ほろ苦い思い出はお菓子でかき消す。
2日連続投稿です。
6歳の時、私付きの家庭教師がいたのだが、その人から暴言と共に私自身の出自についてバラされるという事件があった。
彼女は男爵令嬢だったらしいが、学園在学時は成績が良く、とても評判が良かった。
「知り合いの娘で、良い仕事を紹介して欲しいと頼まれた」と言う、お義父様の王国軍に所属していた時の友人からの勧めで、彼女の卒業と同時に雇用したらしい。
最初の頃はとても分かりやすく丁寧に教えてくれたし、優しい笑顔が印象的だったのを今でも覚えている。
しかし、授業が始まって一ヶ月程経った頃のある日、突然人が変わったかのように怒りの表情を浮かべ、私の出自を暴露し始めたのだ。
彼女は私に対し、「貴方は何処の血筋かも分からない卑しい人間なのだから、いずれ辺境伯家のいい駒として使われるのだ」と宣った。
当然そんな事情を知らなかった私にとって、家庭教師からの突然の暴露話は青天の霹靂の一言に尽きる。
だけど、私の心の中ではそれ程衝撃でもなかった。
というのも私自身、他の家族と違う色合いを持っていることに、心のどこかで疑問に感じていたからだと思う。
アナットが実はお茶を出す為裏で控えていた事に全然気付いていなかった彼女は、私への侮辱を止めることはなかった。
当然、その家庭教師の愚行は瞬時にお義父様まで報告された。
最初の発言から5分もしない内に、鬼の形相をしたお義父様が部屋に駆け付けた時の彼女の表情は、絵画の抽象表現に出てきそうなものだった。
お義父様は怒りの余り、「プリムラは紛れもなくシュテルンベルク家の娘だっ!!」と叫びながら、家庭教師の顔面スレスレで机を殴って破壊した。
見た目は厳ついが、性格は豪快で明るく、誰にでも優しいお義父様なので、案外それまで人に怒るところを見たことが無かった。
そんなお義父様が令嬢相手にそこまでブチ切れたのは、後にも先にもその一回だけだった。
彼女は恐怖の余り失神し、丁重に運ばれた後、二度と姿を見ることはなかった。
その日の夜は家族会議が開かれ、私と兄に、改めて私の出自が説明された。
魔王国で内乱が起きた様子が確認された為、その当時はまだ当主であったお義祖父様の指示で国境付近を巡回していたこと。
その途中で、衰弱し今にも消えて無くなりそうな赤子の私が発見されたこと。
辺りには人影もなく、場所や状況を考えて捨て子であると判断したこと。
放ってはおけなかったお義父様が私を抱き抱えた瞬間、私が残りの力を振り絞るように泣いたこと。
それがお義父様には、生きたいと必死に叫んでいるように見えたこと。
早駆けで馬を走らせ、屋敷に戻って直ぐに私を医者に見せたこと。
医者にもうダメかもしれないと言われたけど、まだ幼かったお義兄様が私の手を握って頑張ってと応援していたこと。
少しでも出来ることを探して試して、お義父様達の決死の看病により持ち直したこと。
元気になった私を改めて見て、髪と瞳に珍しい色を宿していると気付いたこと。
元々、二人目は難しいと言われていたお義母様が、「この子はきっと、我が家に舞い降りてきた天使なのよ」と言い、自分達の子供として育てると二人で決めたこと……。
「……きっと、この腕にプリムラを抱き抱えた瞬間から、儂らが家族になることは決められておったのだ」
「形は少し違うかもしれないけど、私達は歴とした家族よ。ヘザーもプリムラも、どちらも同じくらい大好きで、大切に思っているわ」
そう言うお義父様とお義母様の顔は、何時もと同じ笑顔を浮かべていて。
その言葉と笑顔だけで、私は安心してここにいて良いのだと思えて、ようやく涙を流すことができた。
だが、同じように話を聞いて、私以上に号泣したお義兄様をみんなで慰めるのが大変だった。
それまでお義兄様との仲は悪くはなかったのだが、お互いに少し余所余所しさはあったと思う。
私を家族に迎え入れる際、お義兄様にも話をしたらしいが、まだ幼かったので分かっていなかった部分も多かったらしい。
改めて話をしてもらったことで、ようやく心から私という存在を受け入れることができたのだろう。
その後は、お義兄様とも本当の兄妹のように仲良く過ごすことができた。
家庭教師の暴挙がきっかけだったとはいえ、私たち家族の絆が深まった出来事だった。
「――――……どうかしたのか、プリムラ」
お義父様の声で、ハッと我に帰る。
知らず知らずのうちに昔の思い出に浸ってしまい、恥ずかしいような少し落ち着かないような気持ちになった。
……そういえば、あの家庭教師はどうなったのだろう?
