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卅と一夜の短篇 

職場の宴席(三十と一夜の短篇第34回)

作者: 惠美子

 一条帝の御代のことでございます。帝の後宮には女御(にょうご)が三人、ご寵愛を受けた御匣殿(みくしげどの)と呼ばれる宮廷の女官がおりました。お(きさき)はお二人いらっしゃいました。

 一人の帝に一人のお后が決まりでしたが、一条帝の御代に二后が立つようになりました。勿論はじめはお后がお一人でございました。帝が御位に登られまして、帝の母方の伯父である藤原道隆様のご長女定子(さだこ)様がお后となりました。

 (いとけな)いお年頃の一条帝よりお年上のお后様でございましたが、それはお美しく、才溢れる方でいらしたと伝えられています。寒い寒いと炭櫃に集まり縮こまっていないで雪景色を見るのも一興と、「香炉峰の雪いかならむ」と女房たちにお声を掛けになり、『白氏文集』にある通りに御簾を掲げてみせた、したり顔でさかしげなる女房をお上手に使いこなす、機知をお持ちのお后様でいらっしゃいました。しかし、道隆様が病でお亡くなりになり、次いで流行り病で朝廷の主だった重臣たちが多く命を失いました。

 そこで朝廷の一の人となったのは、道隆様の弟の道長様でございました。道長様は三十になられたばかり。そして、道隆様のご子息たちは帝の信任あるのは自分たちであると思い上がりになっておいででした。

 朝廷内でのいざこざばかりでなく、道隆様のご子息たちは先代の帝であらせられた花山法皇に矢を射掛ける無礼を働き、流罪になりました。

 定子様は大層お嘆きになり、髪を下ろされました。

 父御が亡くなり、兄弟が科人(とがびと)となり、ひどく心細い中、定子様は内親王(ひめみこ)をご出産なさいました。

 道長様も本心では娘御を帝の許に入内させたかったのですが、ご長女は十に達しておられなかったのです。仕方なく、本当に仕方ないとのお気持ちで、ほかの重臣たちの姫君が入内し、女御として帝の側に侍るのを、穏やかならぬ胸の内を抑えて見ているしかございませんでした。

 道長様のご長女、彰子(あきこ)様がやっと十二歳となられますと、麗々しくご準備をなさり、入内させました。女御として彰子様と帝がご対面した夜、定子様は親王(みこ)をご出産なさいました。道長様はご長女をあまたいる女御ではなく、后の座に着けたいと帝に上奏なさいました。


 ――お后は髪を下ろされていらっしゃいます。


 髪を下ろされたといっても、受戒されての正式な出家ではございません。尼の身で、帝の許に再び戻って皇子を儲けるなどできません。

 しかし、帝は実家の後ろ盾を失った定子様を守り、そして重臣の道長様の面子を潰さぬ為の方便と、苦しい御心で二后をお認めになりました。

 以降、定子様を皇后、彰子様を中宮とお呼びいたします。中宮は本来、皇后の呼び方の一つでございましたが、一条帝の御代より、一帝二后、呼び名が区別される先例になったのございます。

 その後、定子様は三番目のお子様――内親王でした――をご出産の折りに身罷られました。ほかの女御たちにご出産はなく、道長様のご威勢や中宮彰子様への気後れから、里居がち、定子様の妹君の御匣殿が帝寵を受け懐妊なさいましたが、ご出産に至ることなく儚くなられました。

 一条帝の後宮を中宮彰子様が独占なさる状態が長く続いており、彰子様のご懐妊が期待されておりました。

 その間、道長様が鷹司の北の方と姫君を儲けられ、后の父母が産屋の騒ぎと、からかいの種でございました。

 中宮彰子様は二十歳を超えられました。おめでたのお知らせを聞きたいと道長様は神仏にお縋りするほど。

 その甲斐あってか、次の年に中宮彰子様のご懐妊のしるしがございました。帝も道長様もお喜びでございます。秋の七月、中宮彰子様はお産の為にご実家の土御門のお屋敷にお入りになりました。

 中宮彰子様のお側近くに使える一女房であるわたくし――藤原氏出身で父が式部省の役人をしていたので(とうの)式部(しきぶ)(さぶらい)()で呼ばれております――、身近なお世話や胎教の為の詩文を講読差し上げたりと、身の引き締まる日々を送っております。

 彰子様は才を働かせ、をかしき風情を楽しまれる御方ではございません。おっとりとしてらうらうしう、ですが、どっしりとした気構えの頼母しさをお持ちでございます。自らのおめでたの兆しが無く、去年母上が懐妊なされ、妹君を出産されても、お心の内はどうあれ、焦り、御気色(みけしき)()しくなさる様子をお見せになりませんでした。此度はご自身のご出産です。多くのお産を経験なさっている母君の鷹司の北の方、ご親族の方々、ご姉妹の姫君たちが、彰子様を囲むようにしてお見守りになっていらっしゃいます。わたくしは出しゃばらず、彰子様がお召しの際に側に上がり、また、左大臣道長様、中宮彰子様のめでたきことごとを後世に残そうと書き留めるようつとめております。


