交易都市・カイエン
街に入る関係で、街の様子等の説明が多くなっています。
ご了承下さい。
カイエンの南側にある門を潜ると、それまで見ていた景色とは一変し、人の波と喧騒に囲まれる。
この街は交易都市の名の通り、他領との交易品もよく売られている程の大きな市街である。
国境にある領土でもあるので、時折トードリリー帝国やカーフィルライム共和国からの輸入品も出回っているのだ。
街の中心部は中央広場があり、この時期は大きな花壇にシュテルンベルグ家の家紋に使われているキバナタマスダレが咲きこぼれている。
その花壇の周りに行商人が広げる露店や出店を、ゆっくりと見て回るのも街の楽しみ方の一つだ。
南側の門から始まって、広場の周辺は繁華街が続いている。
飲食店や花屋、服飾店等の様々な店が軒を並べているのだ。
中央広場から東側へ行くと、各ギルドのギルドハウスと工房などが連なるエリアになり、繁華街とは少し違った雰囲気を見せている。
西側は住居区域になっているので、そこから中央の広場を抜けて東側へ職場へと向かう人が多い。
そして、北側にはこの街を利用する商人や冒険者の為の宿もあるのだ。
本日は、この広場や繁華街を中心に買い物をして回る予定である。
しかし、ここで早速私の計画の甘さが露呈する。
表向きは、イベリスが新作のお菓子を作るに当たって、参考になりそうな食材を買ってくるということになっている。
しかし本来の目的は、カイムの必要な物を購入すること。
事情を知らないニレやセージ様が同行している中、お菓子作りに全く関係のない食材を購入するにはどうすればいいのか、全く考えていなかったのだ。
傍で同行しているのはこの二人だけで、馬車の御者に扮した護衛の二人は、少し離れたところから様子を伺っているらしい。
だからといって、皆を撒いて単独行動をする度胸や実力など、生憎私には持ち合わせていない。
ただでさえ怪しい人物に狙われているのにそれは許されないだろうし、下手をすれば二度と外出させて貰えない可能性もある。
「おじょ……ジュリアン、先ずはお腹も空いているだろうし、腹拵えでもしようか」
「え、ええ、そうね」
考え事をしていたせいで、私の正体がバレないように砕けた口調で話しかけてくれたセージ様に対して、歯切れの悪い返事をしてしまった。
ちなみに、ジュリアンというのは昔から使っている私の偽名である。
私の返事を横で聞いていたニレが、心配そうにこそっと耳打ちする。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「ううん、大丈夫。何を買おうか今から楽しみで考え事してただけよ」
「……そうですか」
じとっとした視線が顔に刺さるが、負けじと何事もないと満面の笑顔で返す。
どうもニレは、長年私の侍女を務めているからなのか、私の些細な感情の機微まで読み取っている節がある。
恐らくカイムのことがバレるとしたら、彼女が最初だろう。
勿論、バラすつもりはないのだが。
私はこれでもシュテルンベルグ家の中では、貴族的な態度を装うのは得意な方だ。
むしろ、苦手なのはお義父様やその弟のオレガノ様位かもしれない。
あの二人は貴族的な腹芸が出来なくとも肝心な時は敏いし、その実力で周りを黙らせることができる稀有な存在だからだろうか。
一方お義母様は、ローダンセ王国の南側にある海沿いの領地を持つデンファレ公爵家の三女として育てられたので、社交界では如才ない立ち回りを見せる。
そんなお義母様を間近で見ていたので、お義兄様も私もそれなりに弁えた立ち振舞いを心掛けている。
まあお義兄様はともかく、私なんかはちょこちょこ悪意に晒されることがあったので、身に付けなければやっていけなかったという理由もあるのだが。
だが、シュテルンベルグ家の中でとなると話は別だ。
少なくとも家族や私が信頼を寄せている者達は、そのような態度を取る必要がない。
私が唯一気を許せる空間なのである。
反面、うっかりすると隠し事をしているのがバレやすいので、カイムの存在がバレないよう気を付けなければならない。
いずれは話す必要があるのかもしれないが、今はまだその時では無いと考えている。
「そしたら、折角だし中央広場まで出た方がいいだろう。彼処には歩き食べが出来るようなものを売っている屋台も出ているからな」
「わあ……っ!楽しみっ!」
「……もう、ジュリアンったら。食べすぎないようにね」
屋台という言葉に、思わず胸を躍らせる。
一度、屋台での買い食いをしてみたかったのだ。
礼儀作法も気にせず、思い切って出来たてのものを食べるということに憧れていたからである。
貴族の食事では、出来たてを食べるということがまず無い。
食べるものが安全かどうかのチェックが入るからだ。
