第四十七話:出撃準備の前に
おまたせしました。新章開始です。また数日間よろしくお願いします。
このところ、活気にあふれているオーヴィスの聖都サイエスガウル。
怒涛の勢いで侵攻して来る魔族軍に押され続けていた人類側にとって、隣国クレアデスの国境の街パルマムの奪還は、初めての明確で完全な勝利だった。
そんな勝利をもたらせた勇者シゲルの評判は、民衆の間でもかなり高くなっていた。
慈の活動で地方神官長達の横領や、軍幹部の不正取引が暴かれた事も『勇者の功績は喧伝の為のプロパガンダ』などと断じられる事も無く、人々に受け入れられる要因になっている。
また、それに連なって上流層の貴族が魔族軍と内通していたという疑惑で告発されるなど、街は連日開かれる査問会と裁判の話題で持ちきりであった。
上流層の醜聞に関わる情報が一般民の間にまで下りてきているのは、概ね人々の不安や不満の矛先逸らしに利用するべく、政治的判断によってリークされたものである。
大神殿の自室で宝具の手入れをしていた慈は、音も無く扉が開閉したのを感じ取ると、労いの言葉で迎えつつおもむろに訊ねた。
「おかえり、ごくろうさん。今日はどうだった?」
「誰も来なかった。密書のやり取りも無いっぽい」
外套の隠密効果を解いて姿を現したレミが答える。魔族派の上流貴族達が会合を行っていた例の屋敷は、まだ摘発せず放置してある。いわゆる、泳がせている状態。
件の上級神官が投獄された時は、不測の事態としながらも何処から情報が漏れたのか推察したり、対策を話し合うなど余裕が見られた。
だが、流石にメンバーの半分近くが摘発されて危機感を覚えたのか、会合に集まる顔触れも疎らになり、今日はとうとう中止になったようだ。
魔族派の貴族や、そうでない者達も含め、上流層が恐々としながら保身に走っている中、慈はどの勢力にも邪魔される事無く、勇者部隊の設立に向けて精力的に動いていた。
「『縁合』の包括諜報網は?」
「もうすぐ完成」
諜報力に特化した穏健派魔族組織『縁合』とは、慈が個人的に協力体制を結び、主に情報収集を中心に動いて貰っている。
通常の密偵業のように、探りたい場所にその都度人を派遣するやり方では無く、主要な街や村、集落などにのみならず、あらゆる場所に住み着く形で人を置いておく。
そうして、個人から大小様々なグループに至るまで、それぞれの地方の出来事を情報として丸ごと集め、組織全体で共有する。
慈がインターネットの概念を参考にアドバイスして『縁合』に構築させた、情報集積諜報網だ。扱う情報の精査と漏洩防止は厳重に行わなければならないが、そこは諜報特化でやって来た組織。管理はしっかりしている。
基本的に魔法を使った念話のような遠距離通信手段で各地の同志と連絡を取り合っているので、情報伝達の遅延は少なく、秘匿性も高い。
ある程度まで構築が進んで、現在は試験運用をしているが、さっそく隣国クレアデスの向こう、最終解放目的国であるルーシェント国の『縁合』同志達からも、魔族軍の動向情報が届いている。
「魔族軍はクレアデスに戦力を集中し始めたって話だし、俺の部隊が完成したら、アガーシャ迂回して地方の街からルーシェントの属領ルナタス目指しても良いんだけど――」
「レクセリーヌ王女とシスティーナ団長が困る」
だよなぁーと、慈はレミのツッコミらしからぬツッコミに答えて息を吐く。
手っ取り早く王手に近道したいところだが、初手の奇襲で魔王ヴァイルガリンに辿り着いて確実に殲滅出来る公算があるならまだしも、向こうも勇者には警戒している筈。
じっくり腰を据えて戦える下地を作っておかなければ、失敗した時に後が続かなくなる。やはり当面はクレアデス解放軍との共同作戦になりそうだ。
とりあえず、クレアデスの軍閥貴族達が神輿に担ごうとした『庶子』との顔を合わせをしておく。
