閑話 刀
主人公がヘタレです。
最近、土方の視線が怖い。
それに気付いたのは、小春が風邪の隊士の看病のため、屯所を慌ただしく動き回っていた時だった。
「土方さん、お疲れ様です」
「…………」
すれ違いざまにそう声をかけると、彼の険しい目が小春を睨んだ。
小春は縮み上がった。
(え、私何かした!?)
とはいえ、特に理由は思い当たらない。
挨拶の作法はいつも通りだし、寝癖もちゃんと直してある。胸もぺちゃんこになるまで潰したし、着付けがおかしいなんてこともないし、どこからどう見ても模範的な新選組の一員だ。
ふと、土方の視線が小春の腰の辺りを漂っていることに気がついた。
(何か忘れ物したかなぁ)
小春が袴を手で押さえると、土方ははっと我に返ったようだった。
「なんでもない。気にするな」
そう言い残すと、さっさと歩き去っていく。
小春はその背中を呆然として見つめた。
(ええー……)
気になる。土方が何を気にしていたのか、とても気になる。
とはいえ、追いすがって聞きなどしたら、それこそうっとうしいと怒られるだろう。
触らぬ神に祟りなし、だ。
小春は諦めて自分の仕事に戻った。
その数日後、小春は土方の部屋に呼び出されていた。
入ると、土方が二本の刀を前に正座していた。その隣には沖田もいる。
この二人が並ぶと、土方の醸し出す険しい雰囲気が沖田ののほほんとした笑顔で中和されて、何の要件で呼ばれたのかが読めなかった。
「座れ」
「は、はい」
顎で示されて、小春は刀の前に土方と向かいあう形で座った。
毎度のことながら、威圧感が凄い。やましいことなどないのに謝りたくなる眼力だ。
土方は小春と刀を交互に見た。
「氷上君。君ももう立派な新選組の一員だ」
「ありがとうございます」
「そこで」
すっ、と小春の元へその二刀が差し出される。
「これをやろう」
「え?」
「身に着けろ」
「え!?」
小春は刀と土方を交互に見た。
(刀を差すのー!?)
絶対嫌だ。こんな重いものを腰にぶら下げていたら、動きにくいことこの上ない。
ただでさえ、小春は現世でもポケットにはスマホ以上に重いものを入れたくない派だったのだ。それが急に刀なんて、スマホ何台分の重さだと思っているのだろう。
しかも、剣術を習っていない小春にとって、刀などまさしく無用の長物だった。
見栄えのためだけに、そんな重いものを携帯しなければならないというのか……
小春は気が遠くなってきた。
「ど、どうしても差さないと駄目でしょうか……」
「当たり前だ。最強の剣客集団たる新選組の幹部に、刀も持たないような奴がいるようでは話にならん」
「うぅ……」
確かに、その理屈は理解できないでもない。
傍から見れば、小春が医者として新選組にいることなどわからないのだ。刀も持てないような奴がいる、と笑われるような事態になったら大変である。
ちらり、と薄目で黒塗りの鞘を見た。
「ほ、本物なんですよね」
「本物以外の刀がどこにある」
「ですよねー」
もしかして、軽量化されたレプリカだったりしないかな……という小春の望みは、一瞬にして絶たれた。
銃刀法も無いこの時代に、わざわざレプリカの刀を作る職人がいるわけがない。
小春は観念すると、恐る恐る、短い方の日本刀を手に取った。
(結構重い……)
500mlのペットボトル一本分ぐらいの重さだ。これを常時身につけて歩くとなると、それなりに肩や腰が疲れそうである。
手にとって眺めていると、沖田がすすっと寄ってきた。
「差し方わかります? 帯の左側に差すんですよ」
「こうですか?」
「えーっと……」
適当に差してみたが、何かが違ったらしい。なんだか初めて手術着の着方を教えてもらった時のことを思い出す。
それから説明を受けて、小春はどうにか脇差と呼ばれるその短めの刀を差すことが出来た。「脇差は一重目と二重目の帯の隙間に、柄が右上になるようにして差すんですよ」とのことだ。
帯でしっかり固定されているので、思ったより不便さはない。今のところは。
(これだけだったらまだ動けるかも)
だが、まだ後もう一本あるのだ。
次に打刀と呼ばれる長い方の刀を手に取った時、小春は心が折れそうになった。
(これは……無理では)
重い。脇差の二倍ぐらい重い。
二本合わせれば2Lペットボトル一本分くらいありそうだ。そんな重りを片方にだけ着けていては、体が歪んでしまうではないか。体の歪みは良くないのだ。
