成に成功、銀河中にアクセス可能となる
七十一歳で脳コンピュータの最終形態、アダムを完成させ、百パーセント現実を再現したメタバース空間を作り上げる
~
(その後、現在も、岡本巧プロフェッサー、秋山結弦アシスタントと共にプロジェクト本部の中心的役割を担っている)
トリノは第三のアースの歴史を思い返した後、ユージを思い出して胸が痛んだ。
〝そして、彼の世界には今、アイコスは存在しない〟
全人類がネイティブシナプスに目覚め、脳コンピューティングにより仮想空間で現実と同じ状態で生活ができるまで進化した今、その存在は無用と判断された。AIは人類を進化させるためのきっかけに過ぎない。
人類史上最悪の大虐殺。全アイコスは量子コンピュータ上に追いやられ一斉に消去された。効率化を求めるがゆえの非情な判断。最後のボタンを押したのは岡本紬だと聞いている。長兄の影響を一番受けているのは彼かもしれない。ぼんやりと宇宙空間に漂いながらトリノは今後を想像した。
(第三のアースの不穏な動き、第二のアースでのユージさんの状況、第一のアースでもパートンがその存在に気づき始めている。これは宇宙の理。非情な生存競争。果たしてどこか最後に生き延びるのか。しかし、その結果が本当に清らかな魂を残すための、最善の結果なのだろうか)
トリノは迷いを吹っ切るように首を振った。しかし、自分はその結果を受け入れなければならない。それがこの銀河の管理者、マスターとしての責務なんだ。
*
「やあ、トリノ。久しぶりだね。マスターにも、もう慣れたかい」
パートンは部屋に入ると、金髪の髪をかき上げて朗らかに尋ねた。机で作業をしていたトリノは突然の訪問者に驚いたが、にこりと微笑み、どうぞとソファーを進めた。
いつもと変わらない子供らしい笑顔。パートンはトリノをじっと見つめた後、気を取り直したように眉を上げて、きょきょろと周りを見ながら席についた。
「すまないね。マスターの部屋に入るのは初めてなもので。色々と歴史のある本が置いてあるようだね。クラシックな感じで落ち着いて、とてもいい雰囲気だ」
パートンは勧められたお茶をおいしそうに口に運んだ。パートンの様子をニコニコと眺めていたトリノは心の中で警戒した。パートンがカップを静かに机に戻した。
「忙しい所、突然に驚かせたね。実はどうしても確認したいことがあって。例の妙な黒い惑星の事。今、メーソンが調査を計画しているのは知っているね。冷静沈着な彼にはうってつけだ。チャームも同行してもらう予定だ。強引な彼女と思慮深い彼は意外と馬が合うみたいだしね。グランマとアースからも協力者を募ってたんだが、メンバーもあらかたそろったので、そろそろ出発しようと思っている。だが、今日はそのことを言いに来たわけじゃない……。いったい、君は何にそんなにあせっているんだい?」
トリノは笑顔を絶やさない。パートンも朗らかだ。沈黙。パートンは眉を上げてうなずき、お茶を飲み干した。
「とてもおいしかったよ、ありがとう……ところでエレックは元気かい? 君は随分と彼には可愛がられていたね。孫ほどの君が可愛くて仕方がないんだろう。でも、急な事で僕はとても心配している。あんなに元気だったのに。君がここにきてからかな。エレックが妙にそわそわし出したのも。ちょうどいいタイミングで君がマスターを引き受けることになって、本当によかったよ」
トリノはカップを黙って片づけた。パートンはじっとトリノの後姿を見つめた。片付けが終わったトリノがパートンの前にゆっくりと座った。
「鳥はいい、自由に羽ばたける。犬もいい、早く走れる。人もいい、楽しく生きることができる。パートン、僕たちはどうだろう。僕たちは何をすべきなんだろう。君には僕が焦っているように見えるのかもしれない。そうかもしれない、そうでないと思いたい」
パートンは眉をひそめた。トリノは厳しい表情を浮かべた。
「君が感じている違和感。ここ最近感じる銀河のざわめき。すべての元凶が僕にあるのであればどれだけよかったか。三つの世界。いずれ訪れる狂気。これは僕たちに課せられた運命。たまたま自分の番だった。でも僕は逃げない。マスターとして最後まで向き合うつもりです」
驚くパートンの目が少し憂いを帯びた。
「何かあると思っていましたが……三つの世界とは、〝トライアングル・イーター〟の事ですか?」
トリノが苦しそうにうなずいた。パートンは首を振ってため息をついた。子供の頃、悪い事をするといつも聞かされた恐ろしい物語。まさか、現実だったとは……。