染物屋にて②
マンサック家の工房は二階建てになっており、一階で染色作業を中心に行い、染色し終わった生地の乾燥・加工を二階で行なっている。
染色作業はマンサックを中心に12名、加工はマネッチアを中心に9名で行っているらしい。
家の裏側にはローダンセ運河の支流が流れており、その川の水を染色作業に使っているようだ。
本日は完成した試作を見るので、皆で二階へ上がった。
二階には大きなバルコニーがあり、様々な色の布が風に揺られてはためいているのが見える。
その布の間から姿を見せたマンサックの手には、青色に様々な白い模様が入っている布が何枚か重ねられていた。
「広げた方が模様や色合いも見やすいだろう」
そう言って、奥の方にある作業台へと案内される。
その上に、まず広げられた三枚の青色の布は、それぞれ違った模様が描かれていた。
一番左は水面にさざ波が立ったような模様。
真ん中は色斑の濃淡が違って、雲間のような模様。
一番右は縦長に連続して続く模様だった。
「今回は綿麻を使ってみた。まずこの一番左側の布は、木の棒に巻きつけた後に皺を寄せて、そのまま紐で固定してから染めてみた。真ん中の布は左とやり方は似てるが、皺を寄せた後に棒から抜いて丸めるように伸縮性のある紐で括って染めた。一番右は、蛇腹に折ってから紐で括って染めたヤツだ」
「すごい……やり方を少し変えるだけで、こんなに違うのね。面白いわ」
「まだあるぜ。これは、布を折ってから木の板で挟んで、ズレないように縛って固定してから染めたヤツ。こっちとこっちは、マネッチアが模様を縫って糸を絞ってから染めた。片方は模様部分に糸を巻きつけて白くなるようにしてもらった」
「こんなにできてるのか……!」
次々と出てきた作品を見て、セージ様が驚きの声をあげる。
私も彼の気持ちがとてもよく分かる。
私はマンサックには「染めムラで模様を作ったら面白そう」と言っただけなのだ。
色々作ったとは聞いていたが、それが6パターンも用意してくるとは思わなかったのだ。
流石この道で生きてきた職人だと、改めて尊敬した。
「調べてみたら、海を越えた東方の国でも似たような染め方をしているらしくてな。今回はそれを元に俺なりのやり方を加えてみたんだ」
「それでもこれだけのものを作るなんで凄いわ。流石マンサックね!」
「……よせよ」
そういう彼は僅かに照れ臭そうな顔をしている。
マンサックは分かりにくいようで、よく見ると感情は顔に現れているのだ。
そこを指摘すると臍を曲げそうなので、絶対に言わないが。
改めて試作品を見る。
これならば、男性向けのポケットチーフなんかは作っても面白いかもしれない。
私は、静かに布を一つ一つ触りながら確認しているニレの方を見た。
「ニレ、貴女はこの試作品を見てどう思う?」
「……そうですね」
顎に手を当てて考えるニレ。
彼女は私の為に流行の装いを調べたり、様々な場面でのドレスの手配をしてくれたりするので、服飾のセンスは良いと思っている。
だから話を振ってみたのだ。
少しの間真剣な表情で試作品を見つめていたが、漸く試作品たちから目線を外しこちらを見た後、落ち着いた声で話し始めた。
「まず、平民や貴族男性向けにそのままポケットチーフやタイ等は作ってみても良いと思います。ただ……貴族女性向けで作るとしたら、些か素朴すぎてしまうかもしれません」
「成程。……そしたら、模様に沿って同じ色の刺繍を入れるのはどう?ハンカチーフなんかは、よく刺繍が入っているじゃない」
「どうでしょう……それなら、普通の布に刺繍をした方が綺麗かと。いっその事、違う色にしたり模様とは全然別の刺繍を入れてみるのはいかがでしょうか?」
「あ!それ面白いかもしれない!」
例えば、さざ波の様な模様の布には色鮮やかな観賞魚の刺繍を入れてみたり、雲間のような模様の布には鳥や花なんかを刺繍してみたり……。
二人でそんな話をしていると、横で聞いていたマネッチアも乗ってきて、ああじゃないこうじゃないと話が広がる。
三人女性が集まれば、喋りを止めるのは至難の業である。
しばらくの間、男性陣は女性陣の話を聞くしか出来なかった。
最終的に、マンサックに頼んでさざ波模様の布を少し切り取って貰い、その場でマネッチアが刺繍を施し始めた。
手際良く進めているが少し時間はかかるので、そこで漸く話が一度収束することになった。
刺繍が出来上がるのを待っている間、他にどんな染め方が出来そうか案を出し合うことにした。
「今回は無地の布でやったけど、例えば事前に刺繍が入った布を染めてみるのはどうかしら。後は布の種類を変えてみるとか」