彼の者については、クレアデス解放軍の編制に関する話し合いの折に、軍閥貴族達からの『部隊の総指揮に推したい若者が居る』という申し出に違和感を覚えて、レミに調べさせた。
その結果、色々と分かった事がある。今日の顔合わせは、その辺りの確認も兼ねていた。
「さて、じゃあ行くか」
「ん」
クレアデス御一行が滞在する離宮に向かうべく、慈が宝具の詰まった鞄を背負って立ち上がると、レミは外套の隠密効果で姿を消した。
「レミ、本当に消えるの好きだな」
姿を消しているのが当たり前になって来たレミに何となく言及すると――
「とても安心」
「そ、そうか」
いつもの「ん」以外の返答を、ふんわりした笑みで返すレミに、少々目を丸くした慈なのであった。
数日ぶりに離宮群へとやって来た慈。セネファスは『縁合』との調整役に動いているので、今回の付き添いの六神官はリーノだ。他の四人もそれぞれ査問会絡みの仕事が忙しい。
が、最初の査問会以降は引き継ぎの人員と共に作業を進めているので、アンリウネとシャロル、フレイアとレゾルテも近い内に慈の傍に戻れるだろう。
前回、王女と会談をした奥部屋に通されると、そこにはレクセリーヌ王女とシスティーナ団長、少し人数を欠いたクレアデスの軍閥貴族達。
そしてもう一人、慈には初見となる若者の姿があった。
王女や居並ぶ貴族達に比べると若干地味だが、明らかに従者とは違う、装飾の控えめな貴族服を纏った若者――というより、少年に見える。
「お待ちしていましたよ、シゲル様」
「こんにちは。皆さんお揃いのようで」
レクセリーヌ王女と軽く挨拶を交わした慈は、軍閥貴族達と並んで座る件の少年に目を向けた。その視線を受け、王女が口を開く。
「紹介しますわ。我が従弟にあたるロイエンです」
その言葉で椅子から立ち上がった少年が、慈に目礼しながら挨拶をした。
「初めまして勇者様。僕、ロイエンと言います。どうかお見知りおきを」
「慈です。よろしく」
今はすっかり大人しくなってしまったクレアデスの軍閥貴族達が、新しいクレアデス王朝を打ち立てる際の新王として担ごうとしていた少年。
パルマムの街で一般民として母親と静かに暮らしていた彼は、魔族軍にパルマムが占領された時、近くの村に避難していたところを、クレアデスの軍閥貴族派の手の者に保護された。
現在は母親と共に聖都サイエスガウルに滞在している。ロイエン自身に野心は無く、自分が王族の血筋である事は母親から聞かされてはいたが、それで特にどうこうするつもりは無かったようだ。
だが、軍閥貴族の使者から『このままではクレアデスの王家が途絶えるかもしれない』と懇願され、クレアデス解放軍の先導役として名乗り出る事を了承した。
そんな経緯を持つロイエンだが、レクセリーヌ王女の庇護下に入り、正式にクレアデスの王族として迎えられている。
軍閥貴族達が大人しくなった背景には、最近の聖都を騒がせている魔族派の摘発が関係していた。実はクレアデス貴族にも魔族派が潜んでおり、それは軍閥貴族の中にも及んでいたのだ。
例の上流貴族屋敷の会合に顔を出していた面子の中に、クレアデスの軍閥貴族の派閥に属する者がいた。コルトン子爵という、一見すると取り立てて特徴のない一般的な貴族。
その実、軍閥貴族の中でもパルマムの近郊を拝領していたウーズ伯爵の子飼いとされている者で、魔族派の会合への出席もウーズ伯爵の指示によるものだったらしい。
このウーズ伯爵がクレアデス貴族の中の魔族派筆頭であり、今日ここに顔を見せていない軍閥貴族メンバーの一人である。
「そちらの掃除は進んでいますか?」
「はい、恙無く。恐らく、大半はパルマムと王都に入っているのでしょう」
慈の問いに、レクセリーヌ王女が頷いて答える。オーヴィス国に保護される形で、ここ聖都に身を置くクレアデスの貴族は、数もあまり多くない。
その中に潜む魔族派の摘発は、王女の命令で神殿に向かわせる事で、慈によって判別される。慈と王女のやり取りを聞いた軍閥貴族達は、何とも言えない複雑な渋い表情を浮かべていた。
