私のやるべきこと
後半、別視点で話が進みます。
セージ様は、険しい顔で話を続ける。
「まず、変装魔法と色付き眼鏡で色を変えているお嬢様の正体に気付いていることが厄介です」
「中央広場には怪しい人は居なかったわ。いるとしたら、多分矢羽鷹が飛んで行った場所に居ると思うの」
「それなら尚更、相手には用心しなければなりませんよ。変装魔法は貴族だけが使う中位魔法ですので、普通の平民で気付ける者はそうそう居ません。……そういった貴族の事情に関わっている者以外は」
貴族の事情に関わっている平民とは、即ち裏の世界での稼業を生業としている者のことだ。
裏から手を回して自身の立場を有利にしたい貴族。
弱みに付け込まれてそういった事をせざるを得ない平民。
どのような経緯で裏の世界に入るかは様々だが、どんな理由であっても一度入れば抜け出ることは難しいと聞く。
「加えて、中央広場に姿はなかったのにも関わらず、お嬢様のみを狙うことが出来た……それが意味するのは、相手が使役の能力を使って矢羽鷹を操っている可能性が高いということです」
「使役を使っているって分かるのですか?」
「昔から鳥狩りは、一部の貴族の間で人気なのです。幼いころに親の伝手で見せてもらったことがあります。鳥使いが鷹を操る場合には、獲物の動きをよく見て鳥を放たなければならないと教えてもらいました。北の方に向かったのであれば、かなり離れた距離からお嬢様に向けて鷹を放っていることになります。一般的な鳥狩りの方法では無理かと」
「……つまり、使役を使って矢羽鷹を操っている場合、遠くからでも標的を逃さずに狙うことができるということですね」
「ええ……とにかく、本当にそのような者がいるのかどうか炙り出すしかありません。その方法をどうするかが一番悩ましいところですが」
ふと、一昨日の牙鼠の一件を思い出す。
本当に使役が使える者の仕業ならば、一匹だけ侵入させられたあの牙鼠は、やはり同じように操られていた可能性が高くなってくる。
もしかすると、こちらを襲ってこようとした時も、その者がそう指示していたのかも知れない。
背中が少し寒く感じてきたのは、走ってかいた汗で冷えたからではないのは分かった。
同時に、私がこのままセージ様と一緒に向かっていくことはいかに愚策であるかも。
ふと私の肩に慣れた重みを感じる。
〈プリムラ様、お待たせいたしました。矢羽鷹は街の外にある雑木林の中へ入って行きました〉
どうやらイベルが戻って来たようだ。
矢羽鷹が飛んでいった場所が特定できたようである。
「セージ様……今のお話を聞いたところ、私がこのまま一緒に向かうのは返って迷惑をかけてしまうと考えました」
「お嬢様……」
「私、このままここで待ってニレと合流したいと思います。セージ様は、北門から出た雑木林まで向かって下さい」
「……分かりました。矢羽鷹に関しては、私にお任せください」
「よろしくお願いします」
セージ様はそのまま走り出し、北門の方へと向かっていった。
実戦経験のない、しかも標的にされている私では、すぐに捕まってしまうのが関の山だろう。
だから、これでいいのだ。
頭ではそう分かっていても、自身の不甲斐なさに思わず両手で握り拳を作ってしまう。
泣いている場合ではないのに、じわじわと目から涙も溢れてくる。
(……こんなことなら能力の練習だけではなく、魔法の実戦的な練習ももっとやっておくべきだったかもしれない)
召喚さえ使えるようになればどうにかなると、楽観視していたところがあったのだと思う。
自分で領民を守るつもりでここまで走って来たのに、結局自分では出来ないからとここに留まってしまった弱い自分が恥ずかしい。
仮にもシュテルンベルグ家の娘とあろう者が情けないと、自分で自分を叱りたい気分だった。
〈……プリムラ様、涙を流すのはもう少し足掻いてからに致しませんか?〉
「――っ!? ……ど、どういうこと?」
肩に止まっていたイベル越しにカイムが話し出す。
見られていたことが少し恥ずかしくなった私は、咄嗟に指で目を拭って鼻を軽く啜った。
そんな私を見たのであろう、カイムがクスッと笑った声が聞こえたような気がしたが、気付かないフリをする。
〈先程聞いていた様子だと、プリムラ様は実戦経験がないのですね?〉
「……そうよ。恥ずかしい話だけど、召喚の練習ばかりしていて、実戦練習はほとんどやって来なかったわ」
〈ならば、今この時から練習していけば良い話です〉
「今この時からって……まさか、矢羽鷹やそれを操っている相手を練習台にしろってこと!?」
〈はい、その通りです〉
この間の牙鼠ですらカイムに助けてもらってなんとかなったのに、矢羽鷹などそう簡単に倒せるわけがない。
しかも、使役の能力を持った者が危っている可能性が高いのだから、さらに危険度は増す。
だが、カイムはそれをしろと言うのだ。
〈私が出ていって良いのであれば、すぐ終わらせることもできるでしょう。ですが、私が外に出てしまえば、プリムラ様が魔族であることが皆に知らされてしまう……それは望んでないのですよね?〉
「ええ、今はまだあなたの事について誰にも言えないわ」
〈それに、今回のことがどうであれ、誰がプリムラ様を狙っているのか分からない以上、また狙われる可能性も考えられます〉
