一.プロローグ
ここはどこだろう。灰色のぼんやりした空間。上下左右、方向が定まらない。誰かが立っている。黒髪の青年。白いワイシャツに黒いスラックス。何かを話している。どこかで見た事がある……そうだ、彼は……
カーテンから差し込むまぶしい日の光。目が覚めた冬木達也(三十三歳)は、ぼんやりと天井を見つめた。またあの夢。どこかわからない場所。懐かしい姿。涙を流している事に気づいた。いったい彼は何者だろう。
「お父さん、おはよう。泣いてるの?」
声の方を見ると、将司(五歳)が不思議そうにこっちを見ていた。
「いや、なんでもないよ。おはよう、将司」
達也は微笑みながら起き上がった。ひょろりとした長身。色白の肌。栗色のくせ毛がかった髪と優しい眼差し。リビングからかすかに音楽が聞こえた。将司があわてて振り返った。
「そうだ、ロボットモンスターが始まる時間だ」
トコトコとリビングに走って行った。
〝我はこの宇宙の創造主だ。お前たちごとき人間が何人かかっても、太刀打ちはできない〟
達也がリビングに入ると将司が立体映像を夢中に眺めていた。その横で勝也(十一歳)が寝そべって、フルフェイスゴーグルでゲームをしている。
「タツヤ、オソイヨ」
丸いアイコスコントローラーがころころと転がってきた。
「やあ、あいこん、おはよう」
達也は頭をかきながら拾い上げた。
「そうなのよ。あそこの先生は厳しくって。ほんとにどうしようか迷ってるのよねぇ」
テレグラムで由美(三十三歳)が話し込んでいた。
達也は食卓に座ってコントローラを置いた。すっと机が開き湯気が出るコーヒーと卵の乗ったこんがりとやけたパンが出てきた。かじりながらぼんやりと夢を思い出した。最近何度も見るようになってきた。彼はいったい……。
「ごめん、ごめん。話が長引いちゃって。朝食はパンでよかった?」
うん、達也は微笑んだ。由美がため息をついた。
「勝也のミドルスクールの進学の事。有名なアイコスが設立したらしいんだけど、ちょっと厳しすぎるのよねぇ。もう少し自由な雰囲気の所にした方がいいかしら」
そうだね。眉をひそめてあれこれと思案する由美にうなづきながら達也はパンをかじった。
*
落ち着いた日本家屋。わずかに香る畳の香り、開放的な窓からのぞく古風な庭園。遠くでセミの鳴き声がわずかに響いている。
ふっと中央に日本机が現れ、周りに正座する数名の人物が浮かび上がった。
「はじめまして。ファーマイ社の冬木です」
その内の一人、くせ毛がかった栗色の髪をした青年が軽く頭を下げて朗らかに名刺交換を始めた。程なくして机の中央に大きな果実のようなものが浮かび上がった。
「こちらが弊社の開発した新品種の大豆です。ヤシの実の性質が遺伝子操作で付与されており、生育後、硬い殻で囲われた内部で自動的に発酵。収穫と同時に味噌として食すことが可能です」
達也は自信気に説明した。ほお、商談相手は感心してヤシの実を手に取って眺めた。
「御社の新しい和食オプションとして、ぜひご採用のご検討をお願いします」
2079年。アイコスにより農業はフルオートメーション化され、季節に関係なく高品質、短期間での生産が可能な状態まで整備されていた。特に遺伝子操作による多種多様でユニークな商品が開発が盛んにおこなわれていた。
〝ファーマイコーポレーション〟
近年勢いをつけてきた新興企業。五年前に入社した達也は新商品の販売営業を担当し、日々切磋琢磨していた。説明を受けた顧客は感心した様子でうなずいた。
「大変すばらしい。社内で前向きに検討させてもらいます。それと、この日本家屋の空間。とても落ち着ける、素晴らしい所ですね。次回もぜひこちらでお願いしたいところです」
打ち合わせは和やかな雰囲気で終了し、商談相手は消えた。
「よしっ」
にこやかに微笑んでいた達也は相手の好感触にガッツポーズした。和食オプションも充実してきた。このニーズは今後伸びるぞ。
「冬木主任、お客様がお待ちです」
天井から声が聞こえた。
「わかった」
達也は引き締まった表情で立ち上がった。
(さあ、残りも頑張るぞ)
*
達也はぼんやりとその青年に向き合っていた。自分に向かって何かを必死に訴えている。
「……あぶな…、すぐ……」
(なんだろう。とても重要な事の気がする。でも、思い出せない)
青年が指をさした。その先に漆黒の巨大な惑星。暗雲が掛ったその表面。一か所が赤く光っていた。そこから伸びる七色に輝く光の通路。
(どこかで見た事がある)
不意にトンネルが砕け散った。漆黒の惑星が徐々に赤みを帯びて炎に包まれた。
〝爆発〟
まぶしい光に目を背けた。
*
「オキロ、タツヤ」
目を開けると丸いボールが胸の上で飛び跳ねていた。
「やあ、あいこん。今日も元気だね」
カーテンから差し込む朝の光。寝ぼけたままの達也はコントローラーを抱きかかえ起き上がった。食卓についた達也の隣に由美が座った。