思わず聞いて確かめようと思ったが、直ぐにやめた。
お義父様もわざわざ言わなかった理由があるのだろう。
それに、もうきっと関わることも無いのだから、今更聴いたところでどうにもならないのだ。
「いえ……昔のことを思い出しておりました」
「そうか」
「お義父様って、本当に怒ると相手が誰でも見境がなくなりますよね」
「……一体何時の話をしておるのだ」
渋い顔をしながらも、お代わりで注いでもらったお茶を飲むお義父様。
見れば、お義父様分の檸檬風味のクリームサンドクッキーが綺麗に消えていた。
きっとお義父様も気に入ったのだろう。
そこで、午前中にイベリスと話していたことを思い出した。
「そうですわ、お義父様。先日、お義兄様が話していたショコラと言う飲み物が気になっているのです。折角なので、輸入販路を開拓して手に入れられないかと思ったのですが……」
「ふむ……あれは王都でも話題になっていると言っていたな。恐らく流行に敏感な者ならば、皆が挙って手に入れられないかと探ってると思うがなあ」
「まあ、そうですよね……」
私は、お義父様に事の経緯をお話しした。
イベリスの作ったお菓子を持っていくために新作を作るようお願いした件を聞いて、「だから、今日の菓子は何時もと少し違ったのか……」と呟いていた。
正直、イベリスのお菓子は何時も新しさがあるので、私は何を基準にどう比べるのが正解なのかが分からなかったが。
「そういう事ならば、ヘザーを通して王宮の厨房の者等に相談してきてもらうのも手だと思うぞ。彼処ならば、常に流行の最先端が取り入れられるからな。少しは教えてもらえるかも知れん」
「成程!早速本日、お義兄様が帰ってきたら相談してみます。お義父様ありがとうございます!」
「いや何、儂も早くショコラというものを飲んでみたいのでな。駄目ならば他を当たるしかないが、折角ならば意地でも手に入れてみせよう」
そう言うお義父様の顔は、それはそれは嬉しそうだった。
……もしかしなくてもお義父様、私が言い出さなくてもその内手に入れようとしていたんじゃないのでしょうか。
何なら、ある程度の輸入販路、調べてましたよね。
じゃなかったら、いきなり王宮の厨房に打診するなんて案、出てこないと思うんです。
甘い物が誰よりも好きなお義父様のことだ、きっとそうに違いないだろう。
普段は勇ましい姿で国防軍を鍛え上げるお義父様だが、こういう時ばかりは食欲が旺盛なリスのようであった。
リスにしては、いまいち可愛らしさが足りない部分もあるが。
こうして、お義父様との話は終わり、執務室を後にすることになった。
――――――――――…………
「とは言え……私が狙われているって、正直考えたくないなあ」
部屋に戻って本の続きを読もうと椅子に座ったが、先程の牙鼠の件が頭を過ってしまい、なかなか読み進められなかった。
ニレは少しの間休憩の為、この部屋にはいないので、今は人の目がない状態だ。
イベルがちょこんと机に降り立つと、その嘴からカイムの声が聞こえてきた。
〈現に怪しい動きをしている人物がいると判明している以上、警戒をしておくに越したことはありませんよ。ただの変質者で済むとは考えられませんので〉
「そうは言われても……この国の人達で私を知っている人は、出自のわからない拾われ子としか思われていないのよ。今更、私に何のメリットを感じるというのよ」
〈その認識が、実は間違っているのかも知れません。恐らくですが……あの牙鼠、操られていた痕があったのだと思います〉
「――っ!!どういうこと!?」
〈牙鼠は警戒心の強い魔物なので、他の生き物に遭遇したときには逃げることが多いのです。今回のように、離れたところから人間を見つけて襲い掛かるなど、本来ならばあり得ない話です。……まあそもそも、人を使ってまで屋敷に忍ばせた牙鼠が、そこら辺にいるような個体だとは考え辛い話ですが〉
カイムに説明されて、私は今回のことに対する自身の認識の甘さを痛感した。
お義父様は、私が変に不安に思わないように、その辺りの説明は省いたのかも知れない。
そんなこと、少し考えれば分かることなのに。
〈使役者か支配者か……いずれにせよ、魔物を操れる能力を持っていると考えて良いでしょう。まあ、今日辺境伯様を拝見させていただいた限り、歴戦を潜ってきた猛者であると感じました。今回のことも徹底的に調べた上で手を回し、体制を整える方だと思います。私もいざとなれば出ていけますので、当面の間は普段通りで大丈夫ですよ〉
「……分かったわ。警戒を怠らない大切さも、私の警戒心が如何にゆるゆるなのかも」
こんなことで、これから先大丈夫なのだろうか。
思わず大きなため息を一つ零した私に向けて、楽しそうな声で話を続けるカイムの声が聞こえた。
〈自身の足りない所にすぐ気付いて、正そうとする姿勢はとても好ましいですよ。まだまだ成長する余地があるということです〉
2023.12.15 一部誤字修正しました。