第六十四話:クレッセンの街
ギリギリ間に合った。
クレアデス国の王都アガーシャまで続く中央街道を、軍列を伸ばしながらゆっくり北上するクレアデス解放軍。
先行する慈達勇者部隊は、聖都サイエスガウルを出発して二日後の昼には、オーヴィスの国境の街クレッセンに入った。
オーヴィスから解放軍部隊が来る通達を受けていたクレッセンの門兵は当初、地竜一頭だけで現れた慈達に戸惑っていたが、行軍の遅さ故に先行して来たという事情を聞いて納得していた。
「ようこそクレッセンへ、勇者殿」
「しばらく世話になるよ」
クレアデス解放軍が到着するのは、明後日頃になりそうだ。慈達は、ロイエン達がクレッセン入りして足並みを整えている間に、また先行する予定である。
「さて、まずは解放軍が寝泊まりする場所を見て、それからちょっと街を回ろうか」
「私は神殿に話を通してきますね」
シャロルはセネファスと護衛に兵士を二人ほど連れて、この街の神殿に向かった。
慈は、クレッセンの街がクレアデス解放軍の為に用意してくれた広場を確認しに行く。この街の宿には、千人規模の兵士達を受け入れるだけの収容能力は無い。
なので、宿には総指揮や副指揮、各部隊長など身分の高い者が宿泊し、兵士達は広場で野営する事になる。
慈達も宿泊する予定の宿屋と、兵士達の野営予定地の広場は隣接しているので、ヴァラヌスに乗ったまま移動した。
中央街道の流通を意識した造りの街だけに、通りの道幅も大型貨物馬車がすれ違えるほどかなり広く取られており、地竜ヴァラヌスの巨体でも狭さは感じない。
パルマムが解放されて以降、人の往来も増えているらしく、クレッセンの街並みは魔族軍との戦いの最前線に近い街ながら、割と活気もあって賑わっている。
地竜ヴァラヌスが通りを行く姿を、見物に来る住人達も多く居た。
「みんな物怖じしてないな」
ヴァラヌスの後を追って元気に駆ける子供達を見て、慈は少しほっこりした気分になった。その時、隠密状態で傍に控えるレミが、肘をつついて合図する。"『縁合』の連絡員が居る"と。
「分かった。接触してきてくれ」
「ん」
レミの気配が竜鞍から離れて、通りの両側を埋める人混みの中に紛れた。レミが向かった方向にちらりと、路地に消え行くローブ姿の人物が見えた。恐らく『縁合』の連絡員だろう。
「シゲル様、どうかなさいましたか?」
「ああ、『縁合』の連絡員がいたみたいだ」
慈のふとした仕草から何かを感じ取ったらしいアンリウネが訊ねるので、慈はレミを行かせた事を告げると、御者役にヴァラヌスを宿前につけるよう指示を出す。
「街について早々で悪いけど、仕事に取り掛かろう」
「大丈夫です。お部屋の手配をして来ますね」
街の見物も休憩も後回しになる事を詫びる慈に、アンリウネはそう言って面談する部屋の確保に宿へと向かう。リーノやフレイア、レゾルテ達もその後に続いた。
「周囲の警備は任せとけ」
パークスは部下の傭兵二人を率いて哨戒に就く。宿の脇にある馬の厩舎に収まらないヴァラヌスが建物の裏手に鎮座するので、三人でも十分宿の周りをカバーできる。
「では、私は神殿に向かいましょう」
「じゃあ俺も一緒に行こうかな」
システィーナはシャロルとセネファス達を呼びに神殿へ向かう事を告げるが、慈は彼女を単独で行動させる事に何となく不安を覚えたので、この街の神殿に挨拶がてら同行する事にした。
見目麗しい甲冑の女性騎士と並んで歩く勇者シゲル。
慈は宝剣を腰に提げているが、宝具を詰めていた大きな鞄を背負っているのと、システィーナより身長が低い見た目も相まって、従者のように見える。
「……なんだか、やけに視線を感じませんか?」
「ついさっきまでヴァラヌスに乗って大通りを行進して来たからなぁ」
そりゃ目立ちもするさと、慈は好奇の交じった周囲の視線を気にする事なく、道に沿って神殿を目指す。
クレッセンの神殿は、こじんまりとした石造りの建物だった。ベセスホードにあった神殿よりも小さいが、診療所も兼ねているらしく、木造の質素な宿舎が併設されている。
「ここって孤児院もやってるのかな?」
「いえ、孤児院は別にあるようです」
ここで小さい子供達の面倒を見るのは、聊か問題があるという。慈にはその理由が思い当たらず小首を傾げるが、直ぐに意味を理解した。
「あら? シゲル君にシスティーナ」
「何かあったのかい?」
神殿に入ると、シャロルとセネファスが不思議そうに振り返って声を掛けて来た。ここの神官長と話していたらしく、彼女達と向かい合っていた壮年のシスターが、ゆったりした動作でお辞儀する。
そして彼女達の周りには、やたら露出の高い恰好で煽情的な雰囲気を纏う若い女性が、十数人ほど集まっていた。素人でも一目で察せられる、この街の娼婦達。
なんでも、神殿が街の売春業を纏めているらしい。直接管理している訳ではないが、病気の予防や怪我の治療などで密接に関わっているそうな。
慈は少し虚をつかれたが、気を取り直して来訪の理由を告げる。
「ちょっと急ぎの用事が入ったんで呼びに来たんだ。情報の共有が必要になりそうなんでね」
『縁合』が関係している話である事を含ませつつ、何処にどんな目耳があるか分からないので、言葉と詳細は暈して伝えた。
「そうでしたか……。もう少しお待ち頂けますか? 今丁度、根回しをしていたところなので」
「根回しって、例の小隊長絡みの?」
頷いて答えるシャロル。問題の小隊長達の事情を彼女達に通しておくのだと。
クレアデス解放軍がクレッセンに滞在するのは二日程度で、直ぐにパルマムに向けて出発する事になるが、滞在中の一晩くらいは兵士達も羽目を外して遊びに出ると予想される。
こんな辺境の街で娯楽と言えば、酒と賭け事と女しかない。そんな娯楽の筆頭と言える彼女達に、情報収集と可能なら負担の無い範囲で籠絡などをやってもらう。
「情報収集って言っても、連中からそんな大層な話とか出て来るもんかね?」
知られて困るような秘密など持っていそうにないと思うという慈に、シャロルも同意する。
「私も、彼の者達はただの小者かと思います。今回の場合、必要なのは有益な情報などではなく、あの奇妙な自尊心に基づいて吐き出される大言壮語の類ですね」
言った本人が忘れない程度に、適当に大きな事を口走ってくれれば、今度またシスティーナにちょっかいを掛けて来そうな時、近くでボソッとその内容を呟いてやれば――
「こちらが何でも知っているぞと示す事で、小心者には十分な警告になるでしょう」
何気に毒気の強いシャロルの言い回しと計画に、慈は普段温厚な彼女の新たな面を見た気がして、思わず「うへぇ」と肩を竦めるのだった。