それでも今は、毒探知や解毒作用のある魔道具が開発されたお陰で、以前より毒味などの手間が減ってはいるらしい。
それでも、スープはもう少し温かくてもいいなと思ってまうこともある。
私の余りの喜びように、さっきまでの会話が飛んだのだろう。
苦笑いをしたニレから釘を刺されてしまった。
食べ過ぎるつもりはないが、隙を見てカイムにもお裾分けをするつもりでいるので、結構買うことになると思う。
二人に怪しまれないように気を付けることにした。
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「屋台の食べ物って、こんなに美味しかったのね」
「気に入ってもらえたのなら何よりですよ」
中央広場で最初に買ったのは、フリローレンという揚げたパンだった。
パン生地を平く伸ばして油であげ、それに具材を乗せて巻いて食べるらしい。
具材はチーズ類、ウインナー、ベーコン、野菜類といった食事系のものや、肉桂や蜂蜜、果物の甘露煮を塗った甘い系のものもあった。
私は沼酢塊、ニレは洋梨、セージ様はウインナーと萵苣、赤茄子をそれぞれ頼んだ。
出来上がったものは蝋引き紙で包まれていたが、揚げた時の熱がまだ残っていて温かかった。
このままかぶりついて食べると教えてもらいその通りに食べてみると、表カリッとした表面の歯ごたえを感じた後、パンが吸っている油がジュワーと出てきて口の中に広がった。
それが中に巻いてある沼酢塊とクリームチーズの甘さによく合っていた。
甘露煮は香辛料のような独特の甘い香りもしたので、蜂蜜だけで作ったものではないらしい。
ニレやセージ様のフリローレンも美味しかったようだ。
これだけでもボリュームがあるので、すぐにお腹いっぱいになってしまいそうだ。
「ジュリアン、そっちの屋台で果物の蜂蜜漬けを炭酸水で割った飲み物が売られてたから買ってきたわ」
「わあ、ありがとう!」
木でできたコップを受け取ると、炭酸水の泡がシュワシュワと音を立てて弾けているのが聞こえる。
この飲み物の名前はフルーツソーダと言うらしい。
中を見れば、様々な果物がその泡の勢いで揺れていた。
炭酸水はシュテルンベルグ領の南西に隣接するペッパー侯爵領の特産品である。
シュテルンベルグでは、周辺に領地を持つ貴族とは交流を持つようにしており、ペッパー侯爵家とは長い付き合いらしい。
向こうもトードリリー帝国と近い為、いざと言う時のためにこちらとの交流を大切にしているのだと考える。
その見返りの一つとして、侯爵領の特産品である炭酸水を融通してくれている。
フルーツソーダを一口飲めば、口の中で泡が弾けるのと同時に、果物と蜂蜜の甘さが広がる。
私は、スッキリとした後味を感じられるぐらいの冷たさになっていることに驚いた。
このような屋台では、温度管理が難しい筈だ。
「これ、美味しい上に冷たいわね。どうやって冷やしてるのかしら」
「何でも、店主が冷却のスキルを持っているらしくて、それで温度管理をしているようです」
「成程!そんなスキルの使い方もあるのね」
冷却というスキルは、水魔法の派生系である氷魔法が使えるスキルである。
氷魔法のスキルでは一番威力は弱く、割と持っている人も多いが、そのスキルを持っていないと氷魔法が使えないので重宝される。
平民では運送業、料理人等になる時に持っていると喜ばれるスキルだ。
恐らく店主は料理人としてそれなりに働いた後、独立して立ち上げた屋台なのだろう。
そのまま務めていても良かっただろうに、店主はな中々のチャレンジャーだ。
ニレが教えてくれた方を見れば、それなりの長さの列が出来ていた。
「冷却か……ワインとか冷やしてくれたらめちゃくちゃ有難いスキルだな」
「そうなのですか?」
「ああ、酒は冷えてると上手いんだ」
「成程……」
この国でお酒は、18歳で成人を迎えてから飲めるようになる。
但し、成人して最初の二年間は、その者が成人として相応しいかを周囲に見極めてもらう期間があるので、行事や祝祭、新年を祝う時にしか飲ませてもらえないのだ。
成人した者は、必ずその年のワインを二本買い、一本は成人の祝いで開けて残りは閉まっておくしきたりがある。
そうして二年経った時に残りのワインを家族と一緒に飲むことで、ようやく大人の一員として認めて貰えるのだ。
お酒が飲めない体質の人もいるらしいので、その二年の間に自身はどうなのか見極めるという理由もあるらしいが。
この国の言葉で「酒の悪魔に弄ばれる」というものがある。
お酒を飲み過ぎて失態や失言が見られたときに使う言葉で、駆け引きが必要な貴族の間では嫌忌されることの一つだ。
そういった事態を避ける為にも、
話は逸れたが、私はお酒が飲めるようになるまであと一年あるので、セージ様の言っていることがまだ理解しきれない。
ただ、お酒を嗜む人達にとっては、有難いスキルなのだろう。