エピローグ
ある日突然、魔族に支配された異世界の廃墟に召喚され、その世界の過去に遡って人類を救い、元の世界に還る途中で最初の時代に戻され、その世界でも色々人助けをしてようやく現代世界に還って来た。
快適な空調の効いたリビングで座り込み、何をするでもなく無機質な雑音――テレビの音を聞き流しながらぼーっとする事しばらく。ようやく帰還の実感が湧き始めた気がする。
(……にしても)
ぐるりとリビングを見渡してから自分の恰好を見ると、違和感というか異物感が凄い。
単に服装が異世界で勇者をやっていた時のままというだけでなく、何かが足りないような違和感を覚えるのだ。
(――あ、もしかして)
慈は、自分自身に掛けていた特定の感情を削る勇者の刃を解除するよう意識してみる。すると、薄らとしか感じなかった『帰還の実感』が、詰まり物でも取れたようにぶわりと湧き上がって来た。
勇者の刃による感情制限がまだ効いていたのだ。
「え……じゃあ、能力持ち越し?」
現状に意識が馴染み始めたのを感じるも、折角解除した感情制限を早くも掛け直す。
勇者の刃の本質に気付いてからは、向こうの世界でも使用時の条件設定には慎重を期していた。傍目には大暴れしているように見えていたであろうが、実はかなり自重しながら使っていたのだ。
こんな危険物を現代世界に持ち帰って来てしまった事に、慈は抑制された感情下で、どう扱ったものかと思案する。
その時、慈の体感時間で凡そ一年以上ぶりの、懐かしい声が掛けられた。
「あれ? あんた居たの? ってなにその恰好」
洗濯物を抱えた母がキョトンとした顔を向けている。
先ほどリビングを通った時はテレビを見ていたのに、洗面所に行って戻って来たら姿が見えなかったので、出掛けたのかと思われていたらしい。
どうやら召喚された時から二、三十分程度のズレがあったようだ。慈は、異世界で着ていた衣服の事は、「友達と仮装パーティーに使う衣装だよ」等と適当に誤魔化す。
「若い子は元気ねぇ。でも今月はまた外出制限掛かるかもよ?」
母はそう言ってテレビに目を向けた。テレビのニュース番組では、現在の戦況が語られている。場面は国会に切り替わり、現行の臨時徴兵制の見直し案について審議する様子が映し出された。
数年前、空に『幻の星』が浮かぶ珍事があった。人の眼には見えるが、カメラ等には映らない。見え方も人それぞれで、霊能力の強い人には『巨大な浮島が並んで見えた』とか何とか。
大勢の人々が観測しているにも関わらず、ついぞ記憶媒体に記録する事は出来なかった。
二つの幻の星は一つに合わさり、やがて消えた。時を同じくして、世界各地で戦乱の火が上がった。切っ掛けは、何処かの小さな国の中で起きていた宗派同士の対立。
『幻の星』の影響を受けたという信者による『奇跡』の真偽を巡って、殺し合いの争いにまで発展。観光客を巻き込む大量殺戮が起きた。
その『幻の星の奇跡』騒ぎが大国に飛び火して、今は世界大戦規模にまで拡がっている。
日本国も直接周辺国とやり合う事態には至っていないもの、国内のテロ被害が問題になっており、対策として自衛隊の人員を増やす政策が執られている。
当初は特定の野党を始め平和市民団体の大反対攻勢で議題に上げる事すらままならない状態だったのだが、国内でテロ行為が活発化し始めて幾つかの団体が被害を受けてから状況は一転。
国内の治安維持と対テロ防衛に特化した部隊組織の立ち上げに臨時徴兵制が容認された。
「母さん、俺徴兵に志願するわ」
「ええ? あんた軍隊行くの? 大丈夫?」
感情制限状態で冷静に自身と世間の現状を鑑みて損得の計算をした慈は、この力を持ったまま抑制的に一般人の日常を送るのは厳しいと判断。
適度に発散できる環境下で有効利用しつつ、平穏な暮らしにも繋げられる方法として、国家権力に融合する案を導き出した。
「体力無いのに、あんなんやれるの?」
「多分、大丈夫」
テレビに映っている、臨時徴兵された新人隊員達の厳しい訓練の様子を指して問う母に、慈は自分は彼等とは違う方面で貢献する事になるからと語る。
母は、気負った様子もなく自信あり気で、妙に落ち着いた雰囲気を纏う息子に、臨時徴兵先の組織にコネでもあるのだろうかと訝しむ。
「まあ、あんたがやりたいなら反対はしないけど、無理そうなら直ぐ帰って来なさいよ?」
「うん」
特別休学の手続きや各種申請書は、明日市役所で発行されるものを取って来てくれるという。
還って来て早々、戦いの場に赴こうとしているが、異世界に召喚される前から、こちらの世界では戦争とテロが日常になりつつあるのが現実だった。
異世界での経験がなければ、自ら徴兵に行こう等とは思わなかっただろう。しかし、遅かれ早かれ戦争の禍に巻き込まれるなら、先手を取って有利な立ち位置を固めておきたい。
勇者としての戦いは、かなり特殊な戦場の、予行演習だったとでも思う事にする慈。とんでもなく危険だが、これ以上ないほど有用なお土産も貰ったのだ。
(やれる事からやってかないとな)
自分の居場所を護るために、この現代世界で『滅する者』の力を振るう事に、躊躇は無かった。