 ――秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。


 書き出しはそのように決めております。あれこれと書き留めておき、改めて綴り直すつもりです。

 わたくしも子を持つ身ですので、お産の大変さを知っております。女人の身は同じでも、一貴族の娘や妻と、お后様とでは、周りでの在り様はまるで違ってまいります。左大臣の道長様をはじめとして、高貴な方々が出入りし、安産祈願の読経(どきょう)(まじな)いの為の僧侶や陰陽師も参ります。一度里に下がった者たちが慶事のおこぼれに与れないかと、ご挨拶に上がってきて居続けます。

 産み月で大層お体もお心もお疲れの出やすい頃でございますが、彰子様は平素と変わらぬよう、気忙しくしている女房たちを労りながらお過しになっていらっしゃいます。

 九月九日、重陽の節句の夜に彰子様は産気づかれました。お産の為に皆々白い装束に着替え、白い調度品を出して揃え、備えました。

 それからは言い表せぬ長い時であったような気がいたします。翌日十日、皆一心にお祈りし、彰子様の陣痛が続く中、入れ代わり立ち代わりするお世話申し上げるわたくしども女房たちは身なりを取り繕うことを忘れ、泣きはらした顔を人様に見られているのに気付かずにいたほどでございます。

 十一日の(うま)の刻に、彰子様は見事男皇子(みこ)をご出産なさいました。

 待望の男児のご誕生と彰子さまのご無事に、土御門邸は割れんばかりの喜びに包まれたのでございます。

 書き留めた出来事は後にきちんと推敲して綴るとして、お産は大仕事でございます。たとえお后様とてお体の力を損ねます。しかし帝の皇子、そして左大臣道長様の待ちに待った外孫のご誕生、様々な儀式が切れ目なく執り行われます。

 彰子様はお力の限りを尽くされて、小柄なお体がなお小さくなられ、やつれたご様子でございます。しばらくはお床から離れられません。皇子様は健やかなご様子でございますので、乳母や女房たちがお世話申し上げております。

 お産が済みまして御()つけ、御湯殿(みゆどの)から始まるの御産養(うぶやしなひ)の儀式は一日おきに執り行われ、道長様はずっとご機嫌でいらっしゃいました。ご出産から八日目に白装束から常の装束に戻り、翌日に九夜目の御産養が行われました。わたくしは彰子様の御帳(みちょう)(だい)近くに常に控えておりました。道長様は引き続く儀式や、ひっきりなしの帝からのお使い、お祝いの席に侍る方々に応対していてお疲れなさる様子はございません。それどころか、乳母が皇子様とお休みになられている所にいらっしゃっては、抱き上げて、乳母が驚き目を覚ますのが気の毒になるくらいです。不惑を三つ過ぎたばかりの若いお祖父様は嬉しさで一杯であるのが、見ていて判ります。当の彰子様や鷹司の上が御帳台の中いらっしゃって、出入りする殿方たちの目に触れずに済むのはさいわいでございますが、祝い酒で酔い騒ぎ、うるさくなるのは避けられず、ご身分のある方の辛い所でございます。

 彰子様は十月の中旬近くまで御帳台でお体を休ませながら産後をお過しになられました。

 十一月半ば過ぎに内裏に戻られるまで待ちきれぬと、十月十六日、帝が土御門邸に行幸(みゆき)せられ、皇子様とのご対面をなされました。皇子様はめでたく親王宣下を賜りました。()(かど)と皇子様とのご対面と、引き続くおもてなしの儀式や管楽、主上からのご褒美で位を与える段取り、道長様は張り切っておいででございました。その所為ではございますまいが、主上が彰子様とお顔を会わせるいとまがわずかばかりとなり、まこと残念でございます。

 十一月朔日、親王様のご誕生御五十日(いか)のお祝いの催しの運びとなりました。お誕生から五十日、お餅を供するお祝いでございます。親王の五十日のお祝いを左大臣家で、となりますと、内輪でささやかにとはまいりません。盛大な催しとなりました。

 左大臣家、彰子様に仕えるわたくしどもはそれはご無礼のないうよう、また少しでも花を添えられるよう精一杯着飾って、お膳を揃え、尊き方々の側に控えます。彰子様の前には勿論、乳母に抱きかかえられていらっしゃる親王様の前にも可愛らしく小さく設えられたお膳が並んでおります。身分高く、血縁の近い女房たちが儀式の為にお世話申し上げました。乳母の少輔より親王様を抱き取られて、鷹司の上が膝行(しっこう)で彰子様の前に進まれました。母娘でも身分が違えると、鷹司の上は赤い色の唐衣に裳を身に付けての正装、お后の彰子様は葡萄(えび)(ぞめ)の袿を重ね、その上に蘇芳の小袿を羽織られての略装でいらっしゃいます。

