第百四十四話:決着と帰還
タルモナーハ族長と呪印衆が玉座の間を強力な魔法障壁で封鎖し、『贄』の呪印が仕込まれた者とリドノヒ家私兵団を『隷属の呪印』で操って障壁内の決起軍勢力や勇者部隊にぶつけ、広域殲滅魔法を炸裂させた。
それらが起きる直前に、広域殲滅魔法の発動待機状態を示す光の柱が立つのを確認していた慈は、『贄』から炎が噴き出す瞬間、超遅延光壁型勇者の刃で玉座の間を覆って対抗した。
広域殲滅魔法が発動してからの魔法障壁――『煉獄結界』内での動き。
慈はまず、『あらゆる呪印を消去する光壁型』を置いて攻撃の起点を封じた。
次に『生命体を負傷させるあらゆる現象を消去する光壁型』を重ねて、既に発動している攻撃性の現象を掻き消した。こちらは咄嗟にイメージが纏まらず、『贄』の被印者が少し焦げた。
――呪印の消去時に玉座の間を封鎖している魔法障壁が引っ掛かって少し削れたので、あの障壁は呪印の技術が使われている特殊なものだと分かった。
隷属の呪印が消えた事で、身体の自由を取り戻せた私兵団員達がその場にへたり込む。
謎の光に包まれて戸惑っていたラギ達は、直ぐにこれがルナタスやシェルニアを攻略した勇者の光壁だと気付き、「こんな使い方もできるのか」と驚いている。
そして、身体から白煙を立ち昇らせて気絶している『贄』にされた私兵団員を目にしたテューマは、じっとその姿を見詰めながら呟いた。
「……お父さんは、ああやって死んだのね」
テューマの握る宝珠の魔槍に魔力が充填されていく。
先程の、ラギ族長とタルモナーハ族長とのやり取り、その後にリドノヒ家私兵団を捨て石に使ったタルモナーハ族長の無慈悲な言葉。
そして魔法障壁の向こうから漏れ聞こえた興奮気味に紡がれる独り言は、彼が紛う事なき裏切り者である決定的な証拠となり、テューマの心から迷いを払った。
テューマの膨大な魔力を蓄えた宝珠の魔槍は、魔力の刀身を発現させるのみならず、装備者の身体まで魔力の鎧で覆い始める。
「テューマ、大丈夫なのか? それは」
「大丈夫。身体強化系っぽい効果があるみたい」
初めて見る現象にルイニエナが心配して声を掛けると、テューマは自身の魔力が魔槍を巡る中で、何となく使い方や効果が分かるのだと答える。そういう機能が備わっているらしい。
「援護は?」
「いい。あの人は、私にやらせて。……いいよね?」
慈の端的な問いに、テューマは家族の仇を討つ決意を表明しつつ、この場面で自分の仇討ちを優先して良いのか問う。
「いいよ。タイミングは任せる」
「うん、ありがとう。障壁を破れなかった時は、そこだけお願い」
魔槍を構えて姿勢を低く取るテューマは、既に全身が魔力による光の鎧に包まれていた。慈は障壁を破る為の勇者の刃をイメージして準備する。
そろそろ『あらゆる呪印』と『生命体を負傷させるあらゆる現象』を消去する光壁型の効果時間が切れるというタイミングで、玉座の間を覆っていた障壁がパキパキと音を鳴らして崩れ始めた。
破るまでも無く障壁が消え去り、玉座の間の出入り口に陣取る呪印衆と、タルモナーハ族長の姿を捉えたテューマが、光の軌跡を残しながら飛び出して行った。
『贄』を使った広域殲滅魔法が炸裂したにも関わらず、玉座の間とそこに閉じ込めた者達が何ら被害を受けていない。
そればかりか、『贄』にした者にまで息がある様子に呆然としていたタルモナーハは、気が付くとテューマの白い槍に突き刺されていた。
「な……あ……っ」
「……」
腹部に広がる熱なのか痛みなのか分からない痺れに事態を把握したタルモナーハは、驚愕に目を見開きながら何事か言おうとするが、声が出せない。
「独り言を聞かなければ、私はまだ迷っていた。……父の仇だなんて、信じたくなかった」
(……独り、言……?)
