第八十二話:王都奪還戦の始まり
王都アガーシャの奪還に向けて、中央街道を進軍するクレアデス解放軍は、ついに王都の全域を見渡せる丘に到着した。ここを下れば、王都の正門前までは一刻と掛からない。
眼下に広がる王都アガーシャの街並みは、建物が大きく道幅も広い造りであるが故に、オーヴィスの聖都サイエスガウルよりも広大であった。
そんな王都の街中には、整列した大隊規模の魔族軍部隊が其処彼処に配置されている。外に展開している部隊は見当たらない。
クレアデス解放軍は丘の上で一度隊列を整えると、正門前に向けて前進を始めた。
「魔族軍側に動きは?」
「今のところ、ありませんな」
周囲を油断なく見渡しながらロイエンの問いに答えるグラドフ将軍。二人は当初、この丘の付近で魔族軍の待ち伏せなり牽制が来るかと構えていた。
が、斥候すら見当たらない事を訝しみ、何かしらの罠を警戒しつつ進軍を続けていると、丘の周辺を探らせていた偵察の部隊から奇妙な報告が上がった。
凡そ数十人分の魔族軍の物と思われる無数の武具類が、丘の上や中腹の茂みに散らばっていたという。
それらの武具類は、長く雨ざらしにされて錆びた投棄物ではなく、きちんと手入れがされており、まさに昨日今日そこにばら撒かれたような状態だったという。
なぜ近日中に置かれた物だと判断出来たかと言えば、武具には持ち主の一部が残っていたから。武具が散らばっていた辺りには、多量の血肉が地面に染み込んだ跡も、腐臭と共に残っていたのだとか。
この報告を聞いたロイエン総指揮とグラドフ将軍は『察し』た。丘を迂回するべく途中で森に分け入った勇者部隊が、行き掛けの駄賃に待ち伏せ中の魔族軍部隊を叩いて行ったのだ、と。
「流石は勇者様だ……」
「全く気付けませんでしたが、なるほどしっかり我々を支援してくれますな」
やがて丘を下りきり、開けた平地の街道を進むようになると、王都の街並みも高い防壁の向こうに隠れて見えなくなった。
王都の正門は閉じたままで、魔族軍が迎撃に出て来る様子は無い。
「僕達だけでは王都どころか道中の街すら落とせなかったと思うけど、勇者様はどう動くのかな?」
「……さてはて、色々と計り知れぬ方ですからなぁ」
自嘲の交じるロイエンの言葉に、グラドフ将軍は同じ気持ちを感じながら、勇者の行動には予測も付けられないと頭を振る。
勇者シゲルの言っていた「敵の頭狙い」とは、指揮官を狙い撃ちにして敵軍の瓦解を狙ったものであろう事は分かる。
敵軍の指揮官、それも籠城中の相手など普通は簡単に狙えるものでもないが、壁も地面も擦り抜けて『定めた対象にのみ当たる』勇者の刃にはそれが可能だ。
「全軍停止! 警戒を厳にしてこの場で待機!」
アガーシャの正門から500メートルの辺りで足を止めたクレアデス解放軍は、横陣を敷いて待機状態に入った。
正門防壁上にいる魔族軍の兵士達が騒いでいる様子が覗える。
「後は勇者部隊の動きに合わせて、じっくり寄せて行くか、一気に突撃するか……」
丘を迂回して進む勇者部隊は現在、西側の森から王都に迫っていた。
クレアデス解放軍と別れた後、システィーナとパークスとも相談して魔族軍の伏兵が潜んでいそうな場所に勇者の刃をばら撒いておいたのだが、何度か手応えがあった気がした。
魔族軍の待ち伏せ部隊が居たのなら、それなりの被害を負わせられたと思われる。
「解放軍は無事に丘を越えられたようですね」
システィーナが王都の正面、丘を下りた先の平地に布陣しているクレアデス解放軍を指して言う。王都から迎撃の部隊が出るなら、慈が勇者の刃で薙ぐつもりだったが、魔族軍に動きはない。
「籠城でもするつもりかな?」
「シゲル君を相手に籠城は悪手である事は、向こうも既に分かっていると思いますが……」
「はっはっ、魔族の連中もどうすりゃいいのか分かんなくなってんじゃねーかな」
慈の呟きにシャロルが応えると、パークスが茶化すように笑った。実際、ここまでの戦いで魔族軍側は勇者の刃に悉く蹂躙されており、対抗する術を見出せていないように思える。
「対策が出来るまで逃げの一手ってわけにもいかないんだろうなぁ」
地竜ヴァラヌスで西側の森を駆け抜けた勇者部隊は、やがて森と王都の間に広がる平地に出る。その先に聳える王都の立派な防壁を視界に捉えた慈は、宝剣フェルティリティを抜きながら勇者の刃の殲滅対象を設定し始めた。
クレアデス解放軍が勇者部隊の行動待ちに入り、慈達も攻撃を始めようとしていた頃。
王都アガーシャの城内に設けられた魔族軍第二師団司令部では、各部隊の指揮官達が集まり、本国ヒルキエラより届けられたという装備品を受け取っていた。
「これは、ヴァイルガリン様が直々にお造りになられたそうだ」
「数が少ない為、これを持てるのは我々指揮を預かる者達のみだ。この判断には勇者が主に指揮官を狙って来る事を考慮している」
第二師団の団長と副長の説明と共に、勇者に対抗する装身具『魔王の護符』が、ここに集まった指揮官全員に配られる。
