第百四十一話:黄昏の魔王【前編】
ソーマ城の玉座の間にて。壇上の玉座で斜めに頬杖をついたヴァイルガリンが、ぼんやりと天井を見つめている。
代わり映えしない石の天井から視線を下ろせば、これまた代わり映えしない進まぬ総合御前会議の様子にうんざりした気分になり、また天井を見つめて止めどもない思案に耽る。
歴代の魔王達が好き勝手に改装を重ねた結果、政務から趣味の研究、果ては居住区まで併設された多機能玉座の間。
現在は総合指令室として首都の防衛を担う将軍達が顔を揃えている。
少し前まで、伝令と魔導通信より逐次飛び込んで来る報告や未確認情報の処理にてんやわんや状態にあった。
「反乱軍は城下回りの『地区』を攻撃し始めたようだ」
「穏健派の『地区』に怪しい動きがある」
調査に向かわせた兵が戻らず、情報が入って来ない。
ジッテ家の『地区』でカラセオスが奇病から復帰した事を祝う騒ぎがあったという、これまた真偽不明の情報を最後に連絡が途絶えている。
引き続き探らせろとだけ指示している将軍達。ヴァイルガリンは、彼等の名前も覚えてない。
先の戦争で活躍して、その後も鍛錬を怠らず部隊の規律を守り、部下達を堕落させる事なく活動していたレーゼム将軍やフラーグ将軍は、勇者と独立解放軍に討たれたという。
今ソーマ城に残っているのは、戦後に始まった政争という名の御遊戯で増えた、つまらない新興一族出の者達ばかり。
武闘派を名乗っているが、実際に己が武力で物事を押し通す者は皆無に近い。いずれも言葉や取引を駆使しての、駆け引き合戦が主流の『武闘派』一族が議場を占めている。
舌戦専門で武闘派を名乗るとは片腹痛い――などと憤っていたのも今は昔。
魔族の矜持などとうに無く、ヴァイルガリンが掲げていた魔族至上主義も、すっかり形骸化して過去の思い出になっていた。
ヴァイルガリン自身、簒奪を決行した当時の思想は、自分の中でやや黒歴史と化している。
「とにかくこのままでは埒があかぬ! 各『地区』からも防衛戦力を募るべきだ!」
「いや、城の防備は第一師団で十分賄える筈だ。城下の『地区』戦力はそのまま反乱軍にぶつけた方がよい」
「しかし、今のソーマ内に私兵を運用している一族なぞ、どの程度いるやら……」
「やはり強化魔獣と魔物部隊を使った方が効率が良い! こういう時に投入してこそだろう!」
「浅はかなっ! ソーマ周辺の森に展開しているアレ等を呼び戻すだけで夜が明けるわ!」
方針は纏まらず、自ら指揮を執りに向かおうと席を立つ者も居ない。
一体いつまでこの不毛な会議を続けているつもりだろうかと、ヴァイルガリンが無心になりながら胡乱な目を向けたその時、玉座の間が光に包まれた。
「……なんだ? 何が起きた?」
静まり返った玉座の間に、ヴァイルガリンの困惑した呟きが響く。しかしそれに答える声は無い。壇上から見下ろせば、先程までがなっていた将軍達が会議テーブルに突っ伏している。
椅子からずり落ちて床に腰を落としている者も居る。
彼等だけでなく、この玉座の間の総合指令室で活動していた魔導通信兵に衛兵、給仕達も半数ほどが座り込んだり、蹲ったりしていた。
突然の異常事態。倒れていない者達は、壇上の魔王ヴァイルガリンに指示を求めて、縋るような視線を向ける。
が、ヴァイルガリンも今の状況を飲み込めていない為、ただただ戸惑っていた。
そんな玉座の間に、数人の足音と話し声が近付いて来る。
やがて扉が開かれ、現れたのは杖を提げた黒髪の少年を先頭に銀髪の女性と、影の薄い女性。それに白い槍を担いだ少女だった。
「お、結構残ってるな」
「給仕達が影響を受けていないのは分かるが、なぜ彼奴が平気な顔をしているんだ?」
「条件は私達への敵愾心だっけ?」
黒髪の少年が部屋を見渡して呟くと、銀髪の女性がヴァイルガリンに不可解そうな視線を向けて眉を顰め、槍を担いだ少女は"条件"とやらを確かめて問う。
戦意も緊張感も無く、場違いな雰囲気を醸し出しているその若者達は、どうみても魔族軍の関係者ではないし、反乱軍がここまで来たにしては早過ぎる。
ヴァイルガリンはそんな分析をしながら、玉座の間を改めて見渡した。
将軍達は全員が突っ伏しており、衛兵も軒並み座り込んだり蹲るなどして動かない。
立っている者は数人居るが、この状況で給仕達が動けないのはまだしも、衛兵まで指示待ちで仕事をしていない。
彼等はここの将軍達のコネで『玉座の間の衛兵』という役職に取り立てられた、ある意味飾りの兵なので、非常時に使えない事は分かっていたが――
「……何者か」
仕方なく、玉座のヴァイルガリンが自ら誰何した。
「俺は勇者シゲル。この時代だと初めましてだな、魔王ヴァイルガリン」
「!……なん、だと?」
味方になる穏健派一族の『地区』を回って『奇病』に臥す族長達を全員治療した慈達は、決起軍が城攻めの合図を出して動き出したのを確認すると、一足先にソーマ城へ突入した。
城の構造は五十年前から変わっていなかったので、裏口から玉座の間までの間取りを覚えている慈が先導し、迷いなく辿り着けた。