「勝也のミドルスクールの事だけど、思い切って海外で探してみようかと思うの。本人も将来的には世界中で働きたいとおもってるみたいだし。いいわよね、勝也」
勝也はフルフェイスゴーグルで誰かと話しながら、指をOKの形にした。
「そうだね」
達也はうなずいた。十八年前の世界同時地震。かつての地球の危機に大活躍した薄緑色の瞳をしたサムライたち。勝也がそのストーリーを目を輝かせて見とれていたのを思い出した。
「あの子は君に似て博識で、何にでも挑戦するタイプだからね。唯一僕の長所であるネイティブシナプスの濃度も引き継いでくれたみたいだし。やりたいことをやってくれれば、僕はなんだって応援するよ」
「お父さん。見て、ロボットモンスターの新しい敵だよ」
将司が慌てた様子で手招きした。
「今、いくよ」
達也は慌ててコーヒーを飲み干してパンをほおばった。
将司がホログラムに熱中になっているすきに、こっそりと達也は席に戻った。
「ちょっと気になる事があって」
由美が声をひそめて話しだした。
「同僚からきいたんだけど、最近原因不明の病気がはやってるみたいで。二十代未満の子供に多くて、全国的な統計から明らかになったみたなんだけど、ここ数年で急激に成長速度が低下しているって。最近私の周りでもちらほら話を聞くようになって……。本人たちは元気なようなんだけど、成長ホルモン欠乏症って、ホルモンの分泌が減少して体の成長が停止する病気みたいで」
(成長ホルモン欠乏症?)
達也は眉をひそめた。由美は心配そうに二人の子供たちを見つめた。
「専門家によると偏った食生活が影響を及ぼしているんじゃないかって。あいこんにメニュー任せっぱなしだけど、もうちょっとお野菜とかお魚も増やした方がいいかも」
由美はため息をついて肩を落とした。
*
「おはよう」
出社した達也は慌ただしく駆け回る社員たちに眉をひそめた。
「あっ。主任、おはようございます。ニュースみました? 大変な事になってますよ」
促されて部屋の中央の立体映像を見た。
〝訴えによると、ファーマイコーポレーションの遺伝子操作された食物が人体に悪影響を及ぼしており、特に最近の子供の成長の遅れの要因となっている、成長ホルモン欠乏症の発症の可能性も示唆されており……〟
「緊急会議をする。今すぐ会議室にあつまれ」
呆気にとられてたたずむ達也の肩を髭を生やした男がたたいた。会議室には既に数十名が座っていた。皆顔をしかめて厳しい表情をしている。
「川野部長、お願いします」
促されて髭面の男が立ちあがった。
「今朝のニュースの通り、わが社の製品が訴えられた。訴え元はネイティブファーマー社。知っての通りわが社の競合だ。彼らの主張によると、当社の遺伝子操作をした食品が人体に悪影響を及ぼし、特に若者の成長を阻害しているという事だ。しかし、科学的な証拠はない。我々は安全性を十分に検討して市場に出している。心配はない。顧客には十分にそのことを説明してくれ。以上だ」
皆、首を振りながら慌ただしく出て行った。達也は呆気にとられた。
(まさか自分の会社の商品が……)
今朝の由美の顔が浮かんだ。川野が近づいていた。
「冬木。なにボーとしている。今日は重要な商談があっただろ。さっさと準備してこい」
「すいません」
達也は慌てて部屋を出ようとした。まて、川野が思い出したように冬木を呼び止めた。
「最近体調はどうだ? 診察の方は順調に通っているのか?」
少し驚いた達也がにっこりと笑い返した。
「ええ、ご心配ありがとうございます。特に今のところは。ただ妙な夢を……」
妙な夢? 川野が眉をひそめた。
「知らない少年の夢なのですが、信じられない事ですが地球が危険だという事で……すいません、変な事をいって。ただの悪夢だと思います。営業行ってきます」
達也は頭を下げて出て行った。後姿をじっと見つめていた川野は携帯テレグラムを取り出した。目の前にぼんやりと人影が浮かび上がった。
*
「わが社で開発されたモロコ米です。トウモロコシとコメの遺伝子を結合した品種で、もみ殻がない状態で生育する為にこのまますぐに白米として炊き込むことができます」
達也はにこやかに説明した。顧客は眉をひそめて、ひそひそと話し込んでいる。
「ありがとうございました」
開始から三十分余り。半ば一方的に商談は終了した。達也は首を振った。
(今朝のニュース。かなり悪影響を及ぼしている。あえてこちらから話題を振るわけにもいかない。釈明するきっかけすら与えてもらえないなんて……)
「冬木主任、次のお客様ですが、急遽、出席できなくなったと連絡がありました」
「わかった」
達也は力なくで立ち上がった。
(これは長引きそうだ)
キキキキキキ……
遠くでヒグラシの鳴き声が響いた。あんなに心地よかった日本家屋が妙にさみしく感じた。
(落ち込んでる場合じゃない)
首を振って気持ちを奮い立たせた。