第百三十話:不信感
勇者シゲルの力でルナタスを制圧し、合流した決起軍勢力も傘下に収めて更なる戦力の増強と再編を図った独立解放軍は、次の目標であるシェルニアの都を目指していた。
テューマ達独立解放軍の勇者部隊、指揮部隊、大遠征部隊本隊だけで3500人~4000人の大部隊となり、これに決起軍勢力の各部隊を合わせると一万人を超える規模となっている。
「これだけ増えると壮観だな」
「ねー」
かなり視点が高くなる地竜ヴァラヌス二世の荷台から周囲を見渡しては、大河のように続く味方の軍列の長さに慈が感嘆すると、テューマも同意する。
「喜んでばかりもいられないぞ? この規模になると纏まって移動させるだけでも一苦労だ」
ルイニエナはそう言って、楽観的な雰囲気の二人を諫める。
決起軍の部隊は、三つの異なる勢力がそれぞれ独自の指揮系統で動いており、独立解放軍の傘下に入ったとは言え、指示が末端まで届くのにやや遅れが生じていた。
「指揮が一本化できないのは、致命的とまでは言わないが問題だな」
「まあ、そこは仕方ないよ。うちにはこれだけの軍勢を動かせる指揮官が居ないんだもん」
人員募集で兵の頭数は増えたが、指揮できる人材が足りない。各勢力の中心的部隊が纏め役としてこちらの指示に従ってくれる事で、何とか全軍の足並みを揃えている状態であった。
「このままシェルニアに突撃しても大丈夫かな?」
「一度、各勢力の長達と話し合いが必要だな。もうすぐタルモナーハ殿も合流するのだろう?」
そんなテューマとルイニエナの会話を聞いていた慈が、ふと思い出したように問う。
「そういやカリブ君達から連絡は?」
「まだ。早ければ今日、明日には何か届く予定」
レミが地竜の手綱をとりながらそう答える。独立解放軍の真の本拠地ともいえるベセスホード要塞は正統人国連合に奪われてしまったが、タルモナーハ族長は私兵団と共に健在である。
無事に合流できれば、独立解放軍の表の指導者と裏の設立者が揃う。
「私はシゲル達と動いた方が良いと思うし、全体の指揮はタルモナーハ様にやって欲しいかな」
「ふむ。確かに、その方が身軽になると思うが――」
テューマの考えにルイニエナは賛同しつつ、慈をちらりと見やる。
以前、ベセスホード要塞を訪れた際、ルイニエナは慈から『タルモナーハ族長を信用していない』旨をそれと無く伝えられている。
ルイニエナ自身も、あの族長に対しては少々胡散臭いものを感じていた。
慈がその場で勇者の刃による選定を行わない判断をしたので、彼の方針に従い様子を見ている状態だ。
「ここまで戦力の膨らんだ組織を、そのまま渡すのは不味いか……?」
「別に、それは大丈夫」
確かめるように問うルイニエナに、慈はそう返す。
「どの道、俺の敵は消すだけだから問題無いよ」
「そ、そうか」
その返答に少し引き気味なルイニエナは、一応納得しながらも、慈が何を狙って、または何を危惧して選定をしなかったのか確認しておきたかった
「もし、タルモナーハ殿が敵側だったとしたら、この決起自体が危険分子を纏めて焙り出すヴァイルガリン側の罠とも考えられるが……」
「いや、ヴァイルガリンと繋がってる線は無いんじゃないかな」
「それなら……?」
「ヴァイルガリンを討ちたいのは本当だろうさ。ただその目的というか、動機は、簒奪者の糾弾でも、人間の救済でも、ましてや仲間の敵討ちでも無い、別のところにあると思う」
「ふむ……」
「あ、あの~……私が居る前でなんて話してるのかな?」
慈とルイニエナのやりとりに耳を傾けていたテューマが、困惑した様子で声を掛けた。レミも口は挟まないが、戸惑った表情をしている。
暫しの沈黙。地竜の歩く振動に揺られ、行軍の音を聞きながら、慈はテューマをじっと見詰めて何事か考えている。
その沈黙と視線に耐えられなかったのか、テューマがおずおずと訊ねた。
「……シゲルはどうして、タルモナーハ様を信用していないの?」
「そうだな、テューマちゃんも知っておいた方がいいか。近親者として思うところはあるだろうけど」
慈は、実は何時この話を切り出すか迷っていた。十分な戦力と、テューマからの信頼も得ている今がそのタイミングかと、タルモナーハ族長を信用できない理由を語る。
「俺が過去の時代に行ってた話は何度かしたよな?」
「うん。私のお父さんにも会ったんでしょ?」
テューマの父親であるラダナサとは、パルマム近郊に寄り集まっていた難民キャンプで出会った。
