二.暗黒物質
「まあ、そうかしこまらないで」
パートンは金髪の髪をかき上げ、眉をひそめる岡本に微笑みかけた。二人の間には漆黒の惑星が不気味に立体映像で浮かび上がっている。パートンが朗らかに続けた。
「見た事のない惑星。惑星間通信用のワームロードの生成に誤差が発生して偶然発見された。おそらくシンの未精錬の魂の影響かと思うのですが。現在メーソン達により、現地調査への準備が進められています。グランマの管理者の岡本さんもこちらに来ていただくことになるかもしれません……」
岡本は口をあんぐりとあけて呆然とした。緊急連絡がある。中央政府から呼び出しをうけて眉をひそめた。内容を聞いて冷や汗をかいた。
(シンの他力本願。いずれ何らかの影響がでるとは思っていたが……)
パートンは眉を下げて、申し訳なさそうに続けた。
「グランマの影響かどうかはまだ確定ではありませんが……例の他力本願の件、いったんは中止という事でお願いできませんか? それと、追加の検品チェックリストを送ります。作業が増えて大変ですが、中央への魂の出荷時はくれぐれも未精錬が混ざらないように実施徹底をお願いします」
*
岡本との通信が切断された後、パートンはため息をついた。
(謎の惑星。未精錬の魂の影響より偶然発見された。逆を言えば、それが無ければ認識すらできていなかったことになる)
惑星の表面には真っ黒のガス雲が不気味に渦巻いている。ごくりと唾をのんだ。メーソンの言葉。人差し指で眼鏡をすっと上げ、顎に手をかけて冷静に話す彼を思い出した。
「この銀河には私達が認識できない暗黒物質が七十パーセントほど存在している。可視光線、X線、ラジオ波などとほとんど相互作用しないため、その存在を認識するすべはない。しかし、それ自体は質量を持ち重力場を形成する。巨大な塊に気づかず近づけば、たちまち取り込まれてしまう」
(暗黒物質……)
淡々と話すその内容にパートンは背筋が凍った。
「その存在は以前から予測されていた。そして、今回、偶然にも未精錬の魂の影響により視覚的に認識できる状態でみつかった。これは驚くべき発見だ。なぜ見つけることができたのか。そしてこの惑星はいったい何なのか。今後さらなる調査が必要だ。シンの他力本願。トリノの判断は正しかったのかもしれないな」
メーソンは目を閉じて首を振り、ふっと口元を緩めた。そんな様子にパートンは不安を感じた。
(果たしてこれは幸運なのだろうか。見てはいけないもの、知ってはいけないもの。パンドラの箱が開いた?)
ひっそりと忍び寄る黒い影に、漠然と恐怖を感じた。
*
「特に前回から変化はありませんね。ネイティブシナプスの濃度も安定しています。何か思いだしたことはありますか?」
薄暗い部屋。白衣を着た女医が、目をつぶって椅子にもたれかかる達也にゆっくりと話しかけた。
ぼんやりとした意識の中、目を開いた達也は首を振った。頭の中にかかった霧はいまだに晴れない。子供の頃の記憶ははっきりしている。そして、最近の記憶も。ただ十代半ばの記憶が完全に抜け落ちていた。
母親からはアイコスの専門学校に通っていたと聞いていた。そして世界同時地震の際、屋内に閉じ込められたショックで記憶障害になったと。
「そうですか、特に焦る必要もありません。そのうち思い出すでしょう」
女医は優しく微笑んだ。わかりました。達也は力なく答えた。
「そういえば……」
達也は夢の事を話した。女医は首をかしげた。
「黒い惑星ですか? なんでしょうね。また別の夢を見た際は教えてもらえますか?」
達也はうなずき消えた。女医は達也が去るのを見届けた後、すぐにテレグラムを起動した。白髪を少し伸ばした六十代あたりの男が浮かび上がった。
「秋山プレジデント、お忙しい所すいません。先日の報告通り、達也にユージからアクセスがあったようです。例の黒い惑星。ユージはそこにいる可能性があります。ただ、まだ不安定な様子で。ええ、わかりました。何かわかれば連絡します」