ふと、タルモナーハの脳裏に、いつかのやり取りが浮かぶ。ルナタスの街でラダナサやスヴェン達と出会ったばかりの頃。
『お前、夢中になると独り言が漏れる癖、なおした方がいいぞ』
『次の手札がバレバレじゃないか』
三人でカードゲームをして遊んでいた時にそんな指摘をされた。真っ直ぐ見つめるテューマの顔に、ラダナサの面影が重なる。
(ああ……よく似てるなぁ……)
こうしてテューマの顔を近くでじっくり見た事が、そういえば無かったなぁと、タルモナーハは消えそうな意識のなかでふと思った。
「タルモナーハ様!」
「おのれ混ざり者の小娘――」
呪印衆が攻撃魔術の態勢に入った瞬間、飛来した勇者の刃に薙ぎ払われるかのように脱力して、バタバタと倒れていく。
「邪魔はさせない」と、慈が無気力化勇者の刃で呪印衆のみを全員無力化した。
「お父さんの……仇っ!」
「!――っ」
魔槍に集束する光。過剰な魔力で構成された光の刀身がタルモナーハの身体を貫き、背後の廊下の壁をも打ち焦がす。
タルモナーハの身体を内側から焼いて致命傷を与えた魔力の刀身はさらに集束すると、巨大な光線となって撃ち出された。
焼かれながら吹き飛ばされて壁に激突したタルモナーハは、罅割れた廊下の壁に黒い焦げ跡を残して塵となった。
「……」
戦いの余韻を払うように、魔槍を一振りして残心を解いたテューマは、慈達を振り返って告げる。
「終わったよ。ありがとね」
「うむ。見事であった」
「おつかれ」
ルイニエナが称え、慈が労うと、テューマは少し寂し気に微笑んだ。
テューマの仇討ちが一段落した玉座の間では、とりあえずリドノヒ家私兵団も無気力化して呪印衆と共に拘束。リドノヒ家の内情や狙いについて尋問し、情報を集める事を優先した。
最初からリドノヒ家が企んでいたのか、タルモナーハの独断なのか。リドノヒ家の企みだったなら、どこまでやるつもりでいたのかを見極める。
今後の段取りについての話し合いは、決起軍の穏健派魔族組織から代表を呼び、ソーマ内に『地区』を持つ大物穏健派一族も招待して行われる事になった。
その話し合いの席で、テューマを正当な魔王の後継者と認める公式な書類に、カラセオスを始め名立たる大物穏健派一族の族長達も証人として連名で追記された。
これで、テューマが魔王に就いてからの後ろ盾にも問題が無くなった。
一連の内容公布はまた後日。諸々の後処理を済ませてから、ヒルキエラ国を中心に現在の魔族が支配している全ての地域、及び人国連合にも正式に使者を送る。
慈の召還の儀の再起動は、その後に試される予定だ。
ヴァイルガリンはそれまでに城の地下に籠もって研究を進める。玉座の間で慈と話し合い、勇者の力を直に感じ取った事で、「これはシャレにならない」と実感したらしい。
『あれは本当に、その気になったり血迷った拍子に世界を滅ぼせるぞ』
彼はそう言って、『勇者召還』の研究にはかなり本気で尽力する決意をしていた。
再起動が上手くいかなかった場合は、『遍在次元接続陣』で慈の元居た世界に次元門を繋ぐという手段に切り替える。
――ちなみに、適当に開いた次元の狭間に飛ばして始末する、等と言う裏技は使えない。
慈が帰還を望む世界以外に繋がる次元門だった場合、触れた瞬間に勇者の力が『害』と見做して次元門を消失させるからだ。
ある意味、安全に次元門の接続先を確かめられるので、研究が捗るとも言えた。
召還の儀再起動に伴う対価の寿命は、無気力化した呪印衆に担ってもらう事になっている。
ヴァイルガリン曰く、腕利きの術士達なので魔力で縛る触媒としても高い親和性が見込めるという。下手に適当な死刑囚を使うより、術を安定稼働させるのに最適の人材なのだそうな。
そんなリドノヒ家の呪印衆は、一部の見習いや雑用係りを除いて全員に死罪が言い渡されていた。
