染物屋にて③
所用で更新が遅くなりました。
後半は、カイム視点の話になっております。
「その内、娘さんともお会いしたいけど……まだ連絡は返ってこないのかしら?」
「ジニアはねぇ……誰かさんに似て、のめり込むと止まらないタイプだから……」
マネッチアが頬に手を当てながら、困った様な顔でため息を吐く。
マンサック夫妻には私と一つ違いの一人娘、ジニアが居る。
見た目はマネッチアと同じ色合いで、可愛らしい笑顔が印象的な元気いっぱいの娘さんらしい。
そんなジニアは幼い頃から服飾士になりたいらしく、その情熱はマンサックが染色に向けるそれと同じだと聞いたことがある。
自分でデザインした図案や服を持って、王都にある有名な服飾工房「マドンナ・リリー工房」に単身飛び込んだというのだから、とても度胸のある娘さんである。
そこの女性工房長であるマドンナ・リリーが、ジニアの度胸と腕を買って弟子にしてもらったとのことだ。
その生活が楽しすぎてなかなかこちらに手紙すら寄越さないと、マネッチアが嘆いていたのは何時のことだったか。
「俺の親みたいに、師匠宛で女将さんから送った方が、返事が返ってくるかもしれないッスよ」
「成程ねえ……本当に一回、マドンナ・リリー様宛に送ってみるかねえ」
ボリジが出したアドバイスは、自身の経験から来るものだろう。
確かに、「娘から全く手紙の返事がないのですが、元気に過ごしているか教えてくださいますか?」なんて師匠宛に届いたら、ジニアからしてみればとても恥ずかしいし焦ると思う。
マネッチアもわりと真剣に考えているから、せめてジニアがマドンナ・リリーから大目玉を食らうことがないように、私は心の中で密かに祈った。
「アイツの返事がないのは、まあ元気にやってる証拠だろう。その内、突然大騒ぎで帰ってくるだろうよ。その時はお嬢ちゃんに会わせられるようにするさ」
「ふふっ、その時を楽しみにしているわ」
「さあ、長く引き止めちまって悪かったな。また何かあれば連絡させてもらう」
「ええ、私も何かあれば連絡するわ。では、御機嫌よう」
そろそろ此処を出なければ、きっとマンサック達にも迷惑だろう。
そう思って最後の別れの挨拶をする。
私の挨拶の後に、セージ様とニレも挨拶を続けた。
「マンサック、今日は会えて良かった。またお嬢様が此処に来る時は、きっと俺も来よう」
「おう、待ってるぜ」
「では、マンサック、マネッチア、ボリジ。今日はありがとうございました。次を楽しみにしています」
こうして、私達はマンサック家を後にし、このままカイエンへ向かうことにした。
余談ではあるが、後日マネッチアが本当にマドンナ・リリー宛に娘を心配する手紙を送ったらしい。
それを読んだマドンナ・リリーが、滅多に見せない怒りの形相でジニアの耳を引っ張りながら工房長室へ連れ込み、長時間お説教を喰らわせるという珍事が起こったとか起こらなかったとか。
そしてマンサックの予言通り、嵐のような騒がしさで帰ってきたジニアと私が遭遇することになるのは、この時はまだ誰も予想していなかった。
――――――――――――…………
プリムラがマンサック達と試作品について話し合っている頃。
カイムは伏魔殿の中から、イベルを通してプリムラやその周辺の様子を観察していた。
この空間は不思議なもので、無限に広がっているようにも見えるが、そういった場所特有の孤独感は感じられない。
その中でどんな体勢を取っていても、宙に浮いて留まっているような状態なのだ。
また、伏魔殿はプリムラの魔力で構成されているので、カイムは自身の魔力を使えないかと思ったが、思いの他使えることにも驚いた。
この空間の魔力構成がどのようになっているのか気になるところではあるが、今の所調べるつもりはない。
カイムは椅子に腰掛けるように脚を組んで座りながら、イベルの双眼越しの映像を見ている。
傍にはプリムラが昨夜の内にくれた焼き菓子やカモミールティーも、見えない机に置いてあるように浮いていた。
その他にも、プリムラが隙を窺っては伏魔殿へ色々な物を送り込んでくれるので、お腹が空いて困るようなことは今のところ無い。
また、衛生面に関しては、清潔魔法を使用することで、服も体も清潔に保つことができていた。
ただこの魔法は、本来兵士や隠密部隊が長期の任務や遠征などの時に使用するものなので、我儘を言えるのならば何処かで汗を流すことができたらと考えていた。
「……本当に、周りから大切にされているのですね」
染物屋の人間や侍女達と熱心に話し合っているプリムラを見て、無意識に言葉がポツリと溢れていることに、彼は気付いていない。
