第九十話:潮流
深夜。魔族軍の最強戦力、第一師団が駐屯するルーシェント国の王都シェルニアに、緊急事態を告げる先触れが届いた。
数日前に連絡が途絶えたルナタスの街から、脱出して来たという第二、第三師団の伝令を名乗る者が受け入れを求めているという。
防衛部隊が慌ただしく正門周辺に集結し、偵察の兵が確認と索敵に出される。
やがて、街道の先から軍部隊の列が現れた。規模はおよそ数千人と見られ、明かりは少ないが所々に掲げられている軍旗は、第二師団と第三師団を示している。
「所属を確認した! 開門せよっ!」
「友軍だ! 治癒術を使える者を集めろ!」
門前の警備兵と偵察から戻った兵からも味方である旨が伝えられ、シェルニアの正門が開かれる。
門を潜って王都に入って来た第二、第三師団の軍部隊は、余程慌てて脱出したのか装備もまちまちで、軍服に甲冑を装備していなかったり、殆ど私服の状態で武装すらしていない者も居た。
軍馬が引く数台の馬車も軍用ではなく、民間の乗合馬車に幌を取り付ける改造を施して使っているようだ。
馬車隊の列には、同じように幌を張った地竜が一頭だけ交じっている。
「迅速な対応に感謝する」
「それにしても、この有様は一体何があったというのだ」
「ルナタスで、件の勇者の襲撃を受けた」
軍列を率いて来た指揮官の代表者の話によると、第二、第三師団全軍の半数以上が勇者の放つ光の刃に飲まれたそうな。
この指揮官は当時、外回りの部隊を指揮しており、勇者の奇襲に気付いて対応しようとしたのだが、街全体を覆う勢いで広がって来た光の刃から逃れるべく這う這うの体で逃げて来たと語った。
「ううむ、ルナタスの第二師団と第三師団が一晩で壊滅したというのか……」
「とにかく、詳しい報告を聞こう」
防衛部隊の隊長達は、司令部として使われているシェルニアの王城へ向かうよう促した。そこに第一師団の幹部達が詰めているという。
「なるほど、ここでも王城が司令部なのか」
地竜に張られた幌の中から、誰かの呟く声がした。次の瞬間、案内役を買って出ていた部隊長は悪寒を感じて振り返る。
「まて、何か……変な気配がしないか?」
まるで源泉から湧いて出るかの如く濃厚な魔力が、大きく膨らんでいくような感覚。
「……すまんな」
防衛部隊の隊長達に対して、指揮官の代表者は短く詫びた。その意味を問う間もなく、部隊長の視界は真っ白に染まり、意識も身体も消え去った。
突如、地竜を中心に発生した光の柱が、巨大な壁となりながら広がっていき、正門前に集まっていた防衛部隊や警備兵を飲み込んだ。
第二、第三師団の指揮官達と向き合っていた、第一師団に所属する者達が、衣類や装備品だけ残して消失する。
野次馬的に集まっている群衆に紛れていた密偵も、同じように消し飛ばされた。
「こ、これは!」
「勇者の攻撃では……!?」
防衛部隊や警備兵の中には、何人か消えずに生き残っている者達がいた。彼等は光壁の出所を見てハッと気付く。
幌を張った地竜は、魔族軍の軍装を付けていない。
勇者が地竜を従えている事は、既に魔族軍内でも周知されている。が、目の前の地竜が勇者部隊だったとして、何故第二、第三師団の軍列に居るのかが分からない。
彼等が動揺と困惑に固まっている間にも、少しづつ方向を変えながら次々と放たれる光の壁が、王都の街を薙いで行く。
そんな彼等に、第二、第三師団の軍列から歩み出て来た指揮官達が声を掛ける。
「この光を浴びて健在である貴殿等は、現魔王に忠誠を誓っておらぬな?」
「……っ!」
唐突にそんな事を訊かれて戸惑う兵士達に、指揮官の代表者が現状と自分達の立場について語った。
「我等は前魔王様に忠誠を誓っていた反ヴァイルガリン派である」
「簒奪者ヴァイルガリンを討つべく、勇者と手を組む事になったのだ」
これは裏切りではない。簒奪者によって禍の国と化した魔族国ヒルキエラを正常化する為の、粛清と決起の狼煙である。
第二、第三師団の指揮官達はそう語ると、勇者の光壁攻撃を生き残った彼等に決断を迫る。
「我等は『ヒルキエラ解放同盟』。貴殿等の参戦を望む」