立体映像を切り、岡本紀香(六十歳)は眼鏡をはずし、椅子にもたれかかってため息をついた。世界同時地震。世界には公開されていない、その裏で繰り広げられたグランマとアース、そして銀河にわたった想像を絶した試練。
達也はその驚異的なネイティブシナプスの含有量を駆使して、正寿郎のゲートを脳に取り込み世界を救った。しかし、彼の脳は限界を超えていた。ゲートが消滅した後、徐々に記憶が消えた。会うたびに変貌する達也に涙が出た。
「いやだ」
大粒の涙を流す達也を抱きしめた。泣き止んだ後、何もなかったかのように微笑む様子に戸惑った。ユージの悲し気な顔を思い出した。
「僕は絶対に君の事を忘れない」
力強く話す達也に彼は寂しげに微笑み返していた。
そしてあの日。目覚めた達也は別人になっていた。梶原プレジデントの言葉を思い出した。
「彼には新しい人生を歩んでもらう。脳へのダメージは深刻だ。日常生活が送れるだけでも奇跡的。皆には悪いが、既に実家にて別の人生を送れるように手配もした。ユージ、すまんな」
うつむき黙り込むユージは、首を振って顔を上げた。
「今回、タッキーは本当に頑張ってくれた。彼がいなければ、今、こうやってみんなが地球で生活はできていなかった。でもこの先、何が起こるかわからない。タッキーにこれ以上負担をかけるわけにはいかない。彼にはゆっくりと静かなところで過ごしてもらいたい」
ユージの言葉に全員がうなずいた。達也が東京に帰ってしばらくして、ユージが姿を消した。紀香は決心したように眼鏡をかけなおした。
(達也にユージからのアクセスがあった。秋山プレジデントなら何かわかるかもしれない。そして、達也の記憶が戻る可能性も……しかし、それはいい事なんだろうか)
何か不吉な予感がしてごくりと唾をのんだ。
*
「あまりにも理不尽です」
シンが眉を吊り上げて怒っていた。他力本願。シンが心血を注いで広めて来た教えの禁止。
「いったいどんな科学的な根拠があるんですか、すぐに政府に抗議してください」
岡本に向かって騒ぎ立てるシン。岡本も眉を下げて困っている。秋山が会話に割って入った。
「シン、落ち着いて。政府の意見を聞いていると、必ずしもグランマの責任と確定したわけでもないようですし。仮にそうだとしても、未知の惑星の発見につながった。それは肯定的にとらえられる可能性も高い。そして、ユージの居場所。達也へのアクセスと今回の惑星の発見は無関係ではないと思う。まずは政府からの連絡を待つのが懸命だ」
秋山の言葉にシンは黙り込んだ。秋山はシンの性格をよくわかっていた。一人でも多くの信者を救う、そのことを常に一番に考えている。そして今、ユージが苦しんでいる。彼がそれを見過ごすわけがない。シンが苦しそうにつぶやいた。
「ユージさんはグランマを救ってくれた。とても感謝しています。そして、彼は行方が分からない。今、私がすべきことは彼を救い出すこと。岡本さん、すいませんでした」
頭を下げるシンに岡本は手を広げて首を振った。
「ああ、大丈夫だ。全然気にしてない。お前の気持ちもわかる。確かに一方的だ。そして、ユージの事も気がかりだ。実は政府からある要望を受けている。黒い惑星。どうやらそこにレインボーロード、こっちではワームロードというんだが、それがつながったようだ」
思いがけない岡本の話に全員が息を飲んだ。
「そして、調査団が結成されて送り込まれることになった。政府から我々にも参加を求められている。俺は管理者でここを離れることはできない。紬とアイコスには相談している。できればアースからも何人か参加してもらいたいんだが」
秋山はアイコスJrとあきらをみた。申し訳ないがまた彼らに頼るしか……。
「私が行きます。ブッダ、問題ないですね」
シンが大きな声を上げた。ブッダは驚いた顔をしたが軽くうなずいた。
「そうか」
岡本はうなずいた。
「じゃあ政府にはそのように伝えておく。シン、すまないな、よろしく頼んだ」
岡本は頭を深々と下げた。