第五十三話:魔族軍の前線基地
魔族軍の前線基地である駐留拠点の街は、深夜にも関わらず軍施設周辺が喧噪に包まれていた。中継基地砦の指揮官が僅かな生き残りを連れて、這う這うの体で逃げ込んで来たのは、夜も更けようかという頃であった。
『オーヴィスの勇者襲来・中継基地砦及び関所施設の全部隊壊滅』
砦指揮官からこれらの一報を受け、駐留拠点の街では伝令が慌ただしく走り回り、休暇中の兵士達にも召集が掛けられていた。
「急げ! 他の奴等はもう整列してるぞ」
「まったく、せっかくの休暇だったのに何だってんだ」
「ただの敵襲じゃないらしいな」
「まさか抜き打ちの訓練じゃないよな?」
ぼやきながら自分の所属する部隊に走る兵士達は、突然の非常招集を訝しむ。そうして集まった各部隊長達に、駐留軍司令部から現状の説明がなされた。
最近魔族軍の中で噂になっている人類軍の最終兵器、古の伝説に謳われる『勇者』と思しき存在が迫っている。これに対処するべく、急遽迎撃態勢を整えるのだと。
「マジか、あのイルーガとガイエスを破ったっていう……」
「眉唾じゃないのか? パルマムを取られてから『勇者』と交戦したって話は聞かないし」
最前線の兵士達の間では『勇者』の存在は未だ半信半疑という認識が大勢を占めている。
それというのも、駐留拠点になる筈だったパルマムの街が奪還されて以降、『勇者』を前線で見たという報告が全く上がらなかったからだ。
オーヴィス国内ではその戦果が大々的に喧伝されている、という情報は伝わっていたが、戦場で存在が確認出来ないとなると、ただのプロパガンダである可能性をまず疑う。
「今日、中継基地砦と関所がその『勇者』に襲撃を受けたって話だ。対峙した部隊は全滅だとよ」
「へぇ~、それで迎撃に全軍ぶつける訳か。上は本気だな」
「ああ、本当にそれが噂の『勇者』だった場合、うちの大将らは昇進間違いなしだ」
本国ヒルキエラに『例の勇者』と交戦する旨を伝えた駐留軍は、各種部隊を街の外に展開する。オーヴィスの聖都を包囲する為に集めている全兵力の五分の一程度だが、それでも約2000人ほどの魔族軍正規兵が布陣する様は壮観であった。
「それで、その『勇者』の軍勢はどのくらいの規模なんだ?」
「あの中継基地砦が壊滅したとなると、200や300じゃ効かないだろう」
「それが、不明なんだとさ」
「不明?」
「ああ、逃げて来た連中の誰も、その『勇者』やオーヴィスの兵を見てないらしい」
「なんだそりゃ……急に胡散臭くなったな」
「いや、でもパルマムの生き残りの話だと、『勇者』一人で一軍を相手に出来るらしいぜ」
「その噂もちょっとなぁ……」
少し小高くなった場所に位置する駐留拠点の街。その正面に広がる軽く傾斜のついた広大な草原に布陣する魔族軍部隊。南に伸びる街道の先には、大きな森が広がっている。
星の瞬きと月が照らす僅かな明かりの下、森と街道の交わる辺りを注視しながら駄弁る兵士達。この時、街道から随分外れた位置の森の中で、微かに光が生じた事に気付いた者はいなかった。
魔族軍が前線基地にしている国境付近の街を目指し、北へと続く街道を外れて夜の森中を進んでいた勇者部隊は、遂にその街を見通せる場所まで辿り着いた。
森が切り開かれたのか、この辺り一帯はだだっ広い草原になっており、街までは緩い上り坂になる。少し小高い丘の上に街があるのだ。
そして街の正面には、陣形を整えた魔族軍の大部隊が、街道を塞ぐように展開されていた。
慈達は森から草原に出るギリギリのところに陣取り、魔族軍の様子を窺っていた。地竜の座席から身を乗り出しながら目を凝らしていたパークスが言う。
「すげぇ歓迎されてるな。ありゃあ二千は下らないぞ」
「あれって、俺達が来る事を想定してるのか? 偶々訓練してたとかじゃなく?」
砦村を脱出した兵士から報告を聞き、直ぐに『勇者襲来』に備えて全軍を動かしたと考えるのは早計ではないか? と訝しむ慈。
しかしパークスは、傭兵としての勘を語る。
「パッと見た雰囲気がな、ちゃんとした軍隊なのに寄せ集め感がある」
あれには予定外、想定外の事態に陥った状態で集められた空気を感じるという。僅かに浮足立っているような気配。
完全な奇襲を仕掛ける予定だった慈達にしても、魔族軍が迎撃態勢を敷いていた事は予定外だが。
「どうする? 今日は止めとくか?」
「うーん、これはこれで手間が省けるというか……多分、考えてた作戦より手っ取り早いかも」
慈が当初考えていた作戦は、夜の街に潜入して魔族軍の将校クラスを狙い討つ暗殺スタイルで、指揮系統を壊滅させて全軍を撤退させるという内容だった。
「まあ実際、建物の外から特定の相手を屠れるんだもんな」
「夜襲や暗殺にゃもってこいの能力だよなぁ」
パークス達傭兵隊はニヤニヤしながら頷いているが、システィーナや六神官達は微妙な表情だ。人類の救世主たる『勇者』が暗殺という手段を得意とする事に、複雑な気持ちがあるらしい。
「これでもなるべく双方の犠牲を少なくしようって考えての事なんだけどね」
「あ……いえ、決してシゲル様の戦い方に不満があるわけでは――」
「勇者様が背負われる重圧を考慮すれば、文句など――」
アンリウネ達とシスティーナがわたわたと取り繕う様子に苦笑を返した慈は、とりあえずここから確認出来る魔族軍部隊の中でも、強力な遠距離攻撃手段を持つ魔術士の集団を狙う事にした。
「弓の部隊は防壁を固めてるみたいだし、最初は魔法専門の部隊からかな。次に騎兵隊辺りか」
「って事は、やるんだな?」
「ああ。出来ればここの総指揮官を討ち取っておきたい。俺が攻撃している間は敵の遊撃隊に注意してくれ」
慈の方針と指示に、パークスは改めて真剣な表情で頷くと、部下二人を連れて少し離れた位置で周囲の警戒に入った。システィーナと兵士隊はヴァラヌスの傍で警護体制をとる。
「レミは街の様子を見て来てくれ。魔族軍の将校が入る建物を重点的に。慎重にな」
「ん」
何時ものように短く返答したレミは、宝珠の外套で姿を消しながら竜鞍を飛び降りると、僅かにカサリッと落ち葉を踏む音を残して街の方へと移動を始めた。
それを見送った慈は静かに宝剣フェルティリティを抜き放ち、最後に六神官達に声を掛ける。
「アンリウネさん達は、反動が出た時はよろしく」
「お任せください」
「が、がんばりますっ」
慰め役担当にリーノは確定枠で入っているようだ。
「そんじゃ……やるか」
盛大に焚かれる篝火のお陰で、辛うじて端の方まで視認出来る魔族の軍勢に対して、ほぼ真横に位置する森の中から、慈は敵部隊の指揮官を狙って勇者の刃を放った。