ラダナサは『贄』の呪印を中心に複数の呪印を重ね掛けされ、一人では身動きも取れず、意思の疎通も出来ない状態にされた上で、ルーシェント国を脱出する難民達に預けられていたのだ。
難民達がいずれ人間の国に入った際、『贄』を起点に広域殲滅魔法を発動させて内側から破壊する時限爆弾のような『仕込み贄』だったのだが、慈が勇者の刃で全ての呪印を消し飛ばした。
そうして回復したラダナサから、『贄』の呪印の事やそれを使った魔族軍の作戦について知る事が出来た。その時に、ラダナサが囚われの身になった経緯を聞いている。
「ラダナサは、組織の幹部だった人物の裏切りに遭ったと、ハッキリ言っていた」
「えっ……」
当時、ルナタスを拠点にしていた穏健派魔族組織の中で、ラダナサやスヴェンと親しかった幹部仲間は、タルモナーハだけだ。
スヴェンとテューマからタルモナーハ族長の経歴について聞き、ベセスホード要塞で当人と話をした時から、慈は彼こそがその裏切り者の幹部である可能性が高いと判断していた。
テューマ達が恩人だと思っていたタルモナーハ族長が、実は父や仲間達の仇だったという話。
「勿論まだ確定はしてないけどな。十中八九間違いないと思ってる」
「そ、それは、どうして……?」
「じゃなければ、実家の根回しで一人難を逃れた事になっているタルモナーハ族長から、組織の裏切り者について話が出る筈だろ? スヴェンからは何か聞いてるか?」
ふるふると首を振るテューマ。かなり動揺しているようだ。
「まあ、スヴェンはシェルニアで捕まって直ぐ意識不明にされてるし、タルモナーハ族長はソーマに居た事になってるから、他に裏切り者が居て、その裏切り者も死んでた場合はその限りじゃないけどな」
生存している元組織構成員の誰もが、裏切りのあった事を知らないまま、全ては闇の中というパターンも考えられるが、裏切った者が『幹部仲間』だった事。
スヴェンが話したタルモナーハ族長の事情は、全て後から当人に聞いた話である事。そして――
「いくらヴァイルガリン派寄りだった実家の根回しがあったからって、明らかに敵対者扱いしてた穏健派組織の幹部を、辺境の街とはいえ族長にまでして任せたのは何でだって話だよ」
タルモナーハ族長がベセスホードの街の統治権を与えられたのは、何かの褒美だったのでは? と考えると、タルモナーハ裏切り者説が真実味を増す。
「あと、これは価値観の違いかもしれないけど、親友の忘れ形見が生き延びてたのが分かったら、普通は安心して暮らせるように争い事からは遠ざけそうだけどな」
凄い潜在魔力を持っていて、次期魔王の後継者だった事が分かったからといって、何故そこで打倒ヴァイルガリンの切り札に仕立て上げるべく、独立解放軍のリーダーに据えるのか。
「魔族の一般的な価値観って、そういうもんなのか?」
「いや、別にそういう事は、無いと思うが……」
「……」
ルイニエナが歯切れ悪くも、魔族の価値観は一般的と思われているほど闘争主義寄りではないと明言する。
ジッテ家は中立を宣言している穏健派扱いで戦争には参加しなかったし、ルイニエナ自身家族から戦いの場に赴く事を望まれてなかった。心配されていた事を、慈の話から知った。
穏健派を標榜する組織に身を置く者なら尚更。タルモナーハ族長のテューマに対する扱いはおかしいと、慈は考える。
「一応聞くけど、テューマちゃんは自分から望んで今の立場に上がったのか?」
「……」
慈にそう問われて、テューマは一瞬、虚を突かれた様な表情を見せたあと、過去を思い出すように視線を巡らせ、ゆるゆると首を振った。
「いつの間にか、そうなっていたというか……そうするのが当然だと思ってた」
タルモナーハ族長と会うようになってから、父と仲間の仇を討つ。自分が前魔王の後継者となる事を、自然に受け入れていたとテューマは答える。
「サラさんとイルド院長は何て言ってたんだ?」
「……私の、したいようにすればいいって。あ、でも――最初は反対されてたかも」
昔の記憶を思い起こしながら答えたテューマは、母サラとイルド院長の悲しそうな顔を思い出し、当時は分からなかったあの表情の意味が、何となく分かった気がして愕然としている。
「もしかして――私、操られてた……?」
「まあ、呪印とかじゃなくても、小さい子供の気持ちを誘導するのなんて、そう難しくなかっただろうしな」
一定期間、またはその瞬間だけ効果を発する暗示的な術があってもおかしくはない。時間を掛ければ、思考の誘導も容易かった筈だと慈は推察を述べた。
