『赤き教典』
劫慈が元凶である文人と対峙していたのと、ほぼ同時刻。
試験会場内では、これまでに起きたのとは別の異変が起ころうとしていた。
「ふぅ~!一時はどうなるかと思ったけど……この調子なら、あとはサクッとコイツ等片づけて終わりだな☆」
そのように周囲に呼びかけたのは、劫慈が連れてきた仲間の一人である≪ファントム・ヒサヤ≫の敏腕社長である青年:松永 久弥であった。
久弥の言う通り、周囲を見渡してみれば彼をはじめとする劫慈についてきたメンバー達や、受験生達の奮闘によって、試験問題衆達は掃討間近となっていた。
そうこうしているうちに、最後の一体にトドメを刺したカリスマセレブモデルの羅武妹 恋歌が、疲労の色を濃くしながらも、気を引き締めるように凛々しい表情で久弥を諫める。
「何言ってんだか。コイツ等を倒し終わったら、次はさっさとコージを助けに行かなきゃならないでしょ。……こんな怪物達を大量に生み出してくるような奴が相手である以上、油断できる要素皆無だし、全員で全力でどうにかする、くらいに考えておかないと絶対危険だっての」
そんな彼女の返答に、久弥が「へぇへぇ」と、生返事をした――そのときだった。
「ちょっと、みんな!……今まであそこに、あんな模様なんてなかったよね!?」
受験生の一人である女の子が、そのように混乱した様子で声を上げる。
それは疑問と言うよりも、自身に対する確認のような意味合いだった。
彼女が見つめる先にあったのは、壁や床にびっしりと刻まれた模様のようなものだった。
見ているだけで不気味な印象を対象に植え付ける得体の知れない存在……。
彼女の呼びかけでその存在に気付いた周囲の者達も、怪訝な表情を浮かべながら各々の意見を口にする。
「なんだコレ……みんなが大変な時に、誰かが悪戯をした、とかじゃないよな?」
「そんなわけないでしょ!みんな化物への対処で手いっぱいで、そんな余裕なんてどこにもなかったはずだし!」
「なぁ、それよりも……これ、なんかの文字に見えたりしねぇ?」
その言葉を聞いた瞬間、この場にいる全ての者達がハッ!とした表情を浮かべる。
確かにそれは模様というよりも、デカい文字の羅列であり……それらが浮かんでいたのは全て、試験問題衆がトドメを刺されて消失した場所であった。
見れば、恋歌が最後の一体を倒した場所の床からも、それまでには絶対なかったはずの文字らしきものがゆっくりと浮かび上がっていく……。
それを見た瞬間、劫慈の親友である我利勉崎秀哉が、目を見開きながら必死に周囲の者達へと叫ぶ――!!
「マズイ……!!みんな!ここから今すぐに……離れろォッ!!」
秀哉の決死の叫びもむなしく、試験会場内の文字群により術式が発動する。
それと同時に、この場にいる者達全ての絶叫が建物全体を揺らすかのように鳴り響いていく……。
「……これが、お前の狙いか!この変態人さらい野郎!!」
劫慈が声を荒げながら、睨みつける先。
そこにいたのは、膨大な力の奔流を感じさせるかのように、宙に浮かび始めた這瑠 文人の姿があった。
現在彼の胸の前には、同じように力の源泉である『赤の教典』が浮かんでおり、それをゆっくりと抱擁するかのように胸の内に抱えると、まるでまどろんでいるかのような穏やかな表情で、瞳を閉じながら気の流れに身を委ねていた。
そんな文人を見上げながら、なおも劫慈は言葉を続ける。
「お前の目的は、リア充やら若者達を相手に暴力を用いた襲撃をすることなんかじゃない。お前が本当に目指したものは、彼らから若さ漲る“生命力”だけでなく、試験問題衆を倒すほどの彼らの“知力”までも吸い上げるつもりだったんだ!!」
並の手段では倒せないが、優れた知力によってのみ倒す事が出来る存在:試験問題衆。
これらの異形の存在達は、全てが倒されることによって、周囲にいる者達から“生命力”や“知力”を吸い上げる術式があらかじめ組み込まれていた。
そんな劫慈の推測が正解であると言わんばかりに、文人が「ホホホ……!」と、これまでとは違う真に余裕ある笑い声をあげる。
「そうだ、試験問題衆とは俺にとって頼みの綱ではなく、倒されたときにこそ真の価値を発揮する消耗品の駒に過ぎぬ!!……俺は試験問題衆が倒された後に発動する術式から吸い上げられてきた生命力と知力を取り込むことによって、人間を超えた強靭かつ高位の知性を獲得した生命体と化すことが出来る……!!」
