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特訓1

 少女は淡々とその作業を続ける。


 舞い上がる紙片の残骸と爆ぜる光の粒には見向きもしない。

 感情の抜け落ちた顔でぼうっと見つめるのは、左手にもつ紙片の先。


 既に薄暗くなった空の下で、少女とその周囲だけ朱く照らされている。

 更に外側は寧ろ闇が深かった。


 昨日撮ったプリクラの表面を舐めるように這う光の腕に、寄り道を赦しながら小さく食いちぎらせる。


 不格好なその腕が指先を掠めるようになると、少女は草の上に紙片を置いた。

 しかし触手のような腕が地を占める草にその毒牙をかけることはない。


 今日撮ったプリクラを拾い上げ、少し逡巡したのち先程までと同様に、欠片ほどになった紙片の上にかざした。


 揺らめきながら紙片を包むように丸まっていた紅い光はわらわらと喰らいつく。

 その様子はさながら飢えた獣のようであり、垂らされた蜘蛛の糸に我先にと手を伸ばすようでもあった。


 最後の一枚であったそれは僅かな塵を残して消えていく。

 同時に光の玉も蠢く腕の勢いを落としている。


 次の紙片をもらえないことに抗議するように一度腕を振り上げて、光の粒は消滅した。





 蒼羅は名も知らぬ少女のアドバイスを実践する方法を模索していた。

 鳥が空を飛ぶ仕組みを調べ、身体の形状が既に飛ぶのに向いていないことに悲嘆し、他に手はないか考える。


 しかしいくら考えても、良い方法は思い付かなかった。


 そもそも人間が生身で空を飛ぶなんて常識的に不可能である。

 蝋の翼を持って飛んだ男は、どれほどの筋力がありどれほど軽かったのか。筋肉は重い。空を飛ぶためにつけた筋肉で反って飛べなくなるのだ。


 それでも空への憧れを捨てられない。

 況して今や、可能性の欠片をこの手に、この背に掴んでしまった。


 蒼羅の思考はぐるぐると回り先へ進まない。

 ベッドに入って目を閉じてみても、気付けば同じことを考えて抜け出せない。


 少女はイメージしろと言った。翼を動かすとどのように空気が動くのか。


 だが少女は知らない。この翼は空気を掻かないことを。

 いくら動かしたところで風を起こせやしないし、風に乗ることもできない。都合よく風が身体を浮かしてくれるなんてことも、ある訳がない。


 単調な思考は巡る。


 繰り返すにつれて不明瞭になっていく。


 蒼羅は気づかぬうちに眠りに落ちていった。





 翌朝、蒼羅はのそのそとベッドから這い出した。

 やる気の伴わないゆっくりとした動作で、それでも着実に身支度が整っていく。


 何とも言えない憂鬱と義務感に躓きそうになりながら家を出た。


 通勤通学の時間なので当然だが、昨日よりも人通りが多い。

 それでも見られることへの不安はほとんど無くなっていた。


 多くの人が翼に気づかなかったことは理由の一つではあるが、それよりも唯一翼を見ることができた少女に依るところが大きい。


 不思議な雰囲気を持つその少女に、蒼羅はどこか親近感を抱くとともに他の人には無い特別なものを感じていた。


 学校に着いても蒼羅に視線が集まるようなことにはならない。

 靴箱から上履きを取り出し、履いてきたスニーカーと入れ替える。

 廊下に出て階段へ向かおうとして、何やら異質な喧騒があることに気がついた。


 廊下に対して玄関の反対側には中庭がある。

 そして廊下から向かって左側に小さな人集りができていた。


 二、三に折り重なった輪の内側にどんな生徒がいるのかはわからない。

 足元に一人、しゃがみ込んでいるのが僅かに見える。布が広がっているようには見えないから男子生徒だろう。


 しかしそれよりも圧倒的に目を引くのは、輪を作る人たちの頭上に見える校舎の外壁。

 彼らの視線の先には一昨日までなかった緑が氾濫していた。


 蒼羅はそちらに目を奪われながらも、人集りに混ざることはしない。

 廊下を通りかかった多くの生徒のように、歩みを緩めただけでそのまま階段を登った。


 教室に着くなり、蒼羅は荷物も置かずに友人の元へ向かった。


「おはよう」

「おーおはよ。もう治ったのか」


 友人は蒼羅の顔を見るなりそう言ったが、蒼羅は曖昧に頷くだけだった。


「中庭のあれ、なに?」

「あぁ、あの蔦だろ?なんか園芸部の一年生が栄養剤入れすぎたらしい。昨日来たらいきなりあんななってたよ」


 へぇと返しながら少し疑問に思う。

 昨日からで今日もあれほど騒ぎになるだろうか。


