第百二十九話:躍進
ルナタスの正門前に陣取った大型地竜が、自身の周りに散らばる骸の山に「なにこれ」というような雰囲気でゴルルと唸る。
そんな地竜ヴァラヌス二世の荷台から、杖鞘を翳して勇者の刃を放つ慈。斬撃となる光の線ではなく、帯状になった光の壁が防壁の向こうへ吸い込まれていく。
突剣が仕込まれているこの杖鞘で特に意識せず勇者の刃を放つと散弾状になってしまうので、しっかり構えて『横長の壁』を意識しながら放っている。
「……」
その光景を最も近い場所から眺めるルイニエナは、慈から聞かされていた過去の時代の戦いに思いを馳せた。
防壁の向こうでは、あの帯状の光を浴びた魔族兵達が訳も分からずバタバタ倒れ伏しているのだろう。
(彼と共に行動していた特別な神官達は、これを見て何を思った事だろう)
魔王討伐の旅の終わりには、父カラセオスも穏健派一族の仲間達と共に勇者シゲルと肩を並べて、ソーマ城の玉座の間でヴァイルガリンと対峙したと聞いた。
(私も、この戦いの終わりには、テューマ達と共に彼の隣に立っているのだろうか)
ルイニエナがそんな事を思っている間にも、勇者の刃による命の選別が進められていく。
慈の攻撃が続いている一方、態勢を立て直した決起軍勢力は後方で待機しながら、この窮地に駆けつけてくれた独立解放軍の戦いを見守っていた。
解放軍の指導者テューマが名乗りと共に大型地竜で戦場に乱入すると、戦場渡りの令嬢として一部で有名な現ジッテ家当主代理であるルイニエナ嬢が、まるで挑発とも取れるような降伏勧告。
それに対する返答とばかりに浴びせられた過縮爆裂魔弾の連撃や、劣化爆裂魔弾の大量投下爆撃をものともせず、噂の『勇者』と思しき人物が不思議な帯状の光を放ち始めてしばらく。
ルナタスの街側からは迎撃の動きも無くなり、遂に何の反応も見せなくなった。
この場での、戦いの終息を感じた決起軍勢力は、それぞれの部隊から代表者を出して正門前に集まっていく。
箱型の光に包まれている大型地竜の荷台を見上げた彼等は、地竜の手綱を握る斥候風の少女と戦場渡りの令嬢、それに白い魔槍を担ぐ独立解放軍の指導者テューマの姿を認めた。
そして彼女達の中心に立ち、街に向かって翳した杖から光の帯を放っている黒髪の少年を見る。決起軍の武装組織の中でも、『勇者』に関する情報を正確に掴んでいる勢力はあまり多くない。
優秀な諜報部隊を持つラギ族長のところだけは、ベセスホードでの出来事まで掴んでいたが、他は独立解放軍がパルマムを攻略した時の、『勇者を伴って魔族軍を退け、パルマムを解放した』という斥候班による喧伝を噂として拾っていたくらいだ。
やがて光の帯の放射を止めた『勇者』と思しき少年がテューマに何事か囁いて促すと、テューマは決起軍の代表者達に向かってルナタスの攻略達成を宣言する。
「恐らくこれで決着はついたと思う。これから皆で街に入り、諸々の事後処理を手伝って欲しい」
生き残っている魔族兵は敵対意思が無い者や、潜在的な味方なので攻撃しないようにと注意を促すテューマに、決起軍の代表者達は顔を見合わせると、詳しい説明を求めようとした。
そこへ、「ちょっと待ってくれ」と声が掛かる。
「我々の危機に馳せ参じてくれた事には感謝するが、勝手に仕切られては困る」
決起軍の各勢力を取り纏め、事実上全体の指揮を担っていた武闘派魔族、タイニス家のラギ族長が、テューマの指示出しに苦言を呈した。
「それに、敵軍には第一師団の精鋭部隊が入っている。表の部隊が片付いたからと言って、このまま街に入るのは危険だ」
ラギ族長は、言葉は丁重な物言いだが、『ここは俺の領分だ』とばかりに、威圧を込めた睨みを利かせる。
しかし、テューマはそんな圧力も意に介さず、堂々と言い放った。
「これは失礼した。しかし、この場での指揮権は私が預かります。ルナタスの敵軍は勇者シゲルが掃討したので御心配なく」
「っ……!」
ここで『勇者』の名を出して来た事に、ラギは舌打ちを飲み込む。退却にまで追い込まれた状況から一転、味方の窮地を救ったうえでルナタス攻略の勝利宣言。
それも、実際に戦いに参加したのは地竜一頭に納まるたった四人という少数で街の敵軍をも掃討したという、まるで御伽噺にある英雄譚のような成果だ。
決起軍の指揮を横から掻っ攫うなど、独立解放軍の指導者がここまで果敢な性格をしていた事は見誤っていた。
「……では貴殿に任せよう。我々は独立解放軍の傘下に入る」
この現状であまりごねても自分の株を下げてしまうだけだと判断したラギは、一旦引き下がった。そっと寄って来た側近が「よろしいのですか?」と耳打ちする。
(あのフラーグ将軍の精鋭支援大隊や遊撃歩兵小隊が、簡単に殲滅されるとは思えませんが)
(分かっている。危険だが、動くなら街に入って実際に状況を見定めてから――)
