第八十七話:ルーシェント国へ向けて
アガーシャを出発した勇者部隊は、真っ直ぐルナタスの街を目指すのではなく、少し回り道をする予定で街道を進んでいた。
もうしばらく進んだあたりで森に分け入る。地元の人間しか知らない『抜け道』があるらしいので、そこを使って国境を越え、ルナタスの街の近くまで一気に駆け抜ける計画。
ちなみに、抜け道の情報源は聖都に居るルイニエナ達だったりする。
魔族軍第三師団に随行していた彼女達の『救護隊』は、無用な部隊として不遇な扱いを受けていたのだが、師団内で仕事が無いのならと他の下っ端部隊の手伝いに駆り出されたりしていた。
そんな活動の中で、偵察用の魔物部隊に交じって進軍先の地形調査をしていた時期に、ルーシェント国領内の色んな方面に繋がる抜け道の存在を知る事となった。
とは言えこの抜け道、森の中や険しい山道が入り乱れており、とてもではないが万に近い大軍を秩序立てて移動させられるような道ではなかった。
その為、荒れ道に強い魔物や斥候専門が使う道として記録されていたらしい。馬車を通らせるのにも相当苦労するそうだが、ヴァラヌスの踏破性能なら問題無い。
『縁合』の連絡員も抜け道の途中に配置されているので、何かあれば直ぐに必要な情報が届けられる体制が整えられていた。
「シゲル様、大丈夫ですか?」
「気分が優れないなら直ぐに言って下さいね」
普段移動中は特に会話する事も無いのだが、アンリウネ達が何かにつけて慈を構おうとする。
それというのも、出発直前に戴冠式の会場で『巨壁版』勇者の刃を放って、新生クレアデス国に必要のない者達を消却処分するという、処刑人のような仕事をこなしたからだ。
強大な力を扱える反面、戦いに対する心構えなど十分な訓練を受けたわけではない一般人の慈は、人の死に対する耐性が低い。
相手が倒すべき敵であっても、人を殺す事には忌避感を持っている。
既に覚悟は済ませているので戦いを躊躇う事は無いが、それでも平気でいられる訳ではない。アンリウネ達は、今回の事でまたぞろ反動が出ていないかと心配している。
「大丈夫。思ったより問題無いよ」
慈は自身のウィークポイントを理解しているし、これまでの戦いで反動を回避する工夫も模索して来た。
今回は肉のひと欠片、血の一滴さえも残さないように消し飛ばしたので、戦場の時のような忌避感や嫌悪感は然程感じなかった。
(まあ、一回リアル血の海作ったからなぁ。あれで多少の耐性がついたのかも)
そんな調子で抜け道に向かう勇者部隊は、やがて目的の場所から森に入った。獣道のような草木の合間や岩の隙間を通って国境を超える。
森の奥深くまで進むと、岩壁に面した水場があった。小さな滝が流れており、周辺は野営場として多少整えられている。
今日はここで一夜を明かす。
ヴァラヌスの存在が森の獣を寄せ付けないので、地形とも相まって安全は確保されている。皆で天幕を張っている間に、レミが獲物を狩って来てくれた。
「鳥が獲れた」
「おお、スゲーな」
早速パークスが捌くのを手伝う。こういった狩猟係の知識となると、アンリウネ達六神官はあまり頼りにならないので、レミとパークスの存在は本当に有り難かった。
「システィーナさんは捌いたり出来るほう?」
「私は、一応講習は受けた事がありますが……」
アガーシャ騎士団長のシスティーナは野営訓練で血抜きから皮剥ぎに内蔵の処理などを一通り習ったものの、団長職をやっている間はそうした技術を活かす機会もなかったそうな。
「シゲル殿は、やはり手慣れているのですか?」
「うんにゃ、全然。やってもネズミとかカエルとか、偶にヘビくらいしか剥いた事ないな」
鳥の絞め方や羽毟りなどは全く分からないと肩を竦める慈。
二人の会話に耳を傾けているアンリウネ達は、以前、慈から聞いた別の未来の廃都での生活の話を思い出して複雑な表情を浮かべていた。
鍛冶師のマーロフが素早く組み立てた調理機を使って、御者さんが料理人の如く捌いたばかりの肉を焼いていく。
味付けに使える薬草なども、この森には豊富に生えているらしい。
抜け道を使った勇者部隊の単独行軍は、そんな平穏な雰囲気で順調に進んで行く。途中、魔族軍の斥候と遭遇するような事もなく、割りと快適な旅となった。
五日ほど掛けて森を抜けると、ルナタスの街の防壁を見渡せる場所に出た。位置は街の南東付近に広がる雑木林に囲まれた低い丘の上。
この低い丘からクレアデス国への国境超えが出来る森に繋がる抜け道があるとは、外から一見しただけでは分からない。
今は夜明け前の刻なので、林周辺は暗闇に包まれている。
「あれがルナタスの街か」
「はい。ここから街の周辺までは開けた地形が続きますので――」
明るくなれば隠れて近付くのは難しいと、御者が教えてくれる。防壁上にポツポツと並ぶ篝火で街の位置と規模が大体把握出来た。
ルナタスに潜伏している『縁合』からの情報によると、現在あの街にはヒルキエラで補充を済ませた第三師団と、先日アガーシャから撤退した第二師団が合流して駐留中との事だった。
両師団合わせて約20000の軍勢。
「で、どう攻める?」
「ここからは俺本来のやり方で行く」
パークスの問いに、慈はそう答えて竜鞍を降りる。
「皆はここで待機。レミ、宝珠の外套を貸してくれ」
レミから外套を受け取り、代わりに宝珠の魔弓を渡しておく。勇者部隊の中では、レミが最も弓を上手く扱えるので、狙撃手として皆の護りについて貰う。
「シゲル様、まさか御一人で行かれるのですか?」
アンリウネ達が心配するも、慈はこれが自分の戦い方の基本だと説明する。隠密で近付き、勇者の刃で範囲攻撃一閃。攻撃の瞬間だけ派手目な暗殺スタイル。
「これまでは俺の存在を魔族側や味方の人類側にも周知しておく必要があったけど、ここからは当初の予定通り、速攻で行く」
オーヴィスの勇者として魔族軍を退けて力を示し、クレアデス国を解放して後ろ盾も強力になり、救世主としての知名度も上がった。
今なら、魔王ヴァイルガリンに内心では反目している魔族達を説得して動かせるかもしれない。
魔族国ヒルキエラに入ってからの事を考えると、魔族の味方も増やしておく必要があると慈は考えていた。
そういう意味では、『縁合』を始めルイニエナやラダナサ、スヴェン達との邂逅は僥倖であった。
「じゃあ行って来る」
「御気をつけて」
「なにかあったら直ぐ呼べよ?」
「何時でも駆け付けられるよう待機しています」
六神官とパークスやシスティーナ達に見送られながら、宝珠の外套で姿を消した慈は、真っ暗な林の中を静かに駆け出した。