無気力化状態の呪印衆を尋問して明らかになった事だが、カラセオス達を封じた『奇病』の正体である『呪毒』は、玉座の間に居た新興一族の将軍達にも仕込まれていた。
流石にヴァイルガリンには仕掛けると看破される恐れがあったので手を出さなかったらしい。今現在、ソーマの牢獄に収監されているいずれの死刑囚よりも重罪人だとの事だった。
一夜で陥落し、体制が変わる事となった魔族国ヒルキエラの首都ソーマ。
ヒルキエラの歴史の中で、今まで魔王が交代しても急激に国の在り方が変わる事は無かったが、今回ばかりはこれからの政策に大きな変化があった。
人魔共存の理念を世界の標準とするべく、魔王テューマはまず、人間と魔族の和睦を掲げた。
旧ルーシェント国や旧クレアデス国領内の街から人間の移住者を募り、旧オーヴィス国領を人間の自治国として、かつての聖都サイエスガウル跡に新しい街の建設を指示した。
新しい人間国を治めるのは、新興一族と繋がっていた魔族派を粛清して禊を済ませた正統人国連合の幹部達で、彼等が匿っていたクレアデスの王族の血を引く者を王に戴くらしい。
「ロイエン君の一族かな。流石に本人はもう生きて無さそうだし」
慈が過去の時代で出会ったロイエンは十四歳。存命でもナッフェ爺と同じくらいの六十四歳。
平穏な環境であれば生きていてもおかしくはないが、軍事組織っぽい正統人国連合の古い砦を改修した拠点での生活は過酷そうに思えた。
「召還の儀やるまえに会いに行ってみる?」
「いや、止めとく」
テューマの問い掛けに、慈は首を振って答える。ソーマ城の一室で近況を話し合っていた二人。今日は召還の儀の進捗を確認に来た慈は、このまま地下の研究室に向かうと告げる。
「そろそろ行けそうって話だったから、もし再起動できたらそのまま還るよ」
「シゲルは相変わらず淡泊よねぇ」
救世の勇者で英雄なのに戦勝パーティにも出席せず、勇者の活躍を讃える式典も固辞する慈に、テューマは不満そうな溜め息を吐く。
独立解放軍や決起軍に参加していた者達は皆、勇者の事を知っているが、進軍の際に立ち寄らなかった街や村の住人で慈の存在を知っている者は少ない。
新しく建てた新国家に集まる人々の大半は、勇者の活躍を知らないままだ。情報がどこかで捻じ曲がったのか、テューマと勇者を同一視しているところもあるらしい。
「良いじゃないか、上手く喧伝に使えそうだし」
「やーよ、私はシゲルの働きがちゃんと評価されて欲しいのっ」
せめてこれまでの旅路で身近に居た仲間の見送りくらいは受けて欲しいと、部屋の隅に控えている使用人にルイニエナとレミを呼ぶよう指示を出した。
「勇者部隊の皆が立ち会うくらいは、いいでしょ?」
「……そうだな」
現在の慈は、ジッテ家で世話になりながらソーマ城の地下研究室に顔を出しては、幽閉されているヴァイルガリンと召還再起動の打ち合わせをしていた。
昨日、ついに呪印衆の素材化処理が終わり、次元門を開く準備が整ったとヴァイルガリンから連絡があった。
次元門を開きつつ慈に残っている召還術の残照とリンクさせて、途中で止まっている術を再起動。慈の魂の欠片が残る元世界への道を開く。
「来たか。準備は出来ている」
ヴァイルガリンが幽閉されている地下牢を改装した研究室に入ると、仄かに光が明滅する魔法陣に向かって作業している元魔王に迎えられた。
床に刻まれた大きな魔法陣の周りには、等間隔に突起物が立っている。空間を固定する補助塔なのだとか。
その補助塔からはケーブルのような線が伸びており、壁の向こうへと繋がっている。
壁の向こう――隣の部屋には、魔法陣を稼働させる為の燃料役として素材化処理された被験者が収容されているらしい。
「一発で開きそうか?」
「何とも言えん。が、起点はお前の中にあるのだから、理論上は繋げられる筈だ」
そこへ、連絡を受けたルイニエナとレミが到着した。
「シゲルはまだ居るか」
「いるぞ~」
