菓子専門の料理人
食べ物を美味しそうに表現するのは難しいですね……!
「プリムラ、昨夜の牙鼠の件で少し話がしたい。今日の午後、私の執務室に来なさい」
お義父様からそう言われたのは、翌朝の朝食でのこと。
昨日の牙鼠について、調べ終わったのだろう。
その場にいたニレも一緒に来るように言われた。
勿論断る理由も無いので、分かりましたと返事をしておいた。
午前中いっぱいは自由に動けるので、まずは厨房まで足を運ぶことにした。
厨房に入ると、朝食の片付けをし終わって一息付いている料理人達の姿が見られる。
私に気が付くと、皆が私に挨拶や一礼をしてきた。
そんな彼らに簡単に挨拶をしながら、厨房の奥、食材倉庫の前まで向かっていく。
そこに行くと、お目当ての人物が大きな樽の上で手帳を開きながら云々唸っていた。
「今日は檸檬があるのか……昨日と同じように、クリームチーズを使えば、爽やかなケーキにならないだろうか……。いやしかし、檸檬は蜂蜜とも相性が良い……」
「おはよう、イベリス。今少しいいかしら?」
「!!……これはこれはお嬢様!おはようございます!」
私の声にバッと顔を上げたイベリスは、慌てて樽から飛び降りて元気よく挨拶をする。
私に挨拶をするためにわざわざコック帽を脱ぐと、彼の黄褐色の髪が顕になった。
少し長めの髪は後ろで一括りにしているが、強い癖毛なのでふわふわと揺れていて、彼自身がお菓子であるような雰囲気を纏っている。
彼はお菓子好きが高じてか、結構ふくよかな体格をしているのだが、思いの外俊敏に動けるようである。
「こんな所までわざわざ……如何なさいましたか?昨日お渡しした菓子に、何か問題でもございましたか?」
「そんなことはないわ!昨日のお菓子も、どれも美味しかったわよ。余りにも美味しくて……全部食べちゃったくらい」
「おやまあなんと!とても嬉しい言葉を頂けて光栄な思いです!しかし、菓子を渡している身で恐縮なのですが……食べ過ぎにはお気を付けくださいませ」
コック帽をくしゃくしゃにする程の力で握り締めつつ、やや早口で話すイベリス。
ちなみに、彼は口癖なのか、よく「おやまあ!」や「なんと!」を多用する節がある。
どうもシュテルンベルクに集まる人間は、優秀だが圧が強めの人間が多い気がする。
そもそも当主がそういう人柄であるからだろうか。
「ご心配ありがとう……それでね、一つお願いがあるの」
「なんでございましょう!」
「実は……今度、ユーフォルビア殿下と会う約束をしていて、手土産に貴方の作る菓子を持っていければと思っているの」
今朝、お義兄様にユーフォルビア殿下への手紙をお願いした。
お兄様は、第二王子であるミムラス殿下の元で文官としてお仕えしている。
その為、書類の受け渡しの関係上、スターチス様やユーフォルビア様にお会いする機会も多いのだ。
手紙には、お誘いのお礼と共に都合の良い日を幾つか挙げて書き、我が家自慢の料理人が作った菓子を持参する旨を書いてある。
事前に手紙に書いておけば、王宮の方々も毒味等の準備ができると考えたのだ。
万が一却下される場合もあるが、あのユーフォルビア殿下のことだ……絶対に食べると言って聞かなくなると思う。
「おやまあ!そんな、王族の方に私の菓子を食べてもらうなんて……!私のような半人前の作った物を持っていくのは、色々と大丈夫でしょうか」
「イベリスの作った物は超一流よ!それに殿下は学園時代、私がおやつに持っていってた貴方のお菓子をよく食べたがっていたので、何度かお裾分けしていたのよ」
「なんと……!!」
そう、何を隠そう殿下はもう既にイベリスのお菓子の腕前をご存知だ。
なんなら相当気に入っていたようで、度々私に強請ってはお菓子を召し上がっていた。
……何故か、私が殿下の口元までお菓子を運ぶのもセットだったけど。
イベリスは、身に余る光栄ですと、それはそれは嬉しそうに零していた。