「ッ!?……お前はそんな事で本当に、自分が世界をどうにか出来る存在になれると思っているのか!?」
文人が取り込んだのは、劫慈が世界中を旅して仲間にしてきた強靭なメンバーやら、受験戦争を勝ち抜くために猛勉強をしてきた受験生など、確かに強靭勝つ知性に溢れる人間に違いない。
だが、言ってしまえば、それだけの事である。
劫慈を含めて彼らは皆、何の異能も特異性も持たないごく普通の一般人に収まる範疇の人間であり、彼ら全ての力を取り込んだところで、文人がここまで大掛かりな事を仕出かしてまで世界をどうにかしてしまうような強大な力など手に入るわけがないのだ。
どれだけ人間を超越した存在になろうとも……その力が人間の延長戦上に過ぎないのならば、確実に文人は現代の科学兵器技術で駆逐出来る。
他よりも遙かに優秀ならば、自身がそれよりも遙かに劣った人間を支配するのは容易いと考えているのかもしれないが……人間は行き過ぎた“異物”を簡単に社会から排斥するのだという事を、劫慈は世界中を旅するうえで何度も目にしてきていた。
だが、そんな彼の考えは、今回は外れだと言わんばかりに文人はチッ、チッ、と人差し指を振って答える。
「……誤解するな。俺とてこの程度の事で、本気で現行世界をどうにか出来るとは思っていない。――そうだな、いわばこれは、試験問題衆同様に、お前のお仲間も受験生達の力も全て!……俺が真の究極生命体になるための布石である、という事だよ……!!」
「ッ!?それすらも布石に過ぎないだと!!……い、一体、どういう事なんだ!?」
劫慈の反応がよほど愉快だったのか、陽気な様子で文人は自身の思惑を告げる。
「分からんか?こうして、人間から少しだけ進んだ存在に進化する事で、ようやくこの『赤の教典』を取り込んでも耐えうる存在になれる、という事が!!――俺の魂が地獄に堕ちたときに見つけたこの魔導書、この世界に非ざる異形の“試験問題衆”という存在すら生み出す事が出来るこの『赤き教典』を、強靭となった俺の中に取り込むことが出来れば!……俺は、真の意味で既存の物理法則すら蹂躙する最強の究極生命体となれるのだッ!!」
「魔導書を取り込んだ……究極生命体だとッ!?」
確かに、凡人のままそのような真似をすれば、文人の肉体か頭脳、精神かあるいはその全ての容量が魔導書という常軌を逸した存在を内包する事に耐えられずに、破綻をきたしていたに違いない。
だが、強靭な戦士達の生命力と懸命に勉強に励んできた受験生達の知力、そして、どんなに苦しくても耐えてきた彼らの精神力を取り込んで自分のモノにする事が出来たのなら?
それほどの耐久力と演算能力があれば、『赤き教典』という魔導書を取り込んだとしても、破綻することなく同一化する事は可能であるかもしれない。
そして、その企てが成功してしまえば……現在の文明社会の技術では、“魔術”という未知の脅威を誇る文人という存在に有効な手が打てず、例え勝利出来たとしても、その頃には文明を再建する事が困難なほどの甚大な被害が出ることになったとしても、不思議ではないのだ。
そんな絶望的な未来を思い描いた劫慈は、憎き仇敵であるにも関わらず、上昇を続ける文人に対して泣きそうな表情になりながら、懇願するように声をあげる。
「やめろよ……この世界では、みんな一生懸命に生きているんだッ!!――だから、やめてくれぇェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」
決死の形相とともに、張り裂けんばかりに叫び声を上げる劫慈。
いくら鍛え上げたとはいえ、何の特別な力も持たない人間が直面した、自身の無力さに打ちひしがれながらも、何とか絞り出すように、神へと懇願するように出した最後の叫び声だった。
――そんな声が届いたかのように、文人が優し気な笑みをこちらへ向ける。
だがすぐに、彼はニンマリと、下卑た笑みとともに劫慈を睥睨しながら告げる。
「――残念。準備は滞りなく終わったようだ……!!」
その託宣と同時に、文人に抱えられていた『赤き教典』がゆっくりと、彼の胸の中に取り込まれていく……。