「染め方によっては相性がありそうだが、やってみる価値はありそうだな」
「親方、今回は一回で染めてますけど、二度染めとかしたらどうですかね?なんなら、二度目は思い切って色を変えるのも面白いかも」
「二度染めか……いいじゃねえか。ボリジ、お前がやってみろ」
「いいんすか?やったー!」
夢中で話し合っていると、ふとセージ様が静かに何か考えていることに気が付いた。
話が盛り上がってしまい、着いていけずに困っているのではないかと心配になった。
しかし、私の視線に気が付いたセージ様は、ふと苦笑いを浮かべた。
「いえ……マンサック殿の仕事ぶりを見て、私こそ態度を改めなければと考えておりました。先程の発言は失礼だったなと」
「マンサックでいい。それに、俺はさっきのことなんざあんまり気にしちゃいねえ」
「ありがとうマンサック。私のことはセージと呼び捨てで呼んでくれ。是非友として仲良くしたい」
「……ああ、そうさせてもらう」
セージ様が差し出した右手を少しの間見つめてから、握り返したマンサックを見て、思わず頬が緩みそうになる。
私の知っている人達が、それぞれで仲を深めてくれていることが嬉しいのだ。
今回、多少無理してでも来て良かったなと思えた瞬間だった。
「それでな、マンサック。折角だから別の色で染めたものを使って贈り物がしたい。そうだな……ルバーブ様なら臙脂色が似合いそうだが、黄色も捨てがたいな……」
「……お前さん、サラッととんでもねえ送り先を出してきたな」
いけない、セージ様が新しいおもちゃを見せびらかす時の子供のような顔をしている。
彼がお義父様へ献上するつもりでいるのを慌てて止めた。
少なくとも、まだ調整が必要な部分もありそうなので、次回改良版を作ってもらった上で、お義父様への献上品の制作依頼を出してもらいたいのだ。
セージ様に事情を説明すると、とても残念そうな顔ではあるが、渋々了承してくれた。
でも折角なので、改良版が上手くいったらお義父様だけでなく、お義母様やお義兄様にもプレゼントできたらいいなと考えた。
私達はその後も暫く、色々な意見を交わしていった。
「ではマンサック、次の改良版も楽しみにしているわね。今日はありがとう」
「ああ、こっちこそお嬢ちゃんにわざわざ来てもらってすまんかったな。契約内容に恥じないモンを作れるように頑張るわな」
「今でも十分頑張ってもらってるわ」
結局、次回までの間に、先程出た意見を参考に改良版を制作してくれることになった。
その上で、研究費用や今後の売上の予想を元に、マンサックとの契約内容の更新を行った。
少なくとも平民には確実に売れると踏んだのだ。
貴族は基本時に単色の生地に豪華な刺繍を入れた洋服が好まれる。
刺繍の出来はお針子の腕に左右されるので、貴族にとっては如何に腕の良いお針子を囲えるかがステータスの一つになるのだ。
その為、複雑な刺繍が入ったもの程、値段が跳ね上がる。
対照的に、平民の服はシンプルなデザインが多い。
平民は基本的に仕事で服が汚れたりするので、お祭りや冠婚葬祭のような時でないと、お洒落な服は着ないと教えてもらったことがある。
しかし、お洒落な服はその分値段も高くなるので、1着か2着持ってればいい方だとも教えてもらった。
だが、単色で染め方を変えるだけで模様が入るならば、刺繍ほど値段が跳ね上がることはない。
特別な時の洋服を増やすこともできるし、上手く流行を作れれば、ファッションの幅が広がるだろう。
平民向けの服飾を扱う店が食い付いてくれるよう、少し売り込む必要がありそうだが、何処かの服飾店に品を下ろすだけでも利益に繋がる。
幸い、売り込み先には少し宛があるのだ。
場合によっては商人ギルドで、特許権の申請を出すことも視野に入れておきたい。
契約内容を見たマンサックは驚いていたが、私はきちんと労働に見合った対価を持てるようにしたいので、あくまで適正な内容である。
「マネッチアも、短い時間でこんな素敵な刺繍をしてくれてありがとう。お義母様にも見せて、意見を貰ってみるわね」
「お嬢様に喜んでもらえて何よりですよ。私の方でも残りの生地で他の刺繍を試してみるから、楽しみにしててくださいよう」
ちなみに、マネッチアが刺繍を施してくれたものはハンカチーフになっていた。
短時間なのでワンポイントだったが、アイボリーと薄桃色の刺繍糸で大きな貝殻が縫われている。
ハンカチーフの端も、同じアイボリーの糸で塗って整えてくれたようだ。
それだけでも、まるで海を切り取ったかのような出来になっているのがとても気に入ったので、了承を得て私が貰うことにした。
滞在時間は2時間半程だったが、とても有意義な時間になった。