「それでね、折角だしお菓子を何種類か用意してもらおうと思ってるんだけど……殿下の好みとかもあるじゃない?いつも貰っているお菓子とは別に、暫く色々なお菓子を多めに作って貰えないかしら?ほら、ニレやお義兄様と相談しながら、持っていくお菓子を決めたいの」
「ふうむ…………」
イベリスは顎に手を当てて考え込んでいる。
今までこんなお願いはしたことはなかったので、色々決めかねているのだろう。
表向きはユーフォルビア殿下の為を思っての体で話をしたが、真の目的はカイムの食事の確保である。
本当ならばお菓子ばかりだと栄養が偏るので、普通の食事も用意してあげたい。
ただ、如何せん私自身の食は細いので、間食は普段イベリスのくれるお菓子だけで事足りていた。
それなのに突然毎日のように軽食を頼んでしまったら、きっと怪しまれるだろう。
一応、明日は街へ買い物に出ようと考えているが、なるべく日持ちのするものですぐ手に入りそうなもの……と考えた時に、今回の作戦を考えついたのだ。
ユーフォルビア殿下に食べてもらえることも名誉ではあるが、イベリスに快諾してもらえるよう、もう少しメリットを感じさせたい……。
「……そうだ!最近王都で噂になっているショコラって知ってる?」
「――――……!!」
ふと思い出したのは、先日お義兄様が教えてくれた、王都に新しく開店した貴族向けのカフェの話だった。
海を超えた遠い国では、ショコラという飲み物が流行っているらしく、そのショコラをメニューに取り入れたと聞いている。
どうやらイベリスも知っていたようで、ショコラという言葉を聞いた瞬間にくわっと目が見開かれた。
まるで彼の深緑色の瞳が強調されているように大きく見開いている。
噂では、見た目は泥のようにも見えてインパクトがあるらしいが、とても甘くてスパイシーな味がするらしい。
ずっと密かに気になっているのよね……それに、一緒に話を聞いていたお義父様も気になっている様子だった。
「輸入経路や予算を調べる必要があるけど、お義父様にも相談して、ショコラを卸して貰えるように――……」
「やりますっ!お嬢様、やらせてくださいっ!!」
私が話終える前に即答するほど、見事にイベリスは食い付いてくれた。
お菓子に関しては、美味しい物を作るために日夜研究し続けている彼である。
飲み物とはいえ甘い物ではあるショコラは、前から目をつけていたのだろう。
……これは少々出費が嵩むのを覚悟しつつも、確実に輸入販路を開拓しなければならなそうだ。
実はこれでも、領地で昔から伝統ある工芸品を作っている家や、才能がありそうな芸術家などに向けての出資や支援をしている。
最初は初期投資の為にそれなりのお金が出ていくが、私が厳選した上で支援・投資した所は皆問題なく軌道に乗っている。
そのおかげで細々とではあるが収入も増え、結果お小遣い稼ぎにはなっているのだ。
明日の外出も、元々は私が出資をしている染物屋に用があったので、その次いでに行こうと思っていた。
私自身は必要ないものは買わない主義だし、そもそも将来どうなってもいいようにお金は貯めていたので、それなりの蓄えがある。
今回のカイムの食料問題に関しては、私の将来に関わることなので、こういう時にこそお金を使うべきなのだ。
大々的にやるつもりはないが、新たな事業への投資だと思って、ショコラの輸入販路開拓に向けて始動することにした。
「ありがとう、イベリス。今日の午後、お義父様と話す予定があるから、早速そこで相談してみるわね」
「ありがとうございます!このイベリス、お嬢様と王女殿下のために腕によりをかけて美味しいものを作りたいと思います!」
イベリスは私にお礼を言った後、鼻歌を歌いながら食材倉庫へと消えていった。
足取りもとても軽やかだったので、これでお菓子の確保はこれで大丈夫だろう。
私の我儘でお願いしているので、せめて試作用の材料費も私から出すことにしよう。
私も皆の邪魔にならないように気を付けながら、厨房を後にすることにした。