敵対者を無気力化する勇者の刃を放ちながら進んで来た為、ここまでの道中には今日一日身体を動かすのも億劫になった兵士達が、城内の其処彼処に横たわっている。
無気力化勇者の刃が当たる条件は、『独立解放軍と決起軍に敵愾心を持つ者』に設定した。結果、軍属でも戦う意思の無い者は弾き、非武装の使用人でも敵意を持つ者は悉く無力化できた。
最初の数発を対象外判定ですり抜けても、敵愾心を持った瞬間対象者になるので、良い具合に取りこぼしなく、潜在的に敵対する可能性を持つ相手を全て無気力状態に陥らせている。
「しっかし、あんたの求心力が落ちてるって話は本当だったんだな」
慈は、玉座の間の惨状――とりわけ、無事な兵士が居るにも拘わらずこちらを威嚇するでもなく、玉座の周囲を固めるでもなく、ただ茫然と突っ立っている有り様を見て思わずそう口にした。
回復した穏健派一族の族長達から聞いた話。
ヴァイルガリン派はもはや、昔ながらの魔族至上主義に傾倒している者は僅かで、派閥としての方針・軸を失っていると。
戦後台頭してきた新興一族は、現魔王の派閥に属しているだけで、ヴァイルガリンが提唱していた『闘争と研磨』の思想は実質ガン無視状態だったという。
平和が訪れてからは政争が中心になり、武力を誇示していた一族の殆どは命のやり取りの無い平穏と栄華の中で、持て余した闘争心を賭博などの娯楽に興じて、次第に堕落していったらしい。
ヴァイルガリン自身も、いつしか嘗てのような魔族の矜持を口にしなくなった。
ヒルキエラ国の首都ソーマにおける最重要中枢施設。ソーマ城の玉座の間という、本丸に王手を掛けているのに、攻撃魔術の一つも飛んでこない。
五十年前の世界で対峙した時と比べて、あまりにも残念な有り様に、慈の闘争心も萎える。
「まさか本当に反乱軍だったとはな……よくぞここまで来たものだ、禁忌の勇者よ」
「あーうん、取り敢えず討ちに来たんだけど、その前にちょっと色々聞きたい事もあるんだわ」
「何だ? 人国連合の協力者の事か? アレ等には我は関わっておらんから知らんぞ」
「え、そんなん居たのか向こう。いやまあそれも重要そうだけど、勇者召喚の魔法陣の事で――」
「……え、なにこのやり取り」
壇上の玉座で草臥れた雰囲気を醸し出している魔王ヴァイルガリンと、緊張感の欠片も無く言葉を交わし始めた慈に、宝珠の魔槍を構えて意気込んでいたテューマが困惑している。
「まあ、シゲルに緊張感が無いのは毎度の事だが」
ルイニエナはそんな事を言いつつ、レミと共に周囲を警戒した。
が、今日放った勇者の刃の無気力化効果は明日の昼頃まで続くらしい。玉座の間で倒れている者達を含めて、城内の敵対勢力は全て鎮圧済み。
実質、ソーマ城を陥落させている。
(本当に一人で、半日と掛からず終わらせられるとは……)
元の世界への帰還問題が無ければ、慈は誰とも組む事なく単身でヒルキエラ国まで乗り込み、ソーマ城に籠もるヴァイルガリンを仕留められる力を持っていた事が証明された。
ふっと軽く溜め息など吐いたルイニエナは、戦闘が始まらず手持ち無沙汰になってしまい、魔槍をクルクル回しているテューマに話し掛ける。
「とりあえず、今後の事を考えておこう」
「今後の事?」
慈とヴァイルガリンの対話。その内容次第では、慈の帰還にも早急に目途が立つ。タイミングによっては、テューマ達は慈のサポート無しでヒルキエラ国の掌握をしなければならない。
「そっか、もしヴァイルガリンがシゲルの帰還に協力するなら……」
「うむ。穏健派一族が殆どゼロから研究を進めるより確実だろうしな」
ここに来て、ヴァイルガリンを予定通り討つのか、幽閉に留めて勇者を還す為に協力させるのか、選択肢が増えた。
「あの様子を見る限り、ヴァイルガリンは魔王として君臨しているものの、実権は失っているようだ」
「流石にこれは予想外だったわ……」
闘争こそ魔族の矜持と覇道を求めた簒奪者も、支持者と情熱を失えばここまで落ちぶれるものなのかと、テューマは子供の頃から『父の仇』と聞かされてきた魔王ヴァイルガリンの萎びた姿に脱力する。
「まあ……本当の仇は別に居たみたいだけど」
「タルモナーハ殿らがどう動くかも想定しておかねばな」
カリブ達に諜報用の呪印を仕込んだタルモナーハ族長とリドノヒ家。
その呪印を逆利用した慈達の嘘の情報に、まんまと引っ掛かったリドノヒ家の私兵団が、西門に現れたと聞いている。
穏健派魔族組織軍と行動を共にしているらしいので、もう暫くすれば武闘派魔族組織軍のラギ族長達と共にソーマ城までやって来るだろう。
「私達と合流したかったみたいだけど、何が目的だったのかな?」
「シゲルの力を知っていれば、ヴァイルガリンを確実に討てると分かるからな。私達に同行しておけば、簒奪者討伐の功績に肖れる、というところか?」
その功績を以て、テューマが新たな魔王の座に就いた暁には、『正統なる若き魔王の後ろ盾』を称し、ベセスホードと独立解放軍の関係のように、裏から実権を握る心算だったのやもしれない。