第百三十九話:リドノヒ家の野望
魔族国ヒルキエラの首都ソーマ。その中心部からやや離れた区画に『地区』を持つリドノヒ家の屋敷では、一族の秘密会議がおこなわれていた。
先日、リドノヒ家が管理する抜け道から首都入りしたタルモナーハ族長が、本家の族長や兄弟達と向かい合う。
「しかし、貴様がここまでやるようになるとはな」
「軟弱な見た目は変わらんが、穏健派の連中とつるんでいた頃よりはマシになったかぁ?」
次期本家族長でもある長男と、知謀寄りのリドノヒ家の中では武闘派な次男は、先の戦争で手柄を上げて辺境の街に分家を創設した三男タルモナーハを評す。
「兄上たちは、これから出陣ですか?」
「うむ。登城の要請が来ている」
「第一師団の指揮官が足りねぇんだとよ……お前の策がハマったみてぇだな?」
ニヤリと笑う次男の言葉に、タルモナーハは深く頷く。彼が数十年前から描いた計画は概ね順調に進んでいた。勇者というイレギュラーな存在も、今のところ上手く扱えている。
五十年前、ヴァイルガリンが簒奪の準備を整えていた頃。
リドノヒ家の家督を継ぐ長男と、それを支える次男が族長教育を受けている一方、三男のタルモナーハは特に秀でた才能も無く、予備としての価値も見出されず捨て置かれていた。
家での立場に思うところあれど、それで何かを起こす気概も無かったタルモナーハは、お小遣いだけは潤沢に貰えていたので、魔族国を出て人間国を遊び歩く放蕩者と化していた。
魔族の中では平凡でも、人間の中では身体能力も魔力も高いポテンシャルを持つ強者として、皆からちやほやされる。それが楽しかったのだ。
そんな生活の中で、人間国に住み着く魔族達の集まり――穏健派組織と親しくなった。
始めは、自分と同じような境遇の魔族仲間かと思っていた。ところが長く付き合ってみると、ラダナサもスヴェンも、魔族として優れた才能を持っている事が分かった。
下位種族との共存。平穏な生活を前提に、立派な理念や目標を掲げて活動する人格者達。
名門リドノヒ家の血筋を引いている事以外に誇れるものも無い自分とは違う、特別な存在。タルモナーハは、彼等に対して密かに劣等感を抱き始めた。
組織の中で幹部として扱われながらも、内心では自分以上の才を持ち、多くの仲間に慕われるスヴェンや、人間の家族まで囲っているラダナサ達を疎む気持ちを募らせていく。
鬱々とした日々の中、実家の密偵から接触があり、ヴァイルガリンが簒奪に動くとの情報を得た。リドノヒ家に咎が及ばないよう、穏健派組織から離れて急遽ソーマに戻れとの要請。
自分の行動はずっと家に監視されていたのだ。一族の為とはいえ、いざという時にこうして手を差し伸べられる。
放っておかれたと思っていた実家への嫌悪と憤り。同時に、見捨てられていないという安心感。実家への苦手意識が払拭され、これまでの鬱憤がタルモナーハの自尊心を動かし、野心を芽生えさせた。
ヴァイルガリン派による簒奪が成功した日。タルモナーハはソーマには戻らず、王都シェルニアで活動していた穏健派組織を裏切り、ラダナサ達を売って魔族軍の侵攻を手助けした。
最初期のルーシェント国侵攻がかなりスムーズに進んだのは、タルモナーハの工作が少なからず影響している。
その功績を以て今の身分を手に入れたのだ。この時の成功体験が、タルモナーハを更なる野望へ走らせた。
簒奪者からの簒奪。
魔族国ヒルキエラにおいて、魔王位の簒奪は歴史的に恒例行事と言えるほど、当たり前に繰り返されて来た。
人間国との交流で文化が発展した影響か、前魔王時代は落ち着いていたが、力ある者が奪い支配する在り方は、魔族の本懐とも謳われる。
ヴァイルガリンはそんな魔族の在り方を賛美する『魔族至上主義者』だが、ヴァイルガリン派に籍をおく魔族一族の全てが同じ考えではないし、深い忠誠を誓っている訳でも無い。
あまり武威を誇示しないリドノヒ家も、ヒルキエラ国の頂点に昇り詰める野望をしっかり秘めている。タルモナーハとリドノヒ家の真の目的は、自分達が魔王の一族に成り上がる事であった。
「第一師団の指揮権を握れば、後は面倒な者から討たれるよう采配を頼みます」
「おう、任せとけ。今はレーゼム隊の連中も遊撃歩兵小隊の狂犬共もいねぇから楽なもんだ」
テューマ達独立解放軍と決起軍勢力を焚きつけてヴァイルガリン派を始末させ、双方疲弊したところを背後から刺す漁夫の利狙い。
これまではその下準備として、タルモナーハが辺境で反抗勢力を集めている間、リドノヒ家はソーマで暗躍してきた。
呪印衆の秘術によって、自身が刺客である事を完璧に忘れた状態で、概ねこちらの意のままに動かせる者を、力ある穏健派一族の『地区』に送り込み、精製した呪毒を少しずつ浸透させた。
呪毒による『奇病』の発症で、名立たる穏健派一族の族長を殆ど封じられた。
ヴァイルガリンに心酔している第一師団の武闘派集団も、大半は腑抜けに堕とす事が出来た。
こちらの呪毒に融け込ませた呪印の効果は、酒や女や賭け事といった娯楽に傾倒するよう深層意識に働き掛け、遊びから得られる快感を何倍にも増幅させるものであった。
