第八十四話:アガーシャ奪還
魔族の兵士は下っ端の雑兵でも人間の熟練魔術士並みの魔術を扱える。身体能力も基本値が素で高く、十分に強い。
故に、精神抑制された無気力魔族兵と人間の熟練騎士でようやく釣り合うほど。それでいて数は圧倒的に多いのだから、勇者の力さえ封じれば負ける理由が無い。
(それなのに、なぜ押されているっ? 最前線の部隊は何をやっているのだ)
正門広場一帯を見渡せる建物のバルコニーに詰めている対勇者攻撃部隊の指揮官達は、開門して出撃させた先陣部隊が突撃から殆ど間を置かず、正門広場まで押し込まれた状況に困惑する。
精神抑制された無気力兵は多少動きが遅くなっても、人間の兵士相手に簡単に後れを取るほど弱体化する訳ではない。正門前に陣を敷く時間も十分にあった筈だ。
にも拘わらず、クレアデス軍の突入を防げず正門周辺を制圧されている。
「動きが鈍すぎて出口で詰まったのでは?」
「いや、それでも門を突破されるのはおかしい」
「外に出た兵士達はちゃんと戦っているのか?」
「なにぶん、兵を無気力にして戦わせるなど前例のない戦術だからな……」
布陣しただけで敵兵を素通りさせているのではないか等と、あり得ない不具合の可能性を推測する指揮官達。防壁上に兵を置いていない為、正門前の正確な状況が掴めないでいた。
ちなみに、防壁の上に兵を置かなかった理由は、パルマムが奪還された時の様子を聞いて分析した結果、真っ先に狙われて危険と判断したからである。
最前線の状況を伝える役目も果たせず殲滅されるだけになるなら、始めから置かない方が良い。
「とにかくだ、門を取られてしまった以上、正門広場が戦いの最前線になる」
「うむ。クレアデス軍に援軍が無いのであれば、ここで勇者共々殲滅して終わりだ」
広場を俯瞰出来る今の位置より、敵味方を目視しながら指揮を執れば間違いないと、魔族軍の指揮官達は各々自分の担当する部隊に指示を出し始めた。
一方、クレアデス解放軍と勇者部隊。
対峙する魔族軍が無気力兵になっているお陰で、クレアデス解放軍の兵士達は比較的安全に斬り結べており、慈はこれならこのまま解放軍に活躍させようと、背後からの援護を続けていた。
精神抑制された魔族軍の無気力兵達は現状を正しく認識出来ておらず、危険を感じて退避するという行動が起こせないらしい。
その為、亡者の群れの如く次々と門から湧いて来ては、勇者の刃と偶にクレアデス解放軍の剣にも屠られていく。
魔族軍側の指揮官が事態の深刻さに気付いたのは、正門広場での戦闘が始まって直ぐだった。
広場に雪崩れ込んで来たクレアデス解放軍に対勇者攻撃部隊を斬り込ませた瞬間、光の刃が飛んで来て無気力兵達を薙ぎ払ってしまったのだ。
「何だ!? あの部隊は精神抑制を施してないのか!」
「そんな筈はない! 再編制した全ての対勇者部隊は完璧に処置されている!」
漏れは無かったと断言しながらも、その部隊の一つが勇者の特殊攻撃で消し飛ぶ様を見て動揺する。
「どういう事だ……さっきまでは無傷でやり過ごせていたのに」
「敵対意思を持たぬ者にも当たるよう、対応して来たのでは?」
「いや、元々指揮官のみを狙い撃ちにしたり出来る特殊攻撃なのだ。対象を任意に切り替えられると見るのが妥当だろう」
「とにかく、このままでは押し切られてしまう。兵達の精神抑制を解除して反転攻勢に出るべきだ」
各指揮官達との話が纏まったところで、第二師団長は次の一手を考える。なるべく多くの意見を聞いてから方針を決めるのが、第二師団のやり方であった。
「そうだな。幸い勇者と地竜はまだ門の外だ」
「広場の敵兵は乱戦で処理するとして、勇者には兵達の魔法で波状攻撃を仕掛けよう」
「ああ、それが勇者本人に通用するかは分からないが、地竜を潰せばかなりの機動力を奪える」
勇者が魔族国ヒルキエラを目指しているのは間違いないので、かなりの時間稼ぎにもなる筈。
そう結論付けた第二師団長は、対勇者攻撃部隊を一旦下げつつ、入れ替わりに精神抑制されていない通常部隊の投入を指示した。
「護符持ちの指揮官は現場で指揮を執れ、下げた部隊は精神抑制の解除と撤退準備を急がせよ」
光の刃をやり過ごせなくなった以上、甚大な被害を覚悟しなければならないが、指揮さえ機能していればクレアデス軍を排除して勇者の足を討つくらいまでは出来ると判断。
アガーシャの防衛と勇者部隊の撃退そのものは早々に諦め、効果的な足止めを戦果に迅速な撤退を方針とした。
