夜のお茶会 一回目②
「そういえばカイム、起きたばかりだからお腹が空いているんじゃない?厨房の者に、焼き菓子を分けて貰ったの。少ないかもしれないけれど、よければ食べて」
「ご配慮いただき、ありがとうございます。これは……美味しそうな菓子ですね」
カイムを促しながら、部屋に置いてあるソファへ向かい合わせに座る。
テーブルには、様々な種類の焼き菓子が入ったバスケットを置いていた。
これは、我が家の菓子専門の料理人であるイベリスに作って貰ったものである。
シュテルンベルク家の者は皆、甘い物が好きなのでわざわざ菓子専門の料理人を雇っている。
その我が家甘味事情において重要人物であるイベリスだが、料理人にしては変わったタイプで、「お菓子作りはいかに配合や手順を極めるかが重要だ」と豪語している。
貴族向けのお菓子は勿論、庶民向けのお菓子もくまなく調べては、一番美味しい食材や分量はどんなものかを探究しているのだ。
正直、料理人いうよりは、研究者という言葉がぴったりである。
そんなイベリスが分けてくれたのは、林檎と肉桂のパウンドケーキ、梨とクリームチーズのケーキ、紅茶入りのワッフルだ。
焼き菓子だから日持ちはすると言い、定期的に――と言っても、ほぼ毎日なのだが――大量に作っては分けてくれるので、時折小腹が空いた時にニレと摘むのだ。
ちなみにこのバスケットには、誰よりも甘い物が大好きなお義父様の指示で、わざわざ状態保存の魔法が掛かっている。
シュテルンベルク家では、それほど甘い物は重要なのだ。
「……このケーキ、林檎の甘酸っぱさと肉桂の独特な甘さがうまく合わさっていて、とても美味しいです」
「良かった。甘い物、苦手だったらどうしようってちょっと心配していたの」
「甘い物は結構好きなのです。頭を使った後などに食べると、疲れが取れますからね」
「ふふっ、よく分かるわ」
いい雰囲気で話の続きができそうだな、と思っていた矢先、部屋の外から何かが叩きつけられて割れたような音が聞こえてきた。
――こんな夜遅い時間に、一体何の音だろうか?
少しずつ、廊下の方から人の声がしてきた。
何か緊急事態でも起きたのだろうか。
「……困ったわ。もしかしたら、この部屋にも安全確認のために人が来るかもしれない。カイム、一度伏魔殿に戻ることは可能かしら?」
「承知しました。一応、イベル……この鶫を残しておきますので、私はそれを通して様子を見させていただきますね」
「分かったわ」
急いで二人で立ち上がり、再び窓際に立つと、カイムが私の影の上に立つ。
出入りのコツを掴んだのであろう彼は、一瞬にして伏魔殿へと姿を消した。
私は、部屋にかけてある魔法を一度解いた後、部屋の外の様子を探るために、扉の近くまで行って聞き耳を立てた。
しかし、小さい声で喋っているのであろう、会話が上手く聞き取れない。
「プリムラ様、夜分に失礼致します!ニレです!」
扉を強めに叩きつつ、慌てたような声で私を呼ぶ声が聞こえたので、自分から扉を開けると、息を少し切らしているニレが立っていた。
「ニレ!一体何の騒ぎ?」
「それが、牙鼠が侵入したとのことで……先程の大きな音は、廊下に飾っていた花瓶を落として割った音だそうです」
「牙鼠ですって?」
牙鼠とは、鼠型の魔物である。
普通の鼠と違うのは、小型の犬程の大きさであることと、鼠の代名詞とも呼べる前歯の代わりに二本の大きな牙が付いているのだ。
低級の魔物ではあるが、やたらすばしっこく、噛まれるとかなり痛い上に、麻痺状態になることがある。
そんな魔物が、夜遅くに屋敷の中にいるとなると少々厄介だ。
「とにかくっ、急いで扉を閉めましょう。牙鼠が入ってくるかもしれません!」
「ならニレも一緒に中へ――……っ!!」
「えっ!?プ、プリムラ様!?」
ニレを急いで部屋へ招き入れようとしたその時、何かが視界の端で素早く横切った。
思わず目線を其方にやると、今まさに話をしていた牙鼠がこちらへ向かってくるのが見えた。
ニレは牙鼠に背中を向けているので気がついていない上に、運悪く護衛達が離れてるのか、他に誰もいなかった。
咄嗟に彼女の腕を引っ張って中に引き込んだが、牙鼠のスピードが思っていたよりも速く、扉を閉めるのが間に合わない。
目標をこちらに定め、口を大きく開けながら突進してくる。
せめて彼女が噛まれないよう、場所を入れ替わるように覆い被さり、来るであろう痛みに備えてギュッと目を瞑った。
〈――――……劣弱な鼠如きが、プリムラ様をそう容易く傷付けられると思うな〉
「――――――……え、」
――――――――ヒュッ
耳元で聞こえたのは、感情を削ぎ落としたようなカイムの声と、風を切るような音。
そして少し遅れて、ボッと何かが燃える音と匂いがした。
