第九十一話:ヒルキエラ国への進軍準備
ルナタスの街で魔族軍の第二、第三師団を勇者の刃にて選別した慈は、現魔王ヴァイルガリンを簒奪者と見做して決起した魔族軍組織『ヒルキエラ解放同盟』と共闘関係を結んだ。
彼等との計略で深夜の王都シェルニアを急襲して第一師団を一掃した慈達は、朝までにシェルニアの暫定統治者を選定すると、魔族国ヒルキエラへの進軍準備に取り掛かっていた。
「今のところ、第一師団の残党は見つかっていません。恐らく全て排除出来たものかと」
「ヒルキエラ解放同盟は、進軍メンバーの選出に少し時間が掛かりそうだね」
「私達の準備は問題ありません。明日にでも出られますよ」
王城の一室にて、アンリウネ達六神官から現状報告を受ける慈。ヒルキエラ解放同盟との連絡役は『縁合』にも手伝って貰っている。
ルナタスに待機していた元魔族軍第二、第三師団の残りの兵員もシェルニアに向かっており、全軍が揃い次第、ヒルキエラ解放同盟の本隊として再編される予定であった。
今後のルナタスの統治については住民の中に丁度良い人材が居たので、その人が抜擢された。元領主の側近だった人物であり、領主代理としての活動経験も豊富なのだそうだ。
ちなみに、魔族の統治者が支配していた頃は円滑な統治の為に裏で雇っていた、住民の若者を中心にした工作組織があった。
表向きは影でレジスタンス組織を名乗る裏の組織という少々特殊な集団で、ヒルキエラ解放同盟の決起宣言後、ルナタスの統治を任せる手筈だった。
ところが、その組織のリーダーや幹部達が軒並み行方不明に。恐らく、勇者の刃に消えたものと思われる。
なので急遽、前領主の関係者を当たって領地経営の出来る人材を探し出したらしい。組織の形と構成員は残っているので、新しい統治者が上手く使うだろうとの事。
「じゃあ俺達はいつも通り、先行してヒルキエラに向かおう。抜け道は把握してるんだっけ?」
「ええ。ルイニエナさん達の情報と、『縁合』の精査も入って確実な経路を確保していますよ」
シャロルが資料を片手にヒルキエラまでの行程を説明する。
大勢で進むと気取られてしまうが、地竜一頭立ての勇者部隊ならこっそり抜けられる道を通って魔族国ヒルキエラに潜入。
現地で『縁合』と合流した後は、ジッテ家と連絡を取ってルイニエナの父である当主カラセオスとの面会まで漕ぎ着ける計画。
「流石にルイニエナの事はもう伝わってるよな?」
「はい。詳しい内容はまだですが、ジッテ家に接触した『縁合』との連絡も取れているそうです」
ヒルキエラ国において、ジッテ家の動向はヴァイルガリン派から常に監視されているであろう事は容易に想像できる。
それらを掻い潜ってジッテ家との交渉までやってのけた『縁合』の諜報力には感心する。彼等の尽力に報いる為にも、ここからの作戦と計画は成功させなければならない。
ヴァイルガリンを討伐して魔族国の覇権主義勢力を一掃し、人類と共存していける新たな魔王の選出を推す。
それをもって『人類を救う』という勇者の使命を果たす、というのが慈の計画の最終目的だ。
「それと、フラメア様なのですが……」
『縁合』経由でもたらされる様々な情報と資料を纏めた報告書を手に、アンリウネが少し言い淀む。
「ん? あの面倒な方の姫さんがどうかした?」
「その……シゲル様の事で色々画策しているようでして」
慈の『面倒な方の姫さん』呼ばわりをスルーしたアンリウネは、フラメア王女が人類救済後の勇者の取り扱いについて、慈が元の世界に還らないように仕向ける方針で動いている事を明かす。
「まあ、想定の範囲内だよな」
以前、ルイニエナ達を魔族側の協力者として保護するにあたり、勇者の名に連ねてフラメア王女の名も貸して貰えるよう要請し、秒で承諾された際。
フラメア王女は『縁合』の後ろ盾にもなる条件で『包括諜報網』の利用権を求めて来た。慈はその時から、王女が何かしら懐柔策を打って来るであろう事は予測していた。
なのでアンリウネ達にも「召環の儀式はオーヴィスに帰還せず、遠征先の魔族国でして欲しい」と、その日の帰り道で伝えている。
六神官の誰か、もしくは全員とでも結ばれてしまえば、寿命を削って召還の儀を行わないので、将来を伴侶と共に末永く生きられる。
世界を救った英雄として称えられ、何不自由ない生活が約束されている――そんな情報をばら撒くだけでも、周囲の人々は親切心や惜しむ気持ちから引き止めようと動くだろう。