 道長様は重々しい仕草で、親王様にお餅を差し上げられました。

 これで一通りの儀式は終了とばかり、宴席がこの後続くのでございます。

 土御門邸には、右大臣、内大臣はもとより、主だった役職の方々からそのご子息やご家来衆、中宮(ちゅうぐう)(しき)(中宮のお世話や財の管理を任される役所)の役人たち、殿方が大勢いらっしゃっておいでです。既に祝い酒に酔って騒いでいる方々がおられます。

 中宮職の大夫は儀式を終えられたのですから、上達部を中宮様の御前に召されるようにと啓してまいりました。お聞き届けあったと、皆々様が彰子様の側近くまでやってまいります。側仕えの女房たちは居場所を詰めなければなりません。廂の間に除けて、二列、三列と狭い場所に、装束を巻き込まぬよう気を付けながら、場所をお譲りしました。

 いらっしゃった殿方たちも狭いと思しましたか、御簾を巻揚げてしまいになりました。扇や袖で顔を隠しても、一時しのぎでございます。

 酔いの回っておられる右大臣が、何とか隔てにしておこうと立てていた几帳(きちょう)の縫い合わせていない布の部分を引っ張って、千切っておしまいになりました。大袈裟に捲り上げて、女人の上げる声を面白がるようにして、近くにいた女房の扇を取り上げてしまわれました。返して欲しくて今にも泣きそうになっているのに、品のない戯れの言葉をお掛けになり、ご本人はご気分がよろしいのでしょうが、六十半ばで右大臣の職にある方とは思えぬお振る舞いと、わたくしどもは苦々しい思いでございます。面と向かって逆らえぬのを見兼ねて、中宮職の大夫が右大臣を止めに入ってくださいました。盃を手に、もっと飲みましょうと別の所にお誘いで、やっと助かったと息が付ける心地でございました。

 管弦の楽人が少ないようでしたが、その楽に合わせて、お謡いになられております。酔った方のお声がいいか悪いかは、何とも申せませんが、戯れ掛かられるよりはましというものでございます。

 次の間では右大将が几帳から押し出された女房の袖を捕らえて、重ねられた衣の数を数えられたり、(かさね)の色合いなどをご覧になっていらっしゃいます。右大将はお酔いになられていても、ほかの方々とは違ったご様子です。大分聞し召されて、誰の区別もつくまいとご挨拶をいたしました。


「派手な色合いや、新調の衣ばかりでまとうのとは違った着こなしで、見甲斐があるね」

「嬉しいお言葉でございます」


 軽々しい振る舞いを為される方ばかりの中で、気恥ずかしくなるくらいご立派ないらっしゃいます。ですが、右大将は歌詠みがお得意でないとお見受けいたします。盃が回る順に一首詠むのに怖じていらっしゃいましたが、神楽歌の『千歳万代』をお謡いになり、当たり障りなくお過しでございます。

 中納言が女房がいる廂の間にいらっしゃって、のたまいました。


「恐縮ですが、この渡りに若紫は控えておいでか?」


 中納言はあらゆる芸事に達者な方でおいでと聞き及んでおりますが、やはりお酔いなのございましょう。わたくしが綴り、彰子様に献じております『源氏の物語』の光る源氏の君がいるはずもないのに、光る源氏の君のお相手である若紫がこの場にいましょうや。わたくしに目配せする同輩がおりましたが、わたくしは黙って聞き流しておりました。

 道長様が内大臣のご子息に盃を、とお声掛けなさるので、ご子息は上座に上がられます。内大臣は酔い泣きをなさっていらっしゃいます。

 思えば、右大臣も内大臣も姫君を後宮に女御として入内させたのでございます。それなのに、自らの姫君たちにおめでたがなく、こうして左大臣家でのおめでたの祝い事に来ているのですから、お酒を過して、ふざけたり、泣いたりしたくもなるのでございましょう。定子様の弟君の(ごん)中納言(ちゅうなごん)は女房の兵部のおもとを側に引っ張って、きわどい戯言を口になさっておいでです。権中納言には定子様の忘れ形見の甥の親王様がいらっしゃいますが、彰子様に親王様が誕生なさって楽しからざるお気持ちがございましょう。元々気性の激しい殿方でいらっしゃいますので、酔いを言い訳にして、宴席での色めいたお振る舞いで気を紛れさせたいのかも知れません。道長様は放っていらっしゃいます。憂さ晴らしの相手になっている者にも目を配ってもらいたいと願うのは分を弁えぬものでございましょうか。