ならばここが踏ん張りどころだと、護符持ちの指揮官達は建物を出て正門広場に突入する部隊の指揮に加わった。
「攻撃魔法一斉射! クレアデス軍の相手は適当で構わん! 勇者部隊の地竜を狙え!」
指揮官が現場で直接指示を出し始めた事で精神抑制を受けている部隊の動きも若干良くなり、後退する無気力兵と突入する通常の兵がスムーズに入れ替わる。
結果、終始押していたクレアデス解放軍の一角が急激に崩れた。そこに斬り込んで押し返そうとした魔族軍の通常部隊に、光の刃が襲い掛かる。
「! 味方が押され始めました。魔族軍の動きが変わったようです」
正門を越えて果敢に攻めていたクレアデス解放軍が押し戻され始めたのを、鋭く察知したシスティーナが警告する。
魔族軍は勇者の刃対策だった無気力兵を引っ込めて通常の戦力を当てて来たようだ。こうなると地力や数に劣る解放軍部隊の損耗率が一気に上がる。
「ここまでだな。終わらせよう」
クレアデス解放軍も十分な戦果が上げられた。慈は、これまで控えめに単発で放っていた勇者の刃を、遠慮なく連発して畳み掛ける。
その瞬間、魔族軍の第二師団長は己の判断ミスを悟った。勇者部隊の位置が門の外とか内とかは関係が無かったと気付く。
勇者の攻撃は壁だろうが生き物だろうが擦り抜けて来るのは分かっていたが――
「!……これほどのっ」
守りに入ったクレアデス解放軍の後方から絶え間なく飛んで来る光の刃が、容赦なく魔族軍の兵だけを貫き、もはや戦闘とは呼べない勢いで一方的に屠っていく。
先程までの拮抗した戦いは何だったのかと困惑する中、光の刃を受けた護符持ちの指揮官があっさり両断された。
「全然駄目じゃないか!」
「御符が通用していないぞ!」
「効果が無い! 撤退っ、撤退だ!」
魔王の御符に勇者の攻撃を防ぐ効果が無いと分かった事で、指揮官達は第二師団長の命令を待たずに一斉に逃げ出した。魔族兵達も即座にそれに追随する。
一応、勇者を相手に今回の対抗手段が機能せず、目論見が失敗した場合は各自の判断で撤退するよう指示が出されていたので、敵前逃亡ではなく既定の行動ではある。
が、勇者の攻撃に曝される中、斬り結んでいたクレアデス解放軍に背を向けて撤退する様子は、まるで士気が崩壊して潰走しているかのようにも見えた。
魔族軍の撤退に合わせて、クレアデス解放軍と勇者部隊は王都内へと歩を進める。
「本当に、パルマム戦の再現になりましたね」
宝珠の盾を構えているシスティーナが、王都アガーシャの街並みを見渡して感慨深げに呟く。
クレアデスの王国騎士団長として王族を護りながらパルマムまで落ち延びた彼女にとって、王都の奪還は特別な意味があったのだろう。
地竜ヴァラヌスの御者台で宝剣フェルティリティに光を纏わせている慈は、システィーナの呟きに込められた想いを察して声を掛けた。
「落ち着いたら、街を案内してもらえるかな?」
「はい。是非」
周囲への警戒は怠らずとも、普段あまり見せない優しい微笑みを返すシスティーナ。そんなやり取りに、同じ竜鞍上の六神官やパークス達が何となくほっこりしていた。
その頃、魔族国ヒルキエラの王城にて。玉座の間に引き篭もっているヴァイルガリンは、自作の特殊な祭壇に降って来た魔力を感じて、そちらに意識を向ける。
「やっと届いたか」
第二師団に持たせた『魔王の御符』と共鳴している祭壇は、御符を持つ者が攻撃など強い干渉を受けた際、力の流れや魔力の動きを正確に数値化して示す事が出来る。
御符から送られて来た『勇者の刃』を構成する力場の詳細を得て、ヴァイルガリンは一先ず上手くいったとほくそ笑む。
対抗する装備なり防御術式を作るには、どうしても『勇者の刃』の実物サンプルが必要だったが、これで十分な量が集まった。
早速情報の解析に入る。
「ふむふむ……なるほど、やはりただの攻撃魔術などではなかったな。魔力の発生位置からして投射系でもない。浸食系の干渉型……精霊術の現象系に近いか」
手元にある、オーヴィスの魔族派神官から入手した神殿の極秘資料も参考に、解析と推察を重ねておおよその答えを導き出す。
「勇者の刃の正体は視えた。これに対抗するには――」
「その方法で大丈夫か? 任意に対象を切り替えられるなら――」
「いや、条件は変わらない筈だから、後は認識阻害の――」
玉座の間に設けた研究場に一人籠もっているヴァイルガリンは、ある意味、自問自答を繰り返しながら『伝説の救世主』に対抗する術を模索していくのだった。