微弱な誘導効果ゆえに、余程意思の強い者にはあまり影響を与えられず、熱心な研究家や職人気質で研磨を怠らなかったレーゼム将軍にフラーグ将軍辺りの力を削ぐ事は叶わなかったが。
今の第一師団は主立った部隊が軒並み骨抜き状態であり、かつて最強の軍団と謳われた威勢は見る影もない。
穏健派を『奇病』という形で封じ、この働きを以てヴァイルガリンとその臣下達から信頼を得つつ、そのヴァイルガリン派で厄介な一族は悦楽に堕落させる。
タルモナーハが本家に提唱した策謀は、この反乱が始まってから早々に第一師団の主力部隊が脱落するなど、着実に実を結んでいた。
「レーゼム将軍とフラーグ将軍を排除できたのは大きい」
「遊撃歩兵小隊の糞共もな。しかし、奴等を屠ったらしい伝説の勇者ってのは大丈夫なのか?」
あの悪辣な遊撃歩兵小隊や、最強コンビが所属する堅実なレーゼム隊、老獪なフラーグ支援大隊が、いとも容易く全滅したと聞いた。
「まだ未知数な部分がありますが、勇者の目的は元の世界に還る事。やりようはありますよ」
還す方法があるなら、ヴァイルガリンを討たせた後そのまま還してしまえばいい。方法が無くとも、帰還の道だと偽って死地に向かわせれば処理できる。
それまでは頼もしい戦力として存分に利用させてもらう。
「とりあえず、私の私兵団を勇者部隊に同行させます」
後は流れで誘導していく。テューマやジッテ家の令嬢と良い関係を築いているようなので、イザとなれば人質も有効なはず。
タルモナーハはそう締めくくった。
リドノヒ家で秘密会議が一段落し、タルモナーハの私兵団が目的を果たせず穏健派魔族組織軍との合流でお茶を濁していた頃。
ジッテ家の屋敷では、慈とルイニエナ、テューマ達の治療で呪毒の『奇病』から急速に回復したカラセオスが、今日に至るまでの経緯や現在の状況把握に努めていた。
「なるほどな……」
重々しく呟いたカラセオスは、自分が『奇病』で倒れる以前から、従軍していた娘ルイニエナと擦れ違っていた事に溜め息を吐く。
まさか双方の手紙が握り潰されていて、送った物資は全て横領にあっていたなど、流石に思いも寄らなかったと頭を振る。
「もっと積極的に動くべきだった。苦労を掛けてしまったな、ニエナ」
「お父様……」
喧嘩別れのような形でルイニエナが出征した日から五十年。こうして無事に再会を果たせた父娘は、ようやく和解する事ができたのであった。
「ううう、良かったですねぇ、旦那様にお嬢様」
熟年使用人のマリーサが、カラセオスの身体を拭きながらウルウルしている。屋敷の他の者達も、当主が回復した事を受けて皆が喜んでいた。
首都ソーマが今まさに独立解放軍と決起軍に攻撃を受けている最中にも関わらず、ジッテ家の『地区』にはカラセオス快気の報せが発せられ、勢力下の住人達は祝賀に沸く。
そして、カラセオスと同じく『奇病』に臥している他の穏健派一族の『地区』から助けを求める使者が訪ねて来たりと、ジッテ家の『地区』を中心にソーマ内の穏健派勢力が活気づき始めた。
勿論、慈は彼等も治療して回る予定である。力ある穏健派魔族の協力者は、慈が現世に帰還するの為の、重要なファクターとなるからだ。
「俺は今のうちに他の『地区』を巡って来ようと思うんだけど、ルイニエナ達はどうする?」
勇者の刃による呪毒の除去作業は、併用する治癒術を十分に扱える人材さえ居れば、誰が担当しても構わない。
折角の親子の対面。カラセオスの治療でも疲れているであろうルイニエナを気遣った慈だったが、彼女は首を振って答える。
「私も行こう。ジッテ家の代表として、顔繋ぎが必要だろう」
「あ、じゃあ私も」
ルイニエナとテューマは慈に同行を告げた。
「お嬢様、こちらを」
初老の家令が、訪ねて来た使者達の『地区』でも、味方として重要な一族順に纏めたリストを用意してくれる。
主要門を突破した独立解放軍と決起軍が、足並みを揃えて城攻めに出る準備を整えている間に、出来る限り『奇病』患者を治癒して回ろうと、三人で味方の一族リストを確認する。
「先方には予め治癒係りを用意してもらって、ヴァラヌス二世でささっと回ろうか」
「うむ、それがいいだろう。バナード、先触れの準備を。お前達は庭で地竜の世話をしている少女に茶を用意してやってくれ」
「「畏まりました」」
慈の提案に同意したルイニエナが、初老の家令や廊下で待機している使用人達にテキパキと指示を出す。
素早く方針を定めて、必要な行動を粛々と重ねる。息の合ったスムーズな連携。
そんな娘と勇者の様子を見た、未だベッドからは起き上がれないカラセオスは、座った姿勢のままこんな事を訊ねた。
「それで勇者殿」
「うん?」
「娘にはもう手を出したのかね?」
「出してないっす」
マジっす。と、あまりに唐突過ぎて真顔で否定する慈。ルイニエナは、父が慈に何を問うたのか理解するのにワンテンポ遅れて、数秒フリーズしたのち顔を赤らめた。
奥部屋に居る者達が一斉に動きを止めたので、一瞬時間が止まった気がしたわと、テューマは息を吐きつつ肩を竦めて見せるのだった。