「それは……そうかもしれない」
〈プリムラ様は、誰かに守られ続けることをお望みで?〉
カイムの言葉に思わず何も言えなくなる。
誰かに守られ続けるだけの生き方など出来ないと、自分自身が一番分かっているからだ。
今の私の気持ちを見透かしているのかさえ思ってしまう程、彼の言葉は核心をついていた。
〈そうですね……まずは、自身の身を守る術を学びましょう。それができるだけでも、プリムラ様のこれからが変わると思うのですが、いかがでしょうか〉
「私のこれからが、変わる……」
そんなに上手くいくだろうか、という不安はある。
でも、もし相手が油断して攻撃して来たところを、自分で防ぐことができたら相手は怯むのではないかとも思う。
そうすれば、矢羽鷹やそれを操っている人物を捕まえる一手になる可能性は高い。
「……私なんかに、できるかしら」
〈おや、不安なのですか?……少なくともこのカイム、プリムラ様が出来ないと判断していたらこのような提案は致しませんよ〉
不思議なことに、カイムに言われるとなんだかできるような気がした。
自分の身を守れるようになれば、お義父様やお義母様達に余計な心配をかけることが減るかもしれない。
……それに、私の中で何かが少し変わるかもしれない。
「分かったわ。カイム、私に自分の身を守る方法を教えて!」
〈承知致しました。不肖ながらこのカイム、プリムラ様の指南役を務めさせていただきます〉
「ええ!よろしく頼みます!!」
そうと決まれば、私の行動は早かった。
再び目的地へ向かう為に、全速力で駆け出す。
イベルが私の前を飛んで、最短で雑木林へ行ける道を示してくれた。
目的地に近づくにつれて不安と緊張が高まっていったが、私にだってできることはあるのだと自分に言い聞かせる。
そんな私を見ていたカイムがポツリと溢した言葉に気付く事もなく、ただひたすらに走り続けた。
「……いい表情をしておられる。今のプリムラ様は、魔王様と瓜二つですね」
――――――――――――…………
北門の近くにある雑木林。
その中は一面に様々な木々が生い茂っていて、少し薄暗い。
とある木の上に、帽子を咥えた一羽の鳥が飛んでくる。
そこには、本来あるはずのない一人分の人影があった。
「ようし、いい子だ」
差し出された腕に、鳥――もとい矢羽鷹は素直に足を乗せて羽を休める。
矢羽鷹は咥えていた帽子をその人物に差し出すと、嘴で羽を繕い始めた。
矢羽鷹の首の辺りには、水色の使役の首輪が淡く光っていた。
その者は受け取った帽子を鼻に近づけ、スンスンと匂いを嗅いだ後、ニヤリと口角を上げる。
「……やっぱりな。あの屋敷に牙鼠を潜り込ませた時、嗅いだ匂いと同じだ。間違いなくあのお嬢さんが標的だな」
ヒラヒラと帽子を振る表情は、自分に運が回って来たと考えているような上機嫌のものだった。
正直、この者が今回の依頼を受けた時は乗り気ではなかった。
高位貴族とはいえ、「歩く要塞」と呼ばれる辺境伯の娘を攫うリスクの高さに疑問を抱いていた。
しかも、本当の娘ではなく拾われて育てられた娘だというのだから、そこまでする価値を感じなかったのだ。
だが、自分はどんな依頼も完璧に遂行することを信条にこの仕事をやっている。
余計なことを考えず、いかになるべく手間と時間をかけずに終わらせるかを考えて遂行するのだ。
そして、今回も思いの外早く依頼が終わりそうだなと思った。
「……ん?僅かだが何かが近付いて来ている気配がするな。矢羽鷹がここにいるのに近づいて来るってことは、魔物じゃねえな……」
ここは大物はいないが、下位魔物がちらほら生息している。
この雑木林の生態系における矢羽鷹は、上位に近い存在である。
そんな矢羽鷹がいるにも関わらず、この場所に来るのは下位の魔物ではないだろう。
存在を気取られないように魔力の放出を抑えているので、そうそう見つかる心配はないと考えたが、念の為その者は息を潜めながらあたり一帯を見回してみる。
すると、そこには例の標的と共に行動していた男が歩いているのが見えた。
辺りに警戒しながら用心深く歩いている姿は、どうやらただの付き添いではないのが伺える。
大方、標的に付いていた護衛の内の一人だろう。
「――……チッ 流石にお嬢さんは一緒に来なかったか。まあいい、あの男を利用すればお嬢さんにもすぐ会えるはずだ」
その者は腕で休んでる矢羽鷹の眼に手をかざし、掌から魔力を通して命令をする。
その命令は掌を外した瞬間、あそこに居る男に攻撃をしろというものだった。
魔力が送られたことで、使役の首輪の光が少し強くなる。
ごくりと唾を飲み込みながら、矢羽鷹を放つための隙を見極める。
「――――――っ!?」
その瞬間、標的にしていた男のギラリとした目がこちらに向いた。
普通の人間であればこちらの気配や姿は分からない筈なのに、男の殺気だった視線は確かにこちらに向けられている。
この男は只者ではないのだと、即座に理解できた。
「流石、歩く要塞が当主をやってる家の護衛だけある……一筋縄では行かないか」
それでもその者が何処か嬉しそうなのは、久しぶりに全力を出せそうな人物に出会ったからだろう。
僅かな静寂が辺りを包み込んだ後、その者は矢羽鷹にかざしていた手を勢いよく外したのだった。