「今日は何も変わってないの?人集りになってたけど」

「いや、知らないな」


 友人は端的に返す。


「そっか。って違うよ!栄養剤入れすぎたくらいでそんなすぐに伸びる訳ないじゃん」

「んなこと言われても」


 それもそうだ。彼に言っても仕方がない。

 現に普通では考えられないことが起こっているのだ。


「何、気になるの?」


 友人は何やら含みのありそうな顔でニヤッと笑っている。


「いや、まあ、そりゃ」


 蒼羅の煮えきらない返答に友人はへぇ、と零した。


「お前、空以外にも興味持つんだな」


 否定したいところだがするにしきれない。

 確かに今までは空に関することにばかり反応してきた。


 だが今回の事件はどうにも気になる。


 あの少女が持っていた、何とも形容し難い親近感。

 蒼羅はそれに近いものを、人垣の内側でしゃがみ込んでいた少年にも感じていた。


 ふと周囲を見渡すと、既にほとんどのクラスメイトが席についている。

 蒼羅もそろそろ自分の席に着こうと動き出した時、がたんとドアが開いて担任が入ってきた。


 いつもと変わらないホームルームが始まる。

 誰が開けたのか、席のすぐ左の窓は外の心地よい空気を招き入れていた。


 二枚の紙が配られる。

 学期初めに必ずある進路希望調査と個人面談のお知らせ。


 蒼羅には将来の見通しというものがまるで立っていなかった。

 行きたい大学も就きたい職業も無ければ、これと言って趣味も無い。

 強いて挙げるならば空を見ることなのだが、しかし天文学など興味はない。


 窓の外を見る。

 晴れ渡る青い空には綿のような雲が少しだけ浮かんでいた。


『空をとびたい』


 心に湧いた願望を力無く書きつける。


 不意に風が吹いた。

 窓から吹き込んだそれは右手の下の紙を掬い上げる。飛んでいこうとする紙を鬱陶しく思いながら左手で押さえつけた。


 窓の外を見る。

 両手で頬杖をついて、気持ち良さそうに滑空している鷲だか鳶だかを眺めた。


 自分もあんな風に飛べたら。


 再び風が吹いた。

 さっきより少し激しく髪の毛が暴れている。


 紙が舞う音がして、咄嗟に机の上の紙を押さえた。

 しかし二枚とも机に張り付いたまま、動いた気配はない。


 飛んだのは隣の席の子のものだった。

 その子は何処か気怠げに拾い上げ、何事もなかったかのように座り直す。


 勢いよく机を叩いた自分が少し気恥ずかしくて視線を落とすと、弱々しく欄をはみ出した文字の列と目が合った。


 とびたい。

 飛びたい。


 紙が飛んだ。

 髪が舞った。


 風が、そうさせた。


 強すぎず、かと言ってしっかりと感じられる程度に風が吹いている。

 教室の中の淀んだ空気を押し流していく。


 思えば、鉛筆や消しゴムなんかも強い風が吹けば転がる。


 そんなことを考えて見た先で、シャープペンシルが半回転した。


「えっ」


 本当に転がるとは思わなかったので、声が出た。

 幸い周囲にその声を聞き咎めた人はいないようだ。


 顔を上げて周りを見ていると、何かが可怪しいことに気がついた。


 蒼羅の二つ前の席もすぐ横の窓は開けられている。

 それなのに、そこに座っている子の髪の毛はぴくりとも動いていない。


 対して、蒼羅の横の窓からは相変わらずそよそよと風が吹き込んでいる。もちろん髪の毛もなびいている。


 蒼羅は何となく恐ろしくなって窓を閉めた。

 すぐに風は感じられなくなる。


 ほっとすると同時に一抹の寂しさを覚えた。


 外の心地よい空気に触れていたい、空と繋がっていたい。その気持ちがどうしても消えない。

 見たいとは思えど、離れたくないと思うのは初めてだった。


 あと少しでもう一度窓を開けそうになった時、微かな風を感じた。

 清々しい空気ではない、蒼羅の周囲にある空気。それがゆっくりと下から上に流れてきて、毛先が僅かに浮いているのがわかる。


 さっきとは比べ物にならない程に背筋がゾッとした。


 次の瞬間には風は消え、毛先も重力に従ってまっすぐに落ちる。


 しかし蒼羅の鼓動は高速で波打ち、背筋を通ったものの感触もはっきりと残っていた。


 数分も経たないうちにホームルームが終わり、進路希望調査の紙が回収される。


 がやがやとした会話の重なりが教室を満たして、蒼羅はようやく現実に戻ってきたような安心感に包まれた。

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