「これがあれば、あの光の刃に対抗出来るのですか?」
「実際に効果があるのかは分からん。検証する意味でも、ここで我々が勇者を迎え撃つ」
遠征軍の総指揮を担う第二師団の団長は、勇者絡みの被害報告が嵩み始めた頃から、『勇者と遭遇した場合は無闇に交戦せず、観察に留めて撤退せよ』という通達を出していた。
相対する存在の正確な情報を知る事が何よりも重要であると考える彼は、堅実に『勇者を分析する』事を優先していたのだ。
その方針は魔王ヴァイルガリンにも高く評価されており、クレアデス方面からオーヴィスを侵攻する遠征軍の総指揮を任されるほどであった。
しかし、戦功に逸る他の師団長や独立部隊は、通達を無視して勇者部隊に挑み、壊滅するという失態を演じ続けている。
特に魔族軍内での地位向上に野心的だった第五師団など、直ぐに放棄して撤退するよう指示を出して任せていたカルマール等三つの街の防衛戦で、第四師団を巻き込んで全滅してしまった。
第四師団は温存されていた若い魔術兵と、僅かに生き残った一般兵が魔族軍の関係者を連れて脱出。第五師団は後方の街に置かれていた非戦闘員を中心に同じく撤退して来た。
勇者と交戦した第五師団の主力である騎兵隊は、軍馬しか残らなかったという有り様だ。
第二師団の団長が味方軍の纏まりの無さと、損耗具合に内心で溜め息など吐いていたその時、伝令が慌てたように駆け込んで来た。
「敵軍接近! クレアデス解放軍と確認!」
「何!? 丘に配備していた部隊はどうした!」
「それが、全ての部隊と連絡が取れなくなっており……消息不明です」
今朝方、クレアデス解放軍と勇者部隊が進軍を開始したという連絡を最後に、魔導通信も途絶えているという。
味方の偵察から何の警告も無く、突然正面にクレアデス解放軍が現れたので、慌てて見張りの部隊に問い合わせを入れようとして、連絡が取れなくなっている事に気付いた。
定時連絡前だったので事態の発覚が遅れたようだ。そこへ、新たに伝令が状況を報せに来た。
「クレアデス解放軍は正門前に布陣! 地竜の姿は確認されず!」
「地竜が居ない? 勇者部隊は別行動なのか……? クレアデス軍の規模は?」
「以前と変わらず、およそ1200程度のようです」
正門側の防衛を担当する指揮官の問いにそう答えた伝令は、『ただし、援軍の有無は未確認』と付け加える。
丘を見張らせていた部隊との連絡が途絶えているので、後からクレアデスの援軍が来ているのか否かは不明だ。
「直ちに偵察隊の準備! 丘方面と王都周辺を探って勇者部隊の位置を調べさせろ。各部隊の指揮官は持ち場にて別命あるまで待機。いつでも撤退出来るよう準備はしておけ」
「迎撃は出さないので?」
「護符の効果を確かめてからだな。兵士達にはあまりやる気を出させるなよ?」
第二師団の団長は、これまでに収集した勇者に関する情報と、その特徴を分析して割り出した対処法を指示する。
勇者が放つ光の刃は、戦う意思を持つ敵対者を確殺する。
なればこそ、部隊行動を維持出来るギリギリまで意図的に兵士達の意識レベルを抑える事で、光の刃から逃れられるのではないか、という推論。
後はその無気力部隊の指揮官が光の刃を無効化出来れば、最大の脅威を封じる事が出来る。やる気がない兵士でも魔族の一般兵は人間の一般兵より数倍強いので、十分戦える筈。
そうして対勇者戦略の準備をしているところへ、更なる伝令が駆け込んで来た。
「ひ、光の刃が飛来しました! 西側防壁より無数の光の刃を確認!」
「防壁からだと! 既に侵入されていたのか!?」
「あ、いえっ、正しくは防壁の向こうからです!」
勇者来襲の報に浮足立つ司令部の指揮官達。先程受け取った護符を慌てて装備し直したり、闇雲に部屋から駆け出そうとする者達に、第二師団長が一喝する。
「落ち着け、クレアデス解放軍が現れた時点で勇者の攻撃が来るのは分かっていた事だ。それで、兵士達の被害は?」
「は、ハッ、私が伝令に走る際には、目立った被害は出ていなかったかと」
伝令は、西側防壁に近い通りに整列している部隊に、光の刃が届いていたところまでしか見ていないが、倒れる兵士は居なかった事を告げる。それを聞いた指揮官達がざわめいた。
「それは……やはり指揮官を狙い撃ちにしているから、という事か?」
「兵士達に被害が無かったのは、意識を抑える策が功を奏している?」
第二師団長が考案した勇者対策に、一定の効果を期待出来るかもしれない。
対勇者戦に光明が見えて来た指揮官達は、正門のクレアデス解放軍に当たる部隊と、西側防壁の勇者部隊を担当する部隊に分かれて司令部を飛び出していった。
一方、戦端を開いた勇者部隊では。
「うーん、何か手応えが無かったな。設定変えとくか」
慈が殲滅対象を『敵対意思を持つ魔族軍の指揮官』から『敵対行動を取る魔族軍の関係者』に設定し直していた。
そうして、王都アガーシャの奪還戦が始まったのだった。