自分が父の仇に唆されていて、今もその片棒を担いでいる可能性を示唆されたテューマは混乱する。
「わ、私、どうしたら……」
「落ち着け。現段階では、まだシゲルの憶測に過ぎないのだろう?」
「一応な」
慈は、内容が内容な上に、下手なタイミングで選定を試してタルモナーハ族長を死なせた場合、独立解放軍が空中分解し兼ねない。
テューマも相応に動揺するだろう事を考えると、何時伝えるべきか本当に迷っていたと明かす。
「もし、シゲルの推察通りタルモナーハ殿が過去に裏切り者だったとして、今もそうとは限らない、という事は……ないのか?」
「それについては、さっき言った価値観の話になる」
過去の贖罪のつもりでテューマを魔族と人間の英雄に育てて、本来継承していた筈の魔王の座に押し上げようとした――なんて筋書きも考えられなくは無いが。
「スヴェンから聞いた話の通りだと、タルモナーハ族長は別の穏健派組織からテューマちゃんの事を聞いて、それから本人に会って力がある事を確かめた後、ヴァイルガリン打倒の切り札に仕立て上げようと考えたって流れだぞ? 俺には上手く利用しようとしてるようにしか思えんけどな」
「うーむ……」
テューマに前魔王が認める強大な潜在魔力がある事を知るまで、特に接触するでもなく放置していたと思われる部分も含めて、タルモナーハ族長の動きには違和感を覚えるのだと、慈は主張した。
慈達が話している間、御者を務めるレミは周囲に聞き耳を立てている者が居ないか常に気を配っていた。独立解放軍の根幹を揺るがすような、かなり重要で深刻な内容である。
レミは、今このタイミングで話す必要が本当にあったのか疑問に思う。
「どうするの?」
そんな戸惑いの気持ちを込めた問いに、テューマは沈黙を返し、ルイニエナは唸っている。そして慈は、レミの疑問を察したように答えた。
「結局この先もやる事は変わらないからな。ベセスホードが人国連合に取られてなきゃ後回しにしても良かったんだけど」
これからカリブ達と合流してタルモナーハ族長と行動を共にする場合、背中を撃って来る可能性のある上司を後ろに置いて戦う事になるという心構えをしておいて欲しい。
慈のそんな言葉に、テューマ達は思わず顔を見合わせる。
ヴァイルガリンを討った直後に、裏切りの刃を振るわれるかもしれないという警告に、ルイニエナが「なるほどな」と納得しているが、テューマは『まさか』という表情をしていた。
決起軍勢力を纏めていた武闘派魔族の、若族長のような野心溢れる御仁ならともかく、あの気さくで温厚な人柄のタルモナーハ族長が、簒奪と覇道なぞ望むだろうか、と。
「まあ俺の推察はあくまで俺から見て感じて思った事を中心に組み立てた推理だからな。実は本当に良い人で裏切り者じゃないかもしれないし、結果的に裏切ったけど他にどうしようもなかったとかの事情があったかもしれない」
慈が挙げた色々な行動の違和感も、様々な偶然やすれ違いを経て、偶々そのような状況が出来上がったのかもしれない。可能性は可能性でしかないのだ。
結局、その時が来るまで正解は分からない。
「……私の知ってるタルモナーハ様だと、いいなぁ」
そう呟いたテューマは、慈の推察を完全には受け入れられないが、否定も出来ないジレンマに呻いた。
そんな不安を抱えたまま、独立解放軍を率いる象徴の指導者であり、勇者部隊の一員としても最前列で行軍を続けるテューマに、カリブ達から連絡が届いたのは、その日の夜の事であった。
ヴァラヌス二世が寝そべる傍に張られた野営の天幕にて、報告を受けたテューマが昼間から翳らせたままの表情に困惑を加えながら慈とルイニエナに告げる。
「何か、私達と合流するのは、ヒルキエラの首都ソーマに突入した後になりそうだって」
彼等は現在、シェルニアの都を迂回してルーシェント地方を横断。別ルートからヒルキエラ国に向かっているらしい。
決起声明後に地下に潜ったタルモナーハ族長の本家、リドノヒ家と先に合流し、そちらの勢力から私兵を召集するとの事だそうな。
「なるほどな」
昼間に慈からタルモナーハ族長の裏切り者説を聞いていなければ、敵の本拠地という最も重要な場面で、かなり心強い援軍が期待できると喜べていた朗報だったのだが――
「タルモナーハ族長の背後に、本家が居るパターンも浮かんで来たか」
今となっては、より不信感を募らせる要素にしかならなかった。