これから召還に挑む事を伝えた慈は、成功したらそのまま元の世界に還ると告げる。
「お前は……相変わらず淡泊だな」
「さっきテューマにも言われたよ」
ルイニエナには「もう少し感傷とか無いのか」と突っ込まれるが、慈としてはそういう感情に絆されて元の世界との繋がりが綻ぶのは避けたい。
「そりゃ親しくなった皆との別れに思うところはあるよ。ただそれ以上に望郷の念を強くして帰り道を失わないようにしてるんだ」
「……そうか。すまない、無粋だったな」
慈の立場と現状に対する思慮に欠けていたとルイニエナが詫びると、テューマとレミもバツが悪そうな顔になる。
「そこまで気にしなくてもいいけど……」
あまり深刻にとられても反応に困る。そう言って頬を掻く慈に、すっと近付いたレミが優しくハグをして離れた。
「あなたの奮闘と献身に感謝を」
過去の時代での別れの時、自分がそうしたという話を聞いていたので、再現したようだ。
「あ、じゃあ私も」
レミと入れ替わりに、がっしと抱き着いて来たテューマが耳元で小さく、しかしハッキリと震える声で「ありがとう」と呟き、そそくさと離れた。
そして、うつむいたまま背を向けてしまった。呟きに混じったしっとりとした吐息の揺れ具合から、泣きそうになっている事を察した慈は、何も言わずにテューマの背中を見詰めた。
「息災でな」
「ルイニエナもな」
この時間軸で最初の仲間になったルイニエナとは、最後に握手して別れる。
「ちなみに、今回の召還が一発で成功しなかったら後日またやり直すわけだが」
「ぶっ、そういう事は先に言ってくれ」
茶化す慈に、ルイニエナは「そうなったら気まずいだろう」と苦笑を返す。後ろでテューマが「えっ!」となっているのを見て、慈も苦笑した。
「そろそろ良いか?」
「ああ、頼む」
ルイニエナ達とのやり取りを律儀に待っていたヴァイルガリンが、頃合いと判断してか声を掛けて来たので、慈は頷いて魔法陣の中に入った。
必要な事だけを淡々と進めてくれるこの時代のヴァイルガリンとは、意外と気が合う慈。
過去の時代の顛末を聞かせた時は「マヌケにもほどがある」と、自分の事だけに中々辛辣な批評で眉を顰めては頭を振っていた。
「召還術再起動魔法陣、起動。遍在次元接続陣、展開」
ヴヴンと、魔法陣の起動と次元門の展開音が重なり、床で仄かに明滅していた魔法陣が光度を増して浮かび上がる。
胸の奥から引っ張られるような感覚と共に、慈の目の前に異次元のトンネルが現れた。見覚えのある白い光の道の上を、流されるように滑っていく。
次元門に入る直前に見えたルイニエナ達の事を想いつつも、慈は元の世界に還る事を強く強く意識する。
再び訪れた異次元トンネル。様々な色が混じって黒く染まったような、混沌を感じさせる空間の、奥へと続く白い光の道。
その先に見えたのは、懐かしい現代世界の近代的な景色。適度にお洒落な椅子やテーブル。角面に置かれた薄型テレビ。ありふれたレイアウトをした、見慣れた自宅のリビングだ。
胸の奥から引っ張られる感覚が消える。周りを覆っていた異次元トンネルも消え去り、ふわりとした不自然な空気と、無機質な雑音に包まれる。
地に足が付いたような僅かな衝撃を残して、慈は召喚される前に寛いでいた自宅のリビングに立っていた。
「…………帰って、来れた?」
慈の肩からゆっくり力が抜けていく。思ったより緊張していたらしく、そのまま座り込みそうになってどうにか堪える。
が、ここでは敵襲に備えて堪える必要が無い事を思い出し、息を吐きながら絨毯に腰を下ろした。十秒ほど、ぼーっと足元を見つめた後、おもむろにブーツの紐を解いていく。
「帰って来たなぁ……」
もう一度確かめるように呟いた慈は、脱いだブーツを揃えて脇に置くと、伸びをするように天井を見上げる。
何の変哲もないリビングの天井では、白いシーリングライトが現代文明の輝きを放っていた。
※次はエピローグになります。