そう小声で話しながら、解放軍指導者テューマの隣に立つ件の『勇者シゲル』に視線を向けた時、ふいにその少年と目が合った。
――瞬間、ラギの背中に悪寒が走った。
「ラギ様?」
「……何でもない。行くぞ」
テューマのルナタス攻略宣言から間もなく。正門が開かれ、独立解放軍の勇者部隊に指揮部隊、決起軍の武闘派勢力、穏健派勢力、人間のレジスタンス勢力の部隊がそれぞれ街に入った。
ラギ達タイニス家一族が中心となって始めた筈のルナタス攻略戦だが、今や主導権は独立解放軍が握っている。
その事に臍を噛む思いだったラギも、街中の異様な光景に言葉を失っていた。
大きな街が攻め落とされ、これだけの軍勢が街入りしたにも関わらず、騒ぎや混乱は一切起きていない。略奪なども無く、住民達は皆建物の中で息を潜めている。
そして街中のいたるところに、敵軍側の魔族兵の死体が無造作に転がっていた。いずれの死体にもこれといった傷はみられず、ただ眠るように死んでいるのだ。
(なんだ、これは……奴は一体、なにをしたんだ……)
ラギは、勇者の戦い方と力がさっぱり分からなかった。ラギから見た『勇者シゲル』の印象はどう見ても素人で、勇猛さの欠片もない。
にも拘わらず、歴戦の戦士が持つ独特の空気――得体のしれない『凄み』だけが深く漂う。
一般人としか感じられないほど気配を抑えているのかと思えば、別にそういう訳ではなさそうで、流出した勇者に関する『基本的に異世界の庶民で戦いの素人』という情報ともある意味合致する。
この世の摂理を超える力を与えられて召喚された勇者とは、こういうチグハグな存在なのであろう事も理解できる。しかし、あの一瞬目が合った時に気圧された『凄み』だけは納得がいかない。
そう思っていたのだが――
(あの光の帯で殺したのか? 今までにどれだけの敵を屠って来たんだ?)
ラギも先の戦争時代には大きな戦いの舞台にこそ恵まれなかったが、バルダーム周辺で偵察遊撃部隊を率いて活動し、幾つもの敵性勢力を打ち破った。
戦場で数十人規模を相手に単独で大立ち回りをした事もある。雑兵や取るに足らない盗賊の類も合わせれば、ラギ個人のキルスコアは軽く千人は超えているだろう。
なのに、あの勇者から醸し出される『凄み』には到底及ばないという感覚。
ラギ自身がそれなりの強者であるが故に、あの勇者が飲み込んで来た命の数や、背負っている業の深さに、己のそれが全く届いていないと感じとれた。
そして、その感覚が正しく事実であると、眼前の光景が示している。
ルナタスに駐留する魔族軍の司令部では、第一師団のフラーグ将軍を始め、各部隊の指揮官達が、作戦会議室の長テーブルに突っ伏して死んでいた。会議の途中だったのかもしれない。
精鋭部隊を率いる名立たる将軍も、地方都市を預かる熟練の無名指揮官も、有象無象の兵士達も、皆分け隔てなく同じように死んでいた。
つまり、この光景は同じ人物の手によって起こされたものなのだ。
武闘派魔族であるタイニス家一族は力の信望者であり、ラギの性質も力こそ正義を地で行く者。
覆しようのない力の差を見せつけられ、すっかり顔色を失くしたラギは、自分の中の野心が急速に萎んでいくのを感じた。
そんな彼の様子を静かに観察していた斥候スタイルの側近が、そっと身を寄せる。族長が折れた際、直ちに倒れてしまわないよう支え助けるのも彼女の役割である。
「ノノ、俺は駄目かもしれねぇ……」
「時期を見定めましょう、ラギ様。立つ機会はまたあります」
決起軍の各部隊の協力により、ルナタスの掌握と街中の片付けは順調に進んだ。全軍を取りまとめる立場となった独立解放軍の勇者部隊と指揮部隊。
テューマはまず、『その光に触れると不届き者は死ぬ』と喧伝して勇者の威光をフル活用しながら街全体の治安維持を図り、投降する魔族軍兵士の受け入れ準備を整えた。
戦場に乱入して序盤でかましたルイニエナの降伏勧告は、実は結構効いていたようで、予想よりも多くの魔族軍兵士が勇者の刃による選別を生き残っていた。
ルナタスの軍施設の一画に武装解除した魔族軍兵士達がぞろぞろと列を成し、所属や希望などを確認されてそれぞれの行き先に振り分けられる。
独立解放軍や決起軍に入る事を希望した者は面接と身体測定をおこなう建物へ。それ以外の者は健康診断を受けた後、収容施設へ。そこで能力に応じて様々な労働に従事する事になる。
ここでの入隊希望者も、慈の勇者の刃で敵味方の選別をするので、安全確実に味方の戦力を増やせる。
「それはそれでまた、テューマがヘロヘロになって机に突っ伏す未来が見えそうだが」
「が、頑張るから、シゲル達も手伝ってね?」
大きな損害も出さず決起軍との合流を果たし、戦力の大幅増強も見込めそうな現状は踏ん張りどころでもあった。