「簒奪者討伐の戦列に加わり、祖国ヒルキエラを本来あるべき繁栄の途へ導くのだ」
深夜に起きた勇者部隊による王都シェルニア急襲、及び『ヒルキエラ解放同盟』の決起宣言。これにより、夜明けまでにシェルニアの第一師団は一掃される事となった。
異変に気付いてシェルニアを脱出した僅かな生き残りが急遽ヒルキエラに戻り、魔族国にも事の次第が伝えられた。
「解放同盟を名乗る連中は、大半が第三師団に所属していた者達らしいぞ」
「ルナタスに駐留する第二師団も、解放同盟の決起に呼応しているそうだ」
「奴らめ、やはり叛意を隠していたか!」
「それで、ヴァイルガリン様は何と?」
「報告は届いている筈だが、未だ玉座の間に籠もったままだ」
「勇者の力に対抗する術を研究しているという話だったが……」
ヒルキエラの魔王城を護る親衛隊や近衛騎士達は、三年以上掛けて広げた魔族の支配領域が、勇者の出現から僅かな期間で隣国まで押し戻されている現状と、ヴァイルガリンの引き篭もりに困惑する。
「ふむ……まあ一応、指示は出ているのだ。とにかく全ての戦力をヒルキエラに集結させよう」
ヴァイルガリンが出している命令は全兵力のヒルキエラ集結。実質、全面撤退を促すような内容な為か、指示を無視する独立部隊がちらほら出ている。
各軍部隊を統率する立場の司令官達は、勇猛なのは良いが命令に従わない部隊は扱いに困ると内心で溜め息を吐きつつ、地方の街や村に派遣している少数部隊に帰還命令を出すのだった。
シェルニアの解放と『ヒルキエラ解放同盟』の決起は、『縁合』の諜報網を通じてクレアデス国やオーヴィス国にも伝えられた。
「勇者様はもうそんな所まで……」
「まさに一騎当千を顕現する御仁ですな。我々のような足枷が無ければ、この戦功も納得かと」
「勇者様の御力には同意しますが、あまり自分達を卑下するものではありませんよ? 将軍」
勇者部隊の快進撃について話す、ロイエン王太子とグラドフ将軍にレクセリーヌ女王。
クレアデス解放軍との共闘で紆余曲折あったが、勇者部隊が単独で動き始めた途端、あっという間にルーシェント国の王都を奪還。
魔族に反ヴァイルガリン派の決起軍まで起こして魔族国に王手を掛けている。
そのあまりの迅速さに、つくづく自分達は勇者部隊の邪魔にしかなっていなかったと肩を落とすグラドフ将軍とロイエン王太子を、レクセリーヌ女王が苦笑気味に窘める。
彼等は『勇者シゲル』と取り交わした約束に従い、引き続き新生クレアデス王国の復興を進めながらルーシェント国への援助を続ける方針で話し合った。
オーヴィス国の聖都サイエスガウルの離宮では、フラメア王女に『縁合』の構成員が勇者部隊の動向とルーシェント国の情勢について報告していた。
「勇者様の動きが早過ぎますわ」
報告を受けたフラメア王女は、このままでは密かに進めている『勇者残留計画』の準備にも支障が出るレベルだと肩を竦める。
「計画を頓挫させる訳にはいきませんし、はぁ……困りましたわ」
「……」
情報を届ける『縁合』の構成員は、フラメア王女が勇者を懐柔する方針で動いている事は把握しているが、一組織としてその計画に追従するつもりはない事を告げる。
「我々は勇者殿の恩義に報いるべく活動しています。姫君にもまた、様々な便宜を図って頂いている事に感謝の念は堪えませぬ」
今後も勇者に関する情報は届けるが勇者の邪魔はしないし、勇者の不利益になるような行動はとらないと、『縁合』は自分達の立ち位置を明確にした。
「構いませんわ」
そう返したフラメア王女は、自身も勇者の不利益になる事をする気はないと語って『縁合』の方針に理解を示した。
あと腐れなく還るにしても、勇者の血は残して行って欲しいというのが、フラメア王女の思惑でもあった。
「綺麗所としての役割も担っている六神官の娘達にお手付きは無さそうだし、いっそ私が誘惑してみようかしら」
「「……」」
そんなフラメア王女の呟きに、『縁合』の構成員のみならず王女の御着きの密偵までもが、深い沈黙の中に『それは止めといた方が……』という想いを抱いていたそうな。