彼等、軍閥貴族達が密かに進めていた新王朝設立のシナリオには、もう一つ裏があった。
これは『縁合』に紛れ込んでいた魔族派のメンバーを調べていて分かった事だが、クレアデスの新王朝は成立後、魔王ヴァイルガリンに臣下する事を打診し、認められるという計画だった。
クレアデスの軍閥貴族が立ち上げる傀儡新王朝の従属化。
魔王への臣下計画を知っているのは、魔族派のウーズ伯爵とコルトン子爵の二人で、他の軍閥貴族達は知らなかったようだ。
傀儡の新王朝設立計画を興して推進したのはウーズ伯爵であり、最初から魔族派の工作だったと知った軍閥貴族達は、軒並み萎えてしまったらしい。クレアデス解放軍の人事を決める会議でも、あまりやる気が見られない。
「クレアデス解放軍の準備が整い次第、勇者様の部隊と合流させたく思います」
「では、またその時にでも」
共闘するに当たっての連携や指揮の取り決めなどは、近日中に改めて話し合いの席が設けられる。もはや置物と化していた軍閥貴族の面々は、顔見せ会議が終わるとさっさと退室して行った。
「何かすっかりやる気が無くなってますね」
「ふふ。私としても、やり易くて助かります」
彼等が新王朝の設立を狙っていた事に関しては、パルマムが陥落した際に王家一族の生存が絶望視されていた為、クレアデス国を存続させるべく奔走した緊急処置の一環だった――という事になっている。
例えそうであったとしても、本来なら謀反にも相当するような計画を企てたという疑いを払拭するべく、レクセリーヌ王女の主導となった解放軍の編制に尽力し、忠義を示さなければならないところだ。が、彼等に危機感が無いのは相変わらずのようであった。
いずれにせよ、軍閥貴族達が野心を放棄した事で、クレアデス解放軍は当初予定されていた特定の目的に沿った部隊編制が見直され、中身の総入れ替えが行われた。
具体的には『王家の血を引く庶子ロイエンに名声と功績を』という政治色が薄まり、それまで部隊入りを避けられていた『レクセリーヌ王女に近しい立場の騎士達』も参加する事になった。
喧伝向けに見目の良い美男美女を集めた若輩者だらけのキラキラ部隊から、確かな実力に裏打ちされたベテラン勢を取り込んでの実戦寄りな部隊に仕上がっている。
(ロイエン君も問題無さそうだし、クレアデスの方はこれでいい。後は勇者部隊の試運転かな)
慈の勇者部隊はフラメア王女の協力の元、聖都周辺の街から避難して来た多くの兵士や傭兵達を集めて、パークスに人選を頼んだ。いずれも魔族軍との敗戦を生き延びて来た猛者達だ。
これから何度か出撃し、聖都近郊の街や村を奪還する作戦で働きを見て、最終的な選定を行う。
「とりあえず戦える人材は揃ったし、後は迅速に移動できる丈夫な足が欲しいな」
「……どのくらいの人数にする予定なんですか?」
慈の呟きにリーノが訊ねる。
「出来れば十人前後に抑えたいけど、多くても二十人以下かな」
「そんなに少なくて大丈夫なんでしょうか……?」
勇者部隊という響きと、勇者シゲルの重要性を鑑みれば、最低でも中隊規模を想像していたリーノは、小隊以下の少数精鋭で考えているらしい慈に疑問を呈する。
「俺の部隊は大兵力で正面からやりあうんじゃなく、神出鬼没な暗殺部隊みたいになるからね」
「あ、暗殺……」
人類の救世主たる勇者の率いる部隊が、暗殺部隊寄りだと言われて戸惑うリーノ。実際、勇者部隊の攻撃担当は『勇者の刃』を放つ慈一人で間に合っている。
メンバーに求められるのは、慈に同行する六神官を護る事と、どうしても人手が必要な場面に遭遇した場合の手伝い役くらいだ。
そうして如何に素早く、敵に気取られる事なく目的地まで移動できるかが重要になる。
「馬車一台か二台で何とかならないかなぁ」
専用の特別な車体を造って貰う事も視野に、効率の良い移動手段を模索する慈なのであった。