多くの人々から祝福され、留まる事を望まれているという環境に身を置いていれば、感情を持つ人間である以上は気持ちが絆されたりもする。
神殿に古くから伝わる勇者の取り扱いマニュアルには、歴代の勇者達に共通する項目の一つに、『彼等は皆、例外なく内に寂しさを秘めている』という一節が記されていたりもするのだ。
「とりあえず予定通り頼むよ。このまま上手く行けば、目標の完遂までそんなに掛からないだろうし」
後十日――は無理でも、二十日もあればヒルキエラに乗り込んでヴァイルガリンを討伐できると予測を付けている慈に、アンリウネは躊躇いつつも、こんな事を言った。
「今こういう事を訊くのは不適切かもしれませんが、シゲル様は私達に異性としての興味は持たれないのですか?」
アンリウネの口からそんな言葉が出た事に、シャロルやセネファスが少し驚いた表情を浮かべている。
慈からは以前はっきりと『男女の関係になるつもりはない』と告げられているが、たとえ還る事を引き留めなくても、情事を持つくらいはあっても良い筈だと。
誘っているとも取れる中々に大胆な問い掛け。しかし慈は、彼女は基本的に男性に免疫がない事を知っているので、いきなり核心を突いた。
「姫さんに何か言われた?」
うっと言葉に詰まるアンリウネに、全てを察した表情で咎めるような視線を向けるシャロル。彼女達の様子から、この話は六神官の間でも共有されていなかったようだ。
「その……迫れと、一言」
「分かり易いなっ」
アンリウネ個人宛の手紙で、フラメア王女からの極秘指令があったらしい。そういう事にも精通していそうなシャロルに話が回らなかったのは、慈の性格を見越してなのか。
捕虜に対する扱いや、慰問巡行先での活動。遠征訓練とここまでの進軍中に見られた慈の行動理念から、アンリウネを使うのが一番効果があると判断したのかもしれない。
「慣れない事をやらせて健気な姿を見せたり、居たたまれない状況を作れば、同情を狙えるとでも思ったのかもしれませんね」
シャロルが冷静にそんな分析をしている。
実際、六神官全員に『勇者様を籠絡せよ』と指令が下ったとして、シャロルは何だかんだと手を回して慈の味方をするだろうし、姐御肌というか男勝り属性なセネファスは性格的に向いてない。
普段大人し過ぎて目立たないフレイアが突然そんな行動に出れば、不自然さが増して警戒心が先に立つだろう。
レゾルテは分かり難いが、分かり難いなりに、シャロルと同じく王家の意向には従わず慈の味方をしそうだ。
リーノは若過ぎる。色々足りない。
「消去法でアンリウネさんにゴーサインが出されたわけか」
「ううう……」
若干涙目で赤面しているアンリウネは、慈から時々出て来る謎の言葉に「ごーさいん?」と小首を傾げながらも、唐突な話題を振った事を詫びた。
「まあ王族の意向なんだから、気軽に無視するわけにもいかんよな」
そらしゃーないと理解を示す慈。しかし、これでますますヒルキエラで事を済ませば、オーヴィスに戻る訳にはいかなくなった。
「あんまり詳しく聞いてなかったんだけど、『召還の儀』には魔法陣とか必要無いんだよな?」
「はい。召喚で呼び寄せたシゲル様は、魂の一部が元の世界に在るので、そちらから呼び戻される形になります」
召喚でこの世界に顕現した勇者は、二つの世界を跨ぐ曖昧な存在と化しているが、魂の所属は存在の起点となる元の世界にあるのだそうだ。
元の世界との繋がりが絶たれれば、こちらの世界に定着する。
「そういう仕様なのか」
元の世界との繋がりが絶たれる条件は個人によって様々だが、本人が強くその世界に在る事を望めば、分かたれた魂の欠片がそちらに引かれて融合し、所属が安定するらしい。
慈は元の世界に還る事を諦めておらず、強く願ってもいる。なので還る場所が失われる心配は無いが、警戒すべきは思考を誘導される事。
暗示や呪いの類は通用しない身体になっているので、強制的な洗脳等による思考の束縛は退けられる。
しかし、当人の自主的な心変わりは避けられない。
感情に訴える状況を作られて絆されないように、身の回りの動向にはしっかり気を配らなくてはならないだろう。
「まあ、今回はアンリウネさんが分かり易くて助かったよ」
「ううう……」
これにはフラメア王女も想定外だっただろうと肩を竦めて苦笑する慈に、思わぬポンコツさを曝してしまったアンリウネは、恥じらいで呻いていたのだった。




