自己採点
仲間達の奮闘のもと、こうして劫慈はこの襲撃の黒幕である文人がいる屋上へと、到達する事に成功していた。
『赤き教典』を手にしながらニヤついた笑みを浮かべる文人の背後には、対照的に苦しそうな表情をしたこよりが磔になっていた。
彼女こそが――劫慈がこの一年間ずっと探し求めてきた存在。
かつての自分のせいで、人非ざる力を行使することになり、文人に連れ去られることになってしまった――それさえなければ、今も平穏に過ごす事が出来ていたはずの、どこにでもいる一人の少女。
そして、劫慈にとってはどこにも代わりなんていない、たった一人の大切な少女。
――そんなやっとの想いの果てに辿り着いたこよりが、何の罪もないのに自身の眼前で苦しめられている。
そんな光景を見せられた劫慈が、黙って許せるわけがない。
「――こよりを離せ、この変態糞野郎ッ!!」
何かを考えるよりも先に、劫慈は眼前の相手を睨みながらあらん限りの声で叫ぶ――!!
だが、そんな劫慈の怒りを前にしても臆することなく――それどころか、愉し気に文人はこちらへと語り掛けてくる。
「おやおや?受験会場に来たにも関わらず、筆記用具すらロクに持たぬまま丸腰で来るような馬鹿には、この俺の崇高な目的が理解出来ないようだな?……貴様、そのザマで本当に俺に勝つつもりなのか?」
そんな嘲るように告げられた文人の発言に対して、今度は劫慈の方が不敵な笑みを返す。
「馬鹿なのは、現実が見えていないお前の方だろ。……お前が生み出した“試験問題衆"達も全て俺の仲間達や、この場に集った受験生達によって討伐されている。このままいけば、全問解答されるのも時間の問題、あとは変な赤本持ったお前をぶん殴ってから、こよりを救出すれば試験終了!って奴だ……!!」
手駒である“試験問題衆”達は全て仲間や受験生達によって数を減らし、ここまで来ることは不可能に近く、文人があの赤き魔導書で何らかの術式を発動するよりも先に、劫慈の鍛え上げられた拳が直撃する方が遙かに早い。
この状況は、誰が見ても分かるくらいに明らかな文人のチェックメイトであった。
ゆえに、と劫慈は告げる。
「――このまま大人しくこよりを解放するなら、ぶん殴らずに警察に突き出すだけで許してやる。……だが、ここから先に見苦しい真似をするって言うなら!今度こそ容赦なくお前を叩き潰すッ!!」
周囲の大気を振るわせるような、劫慈による凄みに満ちた降伏勧告。
こよりの行方を捜すために、世界中を旅してきた経験は、彼という人間が持つ潜在能力を鍛え上げ、開花させる事に成功していた。
だが、対する文人も『赤き教典』に選ばれたほどの逸脱した魂の持ち主。
彼はこの状態の劫慈を前にしながら、いよいよ可笑しくて仕方がないと言わんばかりに、両手を広げながら爛々と瞳を輝かせる。
「どぅあ~から、お前は馬鹿だと言ったのだ!!……何故この俺が、共通テストの日にわざわざ会場にやって来て、自分の力ではないとはいえこのサキュバス女の魔力を用いて、試験問題衆という兵力を生み出し!受験に夢中なガキ共を襲撃しようとしたと思ってるんだぁ!?俺は無職でも、お前等ガキ共と違って、大人だから暇じゃねぇんだよッ!!」
その発言を受けて、劫慈が初めて怪訝な表情を浮かべる。
……劫慈はここに来るまで、文人がこの試験会場で引き起こした凶事は、現状の鬱屈した環境に不満を持ちながら、強大な力を持て余した彼による突発的な行為だと思っていた。
だが思い返してみれば、文人は一年前にこよりを誘拐してから今日までの間、劫慈にロクに尻尾を掴ませないように何の痕跡も残さず、異変も引き起こさずに、ずっとどこかで大人しく身を潜めていた。
また、試験問題衆を用いた一般人への襲撃を目論んでいたとして、その動機が『リア充への嫉妬や憎悪』といったものなら、もっとここより人通りが多くて賑わっている場所などいくらでもある。
そうすれば、受験対策でこれまで必死に勉強をしてきた受験生達を相手にするよりも確実に、試験問題衆による襲撃が成功する確率が高くなることは間違いない。
……にも関わらず文人は、試験が行われる今日この場所で、受験生達を相手に“試験問題衆”による襲撃を行わせた。
そこには、突発的な衝動とは異なる、確実な計画性というものがあった。
嫌な予感が、止まらない。
ドッ、ドッ、と心臓が早鐘を打ち、真冬にも関わらず額からは大粒の汗が流れ始めていく中、劫慈は自身の思考を整理するかのように一人呟く。
「……俺達がここに到達出来ない可能性もあったが、“試験問題衆”は受験生達の学力があれば、十分対処できる存在だった……むしろ、受験生でもない多くの人達が集まる場所では、“試験問題衆”には対処が出来なかった……」
――いや、違う。
見方を少し変えてみれば、ある一つの答えが浮き彫りになってくる。
その推測が自身の脳裏に浮かんだ瞬間――劫慈は自身の考えが信じられないと言わんばかりに、けれど、それ以外の答えがないと言わんばかりにわななきながらも、文人の顔を見つめながらやっとの想いでそれを口にする。
「……アンタは、試験問題衆達を受験生に倒させることが、目的だった……?」
そんな劫慈の答えこそが、正解であると言わんばかりに、文人が無言のまま勝ち誇った笑みを浮かべる。
それを見た瞬間、劫慈は弾かれたように背後へと振り返る――!!
彼が見つめる先にあったのは、自身がここまで来るのに使った屋上への入り口だった。
劫慈はそれを目にした瞬間――勢いよく喉が張り裂けんばかりに声を上げていく!!
「みんなー!!今すぐ、試験会場から逃げてくれーッ!!」
だが、ここから叫んだところで、現在混然とした戦場と化している試験会場内に、劫慈の声が届くはずがない。
そんな姿が滑稽だと言わんばかりに、今度こそ文人が明らかな嘲笑を辺り一面に響かせていく。
そして、それと時を同じくして――会場内に集った者達を媒介に、“最悪”の光景が始まろうとしていた……。