第百三十一話:シェルニア攻略
旧ルーシェント国の王都シェルニア。
征服戦争以前から魔族国との交易や小競り合いを通じて魔族と付き合いがあった街。
ヴァイルガリンが魔王になって真っ先に滅ぼされたが、攻撃されたのは主に支配者層で、完全な奇襲だった事もあり、ある意味、最も被害が少なかったと言える。
上流層がごっそり入れ替わり、魔族と人間の人口比が変わったくらいで、大きな肩書きを持たない一般の住民は殆どが戦前と大差ない生活を営んでいる。
そんなシェルニアの民にとって、独立解放軍の旗揚げと呼応した決起軍によるルナタス陥落の報せは寝耳に水の出来事であった。
「ノンビリ平和に暮らしてたのに、また戦争か?」
「ちょっと前にレーゼム隊が出撃して行っただろ? どうもあの件らしいぞ」
「えっ、じゃあ勇者って奴が本当に現れたのか?」
街角や飲食店、酒場などで実しやかに囁かれる噂。人族に伝わる古の秘術、異世界より英雄を召喚する『勇者召喚の儀』。
伝説の勇者が召喚されて、決起した人間が魔族国に攻め入ろうとしている。
「大分前にも結構大きな征伐軍が出て空振りだったって聞いたが……」
「ああ、その話な。勇者は見つからなかったって発表だったけど、実は聖都跡の徘徊魔獣や魔物部隊が全滅していたらしい」
「それって、独立解放軍か正統人国連合の仕業って話じゃなかったか?」
「多分情報操作だろう。あの当時、両集団に廃都の魔獣を一掃できる武力は無かった筈だ」
軍に伝手のある者や情報通の魔族民の若者らが、レストランの食卓を囲んでそんな会話を繰り広げると、周囲で聞き耳を立てていた者達もヒソヒソと噂の真偽について議論を交わす。
シェルニアの都でも、上流層の住まう地区に見られる、いつもの光景。
明日にも独立解放軍と決起軍が現れるかもしれないという、ひっ迫した状況にも関わらず、住民達の危機感は薄い。
それは人間の住民が多く住む中流から下層の地区でも同じような空気で、魔族と人間の認識に然程の温度差は見られない。
そんなシェルニアの昼下がり。平和な日常風景の中を、白い光の巨壁が通り過ぎて行った。
シェルニアの行政を担う旧王宮跡の中央司令室では、謎の巨大光壁がルナタスやパルマムを襲った独立解放軍と勇者の攻撃であると見做し、非常体制に入っていた。
「各地区の守備隊員は担当の門前に集合せよ!」
「斥候班及び遊撃隊は直ちに出撃! 飛行偵察隊は上空にて待機! 索敵を重視!」
「哨戒している部隊からの連絡はまだか!」
元々独立解放軍や決起軍の侵攻に備えて厳戒態勢令は出していたのだが、未だ敵軍の影すら見えない状態から奇襲を受けるのは想定外過ぎて、軍も民も混乱状態にあった。
「被害状況は?」
「情報が錯綜していて把握できていません。幾つかの『地区』と連絡が取れなくなっています」
「索敵を強化しているのですが、敵影を確認できず。何処から攻撃されているのかも掴めず……」
緊迫する中央司令室。ここを預かる総指揮の問いに、通信担当の参謀達が各所より上がって来る報告を取り纏めながら答える。
「ふむ……よし、ヒルキエラに援軍要請だ。全ての『地区』と各防衛箇所に魔導通信班を配置しろ。ここもいつ攻撃されるか分からん、地下指令室への移動を急がせ――」
素早く決断し、矢継ぎ早に指示を出していた総指揮の声が止まる。彼を含めて、中央指令室に詰める指揮官や参謀達の視界が真っ白に染まった。
シェルニアの都から少し離れた森の中に潜む独立解放軍の指揮部隊。
彼等はシェルニアで動きがあった事を確認すると、後方の中央街道沿いで待機している解放軍本隊と決起軍に進軍開始の合図を送った。
指揮部隊は味方が到着するまで今しばらく、この場に身を潜めて都の様子を窺う。
見張り役の兵士達が見詰める視線の先では、地面から生えた巨大な光の柱がシェルニアの都に向かって流れていく光景が続いている。
シェルニアの周辺は開けた地形なので、大軍で近づけば確実に見つかる。
たとえ月の無い夜でも奇襲はまず不可能とされていたのだが、勇者部隊はこの森から地面にトンネルを掘って都に接近。地中から件の攻撃を仕掛けていた。
「まさか、あんな攻め方をするとは……」
「ホントにすげぇよな、勇者様」
「俺は恐ろしいよ。いくら何でも、あの力は異常だ」
南の旧オーヴィス領の辺境に位置するベセスホードからここまで、カルモア、クレッセン、パルマム、ルナタスと、破竹の勢いで進撃して来たが、独立解放軍はまだ一度もまともに戦っていない。
最初に想定外の強敵レーゼム隊の精鋭小隊と対峙した時から、殆ど勇者シゲルが一人で片付けて来た。
今回のシェルニア攻略では、長距離トンネルの補強係りとして土木用の魔法を扱える工兵部隊が付き従っているが、この戦いでも戦闘員の出番は無いだろう。
都を制圧する際、住民とのトラブルでも起きた場合に、多少動く程度になると思われる。
大波の如く地面から立ち昇ってはシェルニアの防壁の向こうへ消えていく光の柱の列を眺めながら、指揮部隊の兵士達は勇者の在り方について賛否両論、悲喜こもごもな反応を見せていた。
一方、勇者の刃で地面を掘削して都に近付き、地下から巨大光柱攻撃を放っていた慈は、いい感じに手応えが無くなって来たのでそろそろ地上に出ようかと皆に声を掛けた。
「多分、今は東側の防壁近くの筈だから、このまま右方向に掘り進んで行けば、北門付近に出ると思うんだ」
「このトンネルは埋めないの?」
「埋めてもいいけど、折角作ったんだから何かに使えないかな」
慈の傍で魔法の明かりを浮かべているテューマの問いに、慈は何となく勿体ない精神で提案してみる。
「確かに、大型地竜が通れるほどの地下道だからな。傾斜も浅めにしてあるし、馬車も通れそうだ。魔術での補強もしっかりしている。少し手を加えれば、何かしらの有効利用は出来るだろう」
と、風の魔法で換気を担当しているルイニエナも、トンネルは残す方向で同意した。
森の指揮部隊に『別の場所から地上に出る』旨を伝えると、勇者の刃による掘削の準備をする。攻撃と休憩用に少し広く掘った地下の拠点空間から、新たなトンネルを掘り始めた。
「そういやソーマに入る時も長いトンネルを通ったな。あそこの巨大防壁って自然の岩山だから、正規ルートの門を使うより穴掘って入った方が早くて楽かもしれんぞ」
「お前だけだ、そんな事が出来るのは」
実際、この速度でどんな硬い岩盤でも掘り進められるなら、首都ソーマを覆う自然の防壁である岩山をぶち抜いた方が確かに早いと、ルイニエナは突っ込みつつも認めた。
ヒルキエラへの進軍と、首都ソーマの攻略方針が概ね固まった。
もはや王都クラスの街の攻略さえ片手間の如く片付けていく勇者の姿に、トンネルの補強を担当している工兵部隊員達は、地上の指揮部隊の兵達と似たような心境でその背を見詰めていた。