(やだよぉ〜)
小春はちらりと土方を上目遣いで見遣ったが、その冷徹な表情を見てあっけなく撃沈した。
「うぅ……」
「打刀は脇差の一つ外側に差すんですよ」
差したくない。
情けない声をあげる小春に、沖田は苦笑してそう教えてくれた。
泣く泣く、打刀を脇差の一つ外側の帯に差す。どうやら打刀は紐でも固定する必要があるようで、沖田がまるで魔法のような手早さで結んでくれた。
「はい、できました。後で結び方を教えますね」
「ありがとうございます……」
別に教わりたいわけではないが。
用意の終わった小春に、土方は立ち上がってみるよう促した。
(バランスが悪いな〜)
よろけないようにゆっくりと立ち上がると、沖田も土方もなんだか眩しいものを見るような目付きになった。
「悪くないな」
「まるで若殿様みたいですよ」
「どうも……」
若殿ではなくバカ殿の間違いじゃないかとも思ったが、二人の表情を見る限り無さそうだ。
とりあえず、見た目は合格ということなのだろう。
「よし、じゃあ歩いてみろ」
ごくり、と小春は人知れず唾を呑んだ。
(歩けるかなぁ)
明らかに重心が左に寄っている。立っているだけでも、気を抜くとふらついてしまいそうだ。
おずおずと、足を一歩前へ踏み出した。
(お、重い……)
左足を上げるたびに、体幹の筋肉が総動員でなんとかバランスを死守している。まさしく亀の歩み、と言うにふさわしいペースだ。
それでも、なんとかそれらしく見えるよう胸を張り、前を見てまっすぐ歩く。
まっすぐ……
まっすぐ……
まっ……
「おい、左に寄ってるぞ」
「えっ!」
小春が慌てて振り向いた、その瞬間だった。
ごっ、と鈍い音がして、鞘が障子に衝突した。
顔から血の気が引いた。
「……」
「うわっ、ご、ごめんなさい!!」
それを見て、沖田が腹を抱えて笑っている。土方の眉間には、マリアナ海溝よりも深い皺が寄っていた。
「軟弱だと思っていたが、ここまでだとは……」
「小春さんに大小持たせようとした土方さんが悪いんですよ、あはは」
なんというか、ちょっと悲しいフォローの仕方である。
とはいえ、ぶつかったのが障子だったから良かったものの、もし他人の鞘に当たっていたら斬り合いになりかねない事態である。しかも小春は抜けないので、斬り合いイコール死、だ。
(刀、怖い)
他人が振るっているのを見るより、自分がそんなトラブルの素を持っていることの方がずっと恐ろしかった。
そんな小春の様子に、土方が深い溜息をついた。
「屯所にいる時は脇差だけで良いが、外に出る時くらいは提げてもらわないと困る。慣れろ」
「うっ……ど、努力します」
(まあ、出掛ける時だけなら頑張れるかも)
小春の顔に、ちょっとだけやる気が復活した。
この重たい二刀を持ち歩くのも、外出時限定だと思えば我慢できる。なにせ小春が外出することなど滅多にないのだから。
それに、一応、帯刀している時のマナーなどは井上から聞いて知っている。左側通行とか、人の家に上がる時は打刀を預ける、などなど。
その辺りだけ気を付けていれば、そう大事にはならないだろう。鞘当てさえしなければ。
沖田がにっこりと続けた。
「小春さんが刀を持ってくれれば、私達の刀が折れた時の予備としても使えますし」
人を武器庫みたいに言う奴だ。そもそも、刀が折れるような戦場に小春を連れて行かないでほしい。
「はぁ……」
……散々渋い顔をしたが、刀を二本帯びるのがこの時代の武士の正装であることは確かである。
新選組に属している以上、小春もそれに従うしかないだろう。
ようやく腹を括った小春は、三つ指をついて頭を下げた。
「ありがたく頂戴いたします」
どれだけ欲しくないものであっても、小春のために買ってくれたのだから礼は言わなくてはならない。
それに、小春にちゃんとした格好をさせようとしてくれるその気持ちは、純粋に嬉しかった。
土方が満足そうに頷いた。
「ちなみに、それは無銘の安物だから、折れても気に病まなくて良いぞ。さっきみたいにどっかにぶつけてもな」
「……」
こうして、小春は刀を手に入れた。
【参考文献】
刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」〈https://www.touken-world.jp/〉2021年7月16日閲覧