思わず目を開ければ、勢いよく此方に向かっていた筈の牙鼠が、黒焦げになって息絶えている姿が目に入った。
ニレもそれに気付いて、ひっと小さく悲鳴を上げる。
思わず周りを見渡したが、カイムの姿は無く、代わりに居たのはイベルと呼ばれていた鶫だけだった。
イベルは、黒焦げになった牙鼠を嘴で何回か突いた後、敏速に此方へ飛んできて私の肩に止まった。
〈プリムラ様、大丈夫です。もう事切れております〉
イベルからカイムの声がしたことに驚く。
そういえば、イベルを通して様子を見れるって言ってたけど、イベル越しに会話もできるんだ。
その上、牙鼠の状態を鑑みるに、魔法や能力も多少は使えるということだ。
魔王の側近を謳っている彼は、想像していた以上に魔法や能力の熟練度が高いことが伺えた。
「プリムラ様っ!申し訳ございません!身を挺してまで私を守って頂くなんて……!」
「プリムラ!」
「プリムラ様、大丈夫ですか!?」
ニレが私に慌てて謝罪をしている合間に、お義父様とアナットが駆け寄ってきた。
どうやら、アナットがお義父様に牙鼠が出たことを報告しに行ったらしい。
お義父様が包囲する為の指示を出している途中で、私の部屋の近くから花瓶の割れた音がした為、二人で此方まで来たとのことだった。
「ご心配ありがとうございます。私とニレは大丈夫です」
「プリムラ様が此方に近付いていた牙鼠に気付き、私を守りながら火魔法で退治してくださいました。本来守る立場の人間が、守られる側になってしまい、申し訳無く思います……」
「え、あの――……」
「気にするでない、ニレ。どれだけ鍛えている人間でも、不意打ちや死角からの攻撃は反応が遅れてしまうものだ」
牙鼠を倒したのは私ではない。
そう言おうとしたのに、お義父様に遮られてしまい、それが叶わなかった。
どうしようかと思ったが、よくよく考えれば本当のことを説明するのは難しい。
それに、イグニは隠蔽魔法が掛かっているのか、誰にも認識されていない。
幸いにも、誰も私じゃない誰かがやったことだとは気付いてなさそうなので、私はそのまま黙っていることにした。
「ルバーブ様、此方に牙鼠の死骸があります。こちら、如何いたしましょうか」
「アナット、それはそのまま持ち帰って調べることにする。…………どの様にして、この屋敷に迷い込んできたのか興味があるのでな」
「承知いたしました」
お義父様の指示を聞いたアナットは、遅れて集まってきた警備の者に指示を出し始めた。
この屋敷の敷地には至る所に魔物除けの魔道具が設置されている。
国境沿いにある領地の為、かなり強力な物を漏れのない様に設置してある筈なのだが……何故入り込めたのだろうか。
本来ならば、牙鼠なんかがこの屋敷に迷い込むなんてことはあり得ないのだ。
お義父様は、恐らく何か別の理由を考えてそのような指示を出したのだと思う。
「プリムラ、咄嗟の判断とは言え、牙鼠を駆除できたのは偉かったな。念の為もう一度護衛に見回らせる」
「……お褒めの言葉、ありがとうございます」
「ニレも、プリムラを心配して動いてくれたのだろう。感謝する。もう気にするな。後は儂らが動くから、二人とももう休みなさい」
お義父様はそう言うと、護衛達に追加の指示を出し始めた。
ニレは再度私に謝罪してくれたが、気にしないよう言い、部屋に戻るよう伝えた。
私も部屋に戻って扉を閉め、外に人の気配が居なくなったことを確認してから、漸く肩にいるイグニに声をかけた。
「カイム、さっきはありがとう。貴方の手柄を奪ってしまったようで、少し申し訳ないわ」
〈お気になさらず。プリムラ様にお怪我が無く、本当に良かったです〉
「凄いのね、イグニって」
〈私の魔力でできていますからね。スラシュル家では、家の象徴である鶫を魔力で作って操作できるようになると、一人前の証なのです〉
どうやら、イグニは一族に伝わる魔法で作られているようだ。
高度な魔力操作が必要になるだろうから、きっと相当な訓練をしたのだろうなと考える。
〈しかし、今夜はお話どころでは無くなってしまいましたね……〉
「仕方ないわ。それに、話すことはたくさんありそうだもの。……暫くは、夜のお茶会を楽しみましょう」
〈……そうですね。私も、明日以降は日中でもお話ができるようにしたいと思います。イグニを通じてになるとは思いますが〉
「助かるわ。……あ、お菓子、もし良かったら残りもそっちに持っていかない?」
〈ありがとうございます。是非、そうしていただけると助かります〉
私は、お菓子をバスケットごとカイムに渡した。
私の影からカイムの腕だけ出てきた時は、軽くホラーだと思ってしまったが、これでひもじい思いをさせることはないだろう。
……明日からイベリスに上手く言って、カイムの食料確保をしていこう。
そう心に誓いつつ、今日は眠りにつくことにした。