そんな彼の中に広がっている感情は、安心と不安が入り混じっていた。
プリムラに召喚されてから早三日。
カイムはその間彼女を観察していて分かったことがいくつかある。
一つ目は、拾われた先のシュテルンベルグ辺境伯家で大切に育てられてきたことだった。
彼女と関わる者達の目を見れば、その眼差しは優しいものであることがよくわかる。
彼女自身も、色々な苦労はあったようだが、周りの者達の愛情や優しさを一身に受けて育ってきたのだろうと感じた。
些か素直に相手を信じ過ぎるところは、養父であるルバーブを始めとしたその一家の影響ではありそうだが。
二つ目は、大切に育てられてきたが故に、家族や周りの人間を大切にしようとしていることである。
普通の人間でであれば、育ててくれた家族や周囲の者を大切にする気持ちを持つのは当然のことだ。
現にプリムラも、カイムの前では明確な言葉にはしていないが、言葉の端々や態度にはシュテルンベルグ家への恩を返したいという思いが表れていた。
しかし、問題は彼女が本当は魔王国の正当な王女であることだ。
その双眸には、次代の魔王の資格である金色が確かに宿されている。
自身の仕えている王であり、プリムラの実の父親であるゴエティア王と全く同じものであることは、カイムにとっては一目瞭然だった。
「もう17年も経ってしまったなんて、時の流れは残酷だ」
ゴエティアは、故・王妃カレンデュラと長い年月の間想い合い、即位と同時に結婚した。
普段、言動から軽薄な態度に見える王だが、民を想い、国を想い、そして愛する家族を想って上に立つ姿は、色んな者達から愛されていた。
――だからこそ、17年前のあの内乱はゴエティアの心を深く傷つけた。
儚くなった姿で戻ってきたカレンデュラ様の体を、涙を流しながら強く掻き抱いていた背中を、カイムは昨日のことのように思い出す。
プリムラに関しても、どこにも姿が見当たらないとわかった時には、もはや廃人のような顔をしていた。
内乱者の制圧や国葬など、全てが終わった後のゴエティアは、まるで記憶がごっそり抜けたのかと思う程、カレンデュラとプリムラのことについては一切口にしなかった。
カイムを始めとした臣下達は、魔王様の心が壊れてしまったのではないかとずっと心配していたのだった。
そんな理由もあり、カイム自身は、彼女を魔王国へ連れていってゴエティアに会わせたいと考えていた。
そのまま次代の魔王として君臨してくれたら、きっとゴエティアも喜ぶだろうとも。
しかし彼女自身は、魔王にもなりたくなければ、平穏な日々を過ごしていきたいなどと言っている。
きっと今の彼女では、魔王国へ行く提案をしても嫌がるだろう。
カイムにとってのゴエティアと同じように、プリムラにとっての家族や周りの人間は、無くてはならない存在なのだ。
そんな者たちの傍で恩を返したいという気持ちは、痛いほど良く分かる。
だからこそカイムは、様子を伺うことしか出来ない自分自身に少し歯痒さを感じていた。
「できれば、そろそろ魔王国の者達に一報を入れないといけませんね。……夜になったらプリムラ様に相談してみましょう」
流石に、向こうも自分自身のことを捜索しているだろうと、カイムは考えている。
こちらもプリムラの生存のことだけではなく、他に報告しておきたい事が山ほどあるのだ。
魔王国が鎖国をしているからなのか、魔族が特異体質だからなのかは分からないが、魔王国とそれ以外の国では様々なものに対しての認識の違いがあったり、魔王国で使われている魔法がなかったりする。
これらは、カイムが是非報告したいと思っている内容の一つだった。
――後は、プリムラを狙った怪しい人物達がいることも。
カイムの憶測ではあるが、恐らくプリムラを狙っている者は厄介な相手だと考えている。
魔族の髪色すらよく知られておらず、何事もなくプリムラ様が17年も生きてきたこの国で、今更彼女が狙われる理由が引っかかるのだ。
十中八九、魔族について何か知っている者の仕業だろう。
魔王自身がもう会えないと思っていた一人娘を見つけた矢先に、変な横槍を入れられては困る。
「……私が王女様を守ってみせますよ、魔王様」
プリムラが今見せている笑顔を、是非ゴエティア王にも見て欲しい。
そして、本当の親子で共に笑い合って欲しいと、カイムは心の底から願う。
自身が忠誠を誓った王の幸せが自分の幸せだ、と言わんばかりに。
彼はバスケットから焼き菓子を一つ取り出して食べた後、再び映像に映る少女の観察を再開した。