 今宵の殿方たちの酔い方は恐ろしいと感じて、人の多さに紛れて隠れて下がってしまおうと同輩の宰相の君と言い合わせて二人て几帳の後ろに身を移しました。


「和歌を一人づつお詠み申せ。ならば許そう」


 道長様が目ざとくわたくしどもを見付けられて、几帳を除けてしまわれました。道長様も相当お酔いでございます。目付きや足取りがあやしく、まさに身が縮むほどの怖さでございます。気を強く持ち、歌を詠みました。


「いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまりひさしき 君が御代をば」

 ――いかようにして親王様の長いお歳を数え尽くすことができましょうか。


 道長様は何度か口の中で吟じて、返しの歌をくださいました。


「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ」

 ――鶴のような寿命があれば親王様の千年のお歳を数え、お見届けできるであろう。


 親王様のご誕生からずっとそのように思されておいででございましょう。酔態でもこのように早く詠まれるのはごもっともと感心いたしました。親王様がお引き立てされてこそよろずの祝い品々も価値を生むものでございます。千歳の寿命でも足りないようなおんゆくすえがありますようにと、物の数に入らぬ身ではございますが、心より願います。

 道長様のお口は、これで止まらなかったのでございます。


「中宮様、わたくしの歌をお聞きになりましたか? 上手く詠めたとお褒めください。

 中宮様の父としてわたくしは悪くないでしょう?

 わたくしの娘御として中宮様は悪くいらっしゃらないですよ。側の母君もさいわいであると思って笑っていらっしゃいます。良い夫を持ったとご自慢に思っていらっしゃるでしょう」


 お戯れが続き、祝い酒で嬉しさが隠せないのだ拝見いたします。大きなお声でしたので、周りにもしっかりと届いたことでございましょう。彰子様はただ大人しく親の冗談をさらりと聞いていらっしゃいました。二十歳を超え、母になられた彰子様からすれば親の言葉を一々重く聞いてはおられぬとお感じでございましょう。またお后様となれば、父とはいえ左大臣は臣下でごさいます。平素と変わらぬお顔をお保ちでいらっしゃいます。しかし、鷹司の上は道長様のお言葉にご機嫌を損じられたのか、腰を上げ、ご自身のお部屋へ下がろうとしようとなさいました。わたくしと同じく、同席する右大臣や内大臣、権中納言に対しての慮りがおありだったのかも知れません。

 道長様はまた大きなお声で仰言っいました。


「北の方をお見送りせねば。母君はお恨みになる」


 と、鷹司の上の後を追い、御帳台の影を通っていったのでございます。


「中宮様、失礼だと思し召しにならないでください。親があるからこそ子も立派に過せるのですから」


 道長様の呟きがまた聞こえ、皆々笑いさざめくのでございました。

 宰相の君と目配せし合い、彰子様にご挨拶をして、わたくしどもはあてがわれている休む場所に下がりました。

 重たい装束を脱ぎ捨て、化粧を落とすと、山のようになった装束の上に倒れ込んでしまいました。


 ――ああ、疲れた。お祝いはいいけれど、どうしてこんなに酔っぱらって騒ぎ立てられるのかしら。主上をお支えする重臣の方々が見苦しい、烏滸の集まりじゃないの!


 わたくしは胸の内で叫びを上げていたのでございます。これは声にも出せず、文に書き留められない、まこと心憂きことでございます。

 わたくしもお酒を飲み、酔いつぶれられれば、気が晴れますでしょうか。

 参考

 『紫式部日記 紫式部集』 新潮日本古典集成

 『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』 山本淳子 朝日新聞出版


 『源氏物語』の作者は、はじめ藤式部の候名で上東門院彰子に仕えました。次第に藤にゆかりのある色に因んで、或いは『源氏物語』の「若紫、紫の上」に因んで、紫式部と呼ばれるようになったと言われています。

 旧暦で七月は秋です。


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[良い点] 王朝小説の気品がありながら、狂言回しが紫式部という豪華さ。 [一言] てっきり曲水の宴のお話かと思いましたが、これはまた今ならアルハラ間違いなしのお話でした。 いっそ蒸留酒なら即効でぶっ倒…
[良い点] 文代の御時であっても、 騒がしきはつとに億劫(おっこう)なりしもの。 今世と変わらぬ、悩みの種なり。 酔っぱらいはいつだって、めんどうですよね。 あの時代と今が繋がった気がします。
[一言] いくら身分が高くても、酔ってだらしなくなるのは残念ですよね。特に右大臣、短歌を詠む声もひどそうでしかたありません。道長様もおそろしい。もとは御五十日のお祝いだったはずですよね。 これは小説…
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