第八十話:夜明け前
不意に浮上する意識。微睡む事も無く、暗い部屋の中で目覚めた慈は、肌身離さず握っている宝剣フェルティリティの感触を確認して安心する。
まずは現状を把握しようと身を起こした。
「んにゃ……」
「……リーノちゃんか」
付け焼き刃の悟りの境地による反動で著しく疲弊した精神を回復させる為に、アンリウネを始め六神官の彼女達は色々とやってくれる。
別の未来で膝枕要員だったリーノは、この時間軸では抱き枕要員として定着したようだ。今回は宝剣フェルティリティを抱き枕にしていたので、普通の添い寝になっているが。
「ここは――カルマールかな?」
そこそこの広さがある割と豪奢な雰囲気の部屋の中を見渡した慈は、リーノを起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、部屋の中央付近に見える大きなソファーに向かって声を掛ける。
「レミ、居るか?」
「……んー」
返事があった。ソファーのクッションがモソモソ動いて、隠密を解いたレミが姿を現す。ソファーの前のローテーブルには、パンや果物が盛ってあった。
レミはそれらを指しながら言う。
「起きたら食べるようにって」
「そういや腹減ってるな」
アンリウネ達が準備しておいてくれたようだ。
現在は深夜で、今朝の戦いからまだ一日と経っていない。慈は、カルマールの街の正門を消し飛ばしたところで記憶が途切れている。少しばかり大きな反動が出た。
とりあえず食事を摂りつつ、自分が眠った後の事をレミから聞いた。
「そっか。特に混乱もなく制圧できたか」
クレアデス解放軍が突入した時、カルマールの魔族軍は裏門から既に撤退しており、街の制圧は残りの二つも含めて呆気なく終わったらしい。
ただその間、勇者が戦えない状態である事を魔族側に気取られないよう、六神官とシスティーナやパークス達が、ヴァラヌスも駆使して偽装工作をやっていたそうな。
「隠すの大変だった」
「すまんな。苦労掛けた」
バルダームとメルオースの街には、なるべく距離を置いてヴァラヌスをギリギリ視認出来る位置をキープしながら威圧効果を狙い、クレアデス解放軍が魔族軍に街を明け渡すよう交渉で説得。
カルマールの魔族軍本隊が既に撤退していた事もあり、バルダームとメルオースに残っていた少数の防衛部隊は『勇者からの追撃は行われない』という条件で撤退を飲んだ。
問題は、街を制圧してからだったという。
「街の人が何人か勇者の刃に斬られてる」
「ああ、そういや対象を魔族に限定してなかったな」
明確な敵対意思を条件にして撃ちまくったので、魔族派か、魔族派でなくてもクレアデス解放軍や勇者部隊に敵対意思を持っていた者は分け隔てなく殲滅対象になった。
「有力者が殆ど消えたって騒いでた」
「あ~……」
以前、クレッセンの街で『縁合』の連絡員から知らされた、クレアデス国の魔族派について。
王都から落ち延びて来たクレアデスの王族全員が、パルマムで魔族軍の手に堕ちる事になった元凶と目される、三つの街の有力者達。
魔族の占領下にあったカルマールの街で幅を利かせていた魔族派の有力者達は、勇者の刃が軒並み消し飛ばしてしまったらしい。
バルダームとメルオースに残っていたその関係者は身柄を拘束出来たので、今は有力な情報を持っていないか尋問中だそうだ。
「『縁合』が探って来る以上の情報とか持ってるもんかね」
「微妙」
隠密状態で魔族派関係者達の様子を探り、会話を盗み聞きするなどしていたレミから見ても、残っているのは下っ端や使用人達ばかり。
なので、精々が『自分達の主人が魔族と親しくしていた』程度の情報しか出て来ないのではないかとの事だった。
「そっか。いつもありがとうな、レミ」
「ん」
食事を終えた慈は、その間に簡単な現状報告をしてくれたレミに礼を言って頭を撫でておいた。
寝起きのレミは再び横になったので、リーノと共に寝かせたまま部屋を出た慈は、屋敷の中を適当に歩く。夜明けまでにはまだ大分間がある。
(テンション振り切れる方の反動は、何もかも消したくなるのが危ないな)
廃都で戦っていた時は自分と六神官以外の全てが殲滅対象だったので、大暴れした後は割とスッキリしていたのだが。
敵の中にも味方が居て、味方の中にも敵が居たりするこの世界の現状では、何も考えず勇者の力を振るうのは危険過ぎる。
(やっぱり正面から薙ぎ倒しながら進むのは悪手だ。犠牲の増え方がやばい)
問答無用で壊すか脅す事しか出来ないこの力は、見えない場所にいる殲滅対象をピンポイントで狙撃するスタイルが向いている。慈は改めて自分の戦い方をそう定めた。
あてどもなく広い廊下をぶらぶら歩いている内に、サロンのような場所に辿り着いた。そこで声を掛けられる。
「シゲルさん?」
「うん? ああ、フレイアさんか」
栗色の髪に琥珀色の瞳を持つ六神官の一人。奥床しく物静かな性格で、50年後の世界でもあまり話した事はなかったし、現世でもアンリウネやシャロル達と比べると交流は少ない。
彼女達とは、『勇者と勇者を支える特別な神官』以上の関係にならない事を望む慈としては、常に一歩引いている雰囲気のある彼女は接し易い相手でもあった。
「こんな夜更けに御散歩ですか?」
「さっき目が覚めたもんで。フレイアさんも?」
「僕は少し休憩です。アンリウネ達が会議室に居ますよ?」
「会議室か……後で顔出しに行こうかね。つか"僕っ娘"だったのな」
意外だと呟く慈に、フレイアは「ボクッコ?」と小首を傾げている。廃都で話した時は違っていたように覚えているが、深く歳を重ねた結果なのだろうと納得する。
(まあ一人称が『僕』の婆さんとか、違和感も半端ないもんな)
慈がそんな事を思いながら一人得心していると、今時代の清楚系18歳なフレイアは、先程まで会議室で話し合われていた内容について告げた。
「今回の事で、クレアデス解放軍側からの要請を全面的に拒否出来るようになりました」
王都アガーシャの奪還に向けた今後の進軍の仕方について、ロイエン総指揮やグラドフ将軍を交えながら議論をしていたという。
「今回のって、もしかして俺の反動のせい?」
「それもありますが、解放軍で問題を起こした兵士達の事が上に伝わったようです」
解放軍側が手柄と名誉を求めるあまり、勇者に著しく負担を掛けたという内容で伝わり、それを聞いたレクセリーヌ王女が激怒したとか。
本来なら解放軍内で起きた一連の不祥事などの詳細が、そのままレクセリーヌ王女の耳に届く事は無かった筈なのだが、どうやらフラメア王女が裏で動いていたらしい。
早速『縁合』の諜報網を上手く使いこなしているようだ。
今後はクレアデス解放軍に配慮しなくても良いという事で、ここからは勇者部隊単独での先行が可能になった。
「そっか。つってもまあ、アガーシャまでは一緒に行動でいいんじゃないかな」
アガーシャを奪還する際の戦い方については、今回のように正面から派手に粉砕するやり方ではなく、勇者部隊が得意とする隠密からの一撃で終わらせる暗殺スタイルで進める予定だ。




