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十一月 風邪? ②

 近藤を皮切りに……というわけでもないが、隊内は瞬く間に患者の巣窟と化した。そのほとんどが風邪だったが、感染拡大を阻止するため、医務室の隣には臨時の入院部屋が設けられた。


 入院患者を診ている間にも、医務室にはひっきりなしに新規の患者が訪れる。その一人一人を、小春は正確に、そして迅速に処理していった。

 


 「風邪!」

 「風邪!」

 「片頭痛!」

 「風邪!」

 「肉離れ!」

 

 ……。



 「いやぁ、この忙しい時にすまないね」

 「いえいえ」

 

 冷たく濡らした手ぬぐいで患者のふくらはぎを軽く縛りながら、小春はにこりと笑った。肉離れを起こしている患者、つまり井上源三郎は、てきぱきと処置をする小春を見て感慨深そうに言った。

 

 「氷上君もすっかり立派なお医者さんになったねぇ」

 「えへへ、そうですか?」

 「ああ。最初は服の着方も知らなかったのに」

 「もう、その話はやめてくださいよ!」

 

 小春の顔が赤くなった。


 井上は小春がこの新選組に入ったばかりの頃、親身になって世話を焼いてくれた、いわば父親代わりのような人物である。この時代のことを何も知らない小春に、和服の着方から礼儀作法まで様々なことを叩き込んでくれたのだ。


 近藤といい井上といい、親切な人達に拾われて良かった、と小春はつくづく思っている。

 

 「それにしても、風邪が多いですね。井上さんは平気ですか?」

 「ああ。昔から病気だけはしたことがなくてね」

 「羨ましい」

 

 行李の上に手拭を積み重ね、その上に肉離れを起こした方の足を乗せる。安静・冷却・圧迫・挙上の四つは、スポーツ外傷における応急処置の基本だ。


 井上は畳に寝転がったまま、右腕で力こぶを作って見せた。

 

 「まだまだ若いもんには負けんよ」

 「気概は結構ですけど、怪我を治してから言ってくださいね」

 「ははは、返す言葉もない」

 

 井上の処置が終わるまで暇なので、小春は今日の分の患者のカルテを書き始めた。


 一応診察の際にメモを取っているのだが、それだけではちゃんとしたカルテにならない。後から見てもすぐ理解できるよう、形式に則って書く必要がある。


 小春が手を動かしていると、井上が興味深そうにその手元を見ていた。

 

 「いちいち記録をつけているのかい。先生は几帳面だなぁ」

 「そんなことないですよ。一応、お医者さんはみんな書くことになってます」

 

 はたしてこの時代の医師がどれくらいカルテをまともに書いているのかは知らなかったが、とりあえず小春は現代を基準にしてそう言った。

 

 「どんなことを書いているんだい?」

 「それはですね……」

 

 自分の仕事内容に興味を持ってもらえると、つい嬉しくなってしまう。小春はまるで小学校で習ったことを説明する子供のような、熱の籠もった口調で語り始めた。

 

 「まず、主訴を書きます。どういった要件で患者さんが来たのか、ということです」

 「ほう。では、私の場合は足が痛い、ということかね」

 「そうです」

 

 実際、今回のカルテの一番最初にも「足の痛み」と書かれている。

 

 「次に、医者の目でどう見えたか、ということを書きます。脈が一分間に何回だとか、喉が腫れているとか、そういう諸々を専門用語も交えて記載しています」

 

 患者をどのくらい細かく診察するかは、想定している病気によって分かれる。小春は風邪などの内科的疾患であれば詳しく見るようにしているが、怪我などの場合では手短に済ませることが多かった。

 今回も、肉離れということで一行二行程度しか書いていない。

 

 「その次が、評価と考察です。どういう原因でこの病気になったのか、とか、治療目標などを書いていきます」

 「難しそうだね」

 「難しいです」

 

 小春はこの評価を書くのが苦手だった。主訴や身体所見の列挙と違って、考察を書くには自分の考えたことを明確に言語化しなければならず、かつ豊富な医学的知識も要求される。

 今の小春が書いているカルテを現代の医師に見せたら、この欄でかなりの添削を喰らいそうであった。

 

 (まぁ、指導医がいるっていうだけでありがたいんだけどね……)

 

 今の小春が喉から手が出るほど欲しい物、それは指導医と西洋薬である。どちらも手に入りそうにない。

 

 「最後に、治療方針を書きます。今回なら、患部を冷却、圧迫して、挙上させた上で安静にしました、という感じです」

 

 小春が説明し終えると、井上は眩しそうな顔をした。

 

 「いやはや、近藤さん達についてきただけで、ここまできちっとした医療を受けられるとは思っていなかった。ありがたいことだよ」

 「そ、そんな」

 

 一瞬井上の目尻に光るものを見たような気がして、小春は慌てた。そこまで感謝されるようなことはしていない。ただの肉離れの応急処置だ。

 

 (それに、私本当は医者じゃないし……)

 

 新選組で医者をやっていると忘れそうになるが、小春は医師ではない。医学生だ。この時代においては医者かもしれないが、治療をして感謝される度、小春はなんだか一抹の申し訳無さを感じるのだった。


 とはいえ、それで飯を食っている以上、今更私は医者ではありませんと大きな声で吹聴して回るわけにもいかない。

 せめて、自分の腕に驕りを持つことがないようにすることだけが精一杯だった。

 

 「では井上さん、しばらくこのまま休んでいてくださいね。また様子を見に来ますから」

 「ああ、かたじけない」

 「お大事に」

 

 まだまだ患者が待っている。

 小春は次の患者の元へ向かった。



カルテの書き方にはいくつか種類があり、今回出てきたのは一例です。

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