第百四話:遅れ過ぎた勇者
「さて、どうしたもんかね」
元の世界に還る途中で最初に召喚された場所に落ちてしまった慈は、瓦礫しかない廃都の聖域跡を見渡して独り言ちる。
ここの空気は相変わらず澱んでおり、魔王ヴァイルガリンが世界中に放っている魔物や魔獣を強化する魔力に覆われているのを実感する。
(この時間軸だと、異形化兵みたいな改造生命体は造られてないのかな?)
そんな事を思いながら足元に散らばる襤褸切れを集めて拾い上げた慈は、それらをそっと懐に仕舞った。
老いた六神官達の、形見の品だ。廃都のどこかマシな場所に埋葬しようかと立ち上がった慈は、コツリという足音と人の気配に振り返る。
「え……」
「お?」
積み上がった神殿の残骸。瓦礫の山の上に現れたのは、黒地に赤いラインが走る厳しくも豪奢なデザインの甲冑を身に纏った、銀髪の若い女性だった。
「な、何者だ! ここで何をしているっ」
初め、ポカンと呆けた表情を見せた女性は、はっと我に返ると油断なく慈を見据えて誰何する。
「ああ、俺は勇者慈。この世界はスルーする筈だったんだけど、手違いがあって戻って来たんだ」
「は……はぁ?」
慈の自己紹介に、戸惑いの眼差しを向ける魔族の将官らしき女性。勇者を名乗ったが後に続いた言葉の意味が分からないと困惑している。
その警戒心も混じる困ったような表情に、慈は既視感を覚えた。どこかで見た事があるような気がするのだ。
しかし、この世界と時間軸に知り合いなど居ない筈――と、そこまで考えて気が付いた。
「ん~~……? なあ、もしかして――」
かつて人類最後の砦とされていた南の大国オーヴィスの聖都サイエスガウル。
今は廃墟と化した聖都跡で、徘徊させていた魔物の斥候や魔獣が次々討伐されているとの報告が上がり、人類側の切り札『勇者召喚』が行われた可能性があるとして征伐軍が派遣された。
それから数か月。勇者は見つからなかったが、廃都中の魔物や魔獣が全滅していた事を受け、この瓦礫しか残っていない聖都跡に勇者捜索の任務で今なお駐留している部隊があった。
もし件の勇者とやらが実在していれば非常に危険であり、居なければ居ないで何もない瓦礫の街を只管警邏して過ごす日々が続く、徘徊魔獣のような虚しい任務。
魔族軍の兵達からは今や左遷部隊とも揶揄される貧乏くじ扱いの駐留征伐隊。
そんな部隊に所属するルイニエナは、日課の瓦礫見回りの最中に不審な魔力の揺らぎを感じて、その場所を調べに大神殿跡までやって来た。
そしてそこで、人族らしき見知らぬ少年を見つけた。
何かを拾っていたので瓦礫漁りをしているのかと思ったが、この廃都にまともな物資など残ってはいない。
そもそも勇者騒動で魔族軍が来るまでは、強化魔獣が徘徊する人の住めない土地だったのだ。見つけた少年は身形も小奇麗で、とても廃墟に住み着いている浮浪児の類には見えない。
とすれば件の勇者かと身構えて誰何したルイニエナに、その少年はあっさりと自身が勇者である事を名乗った。
が、続けて告げられた「手違いで戻って来た」の意味が分からず、ルイニエナは困惑する。
最初の征伐軍が到着した時は、ここを脱出して何処かに潜んでいたという事なのだろうかと、戸惑いの視線を向けていると、『勇者シゲル』を名乗った少年は何かに気付くように言った。
「――あんた、ルイニエナの親類だったりする?」
「……っ」
慈の問い掛けに、甲冑の銀髪女性は分かりやすく動揺を見せた。
「ど、どうして私の名を……っ」
「あ、本人だったか。つーか特別救護隊と名誉兵長はどうなったんだ」
「!っ な、なぜそれを……いや、そもそも異界の勇者が何でそんな昔の話を……え? からかわれてる? 勇者のふりをした同胞の悪戯? でも、魔族の気配じゃないし……」
混乱してぐるぐる目になりながらぶつぶつ言っているルイニエナ。彼女のそんな様子を見た慈は、少し気持ちが軽くなった気がした。
見た目はシスティーナよりやや若いくらいの大人の女性になっているが、中身は慈も良く知っている五十年前の彼女とあまり変わりはないように思える。
知り合い(慈の方から一方的にだが)に会えて心にも余裕が出来た慈は、この世界の現状について情報を得るべく、彼女から話を聞こうとしたその時――
「ルゥ~~イィ~~~?」
ねっとりと絡みつくような、それでいて甲高い声が響いて、ルイニエナが立っている瓦礫の向こうから新たな人影が現れた。
ルイニエナと同じく黒地に赤いラインの入った甲冑を纏う、魔族の将官っぽい白髪ツインテールの少女。
ただし、こちらの甲冑はルイニエナのものと比べて装甲や布面積が狭く露出度が高い、ビキニアーマーのようなタイプだ。腰には歪に捻じれた杖っぽい得物を提げている。
ふむ、とじっくり観察する慈。
「ファーナ……」
「なぁにぃ? サボってるのかと思ったらぁ、逢い引きかしらぁ?」
「ち、違う! 怪しい気配を感じて様子を見に来たら彼が――」
ファーナと呼んだ白髪ツイン少女に対して、ルイニエナはどこか苦手そうな雰囲気を醸し出している。まるで嫌悪感を押し殺しながら対話しているようだ。
「それでぇ? その人間が探してた勇者ですってぇ?」
「……当人が、そう名乗った」
階級章のようなものが見当たらないのでどちらが上司で部下なのか分からないが、会話の様子からして二人は同格なのかもしれない。
慈が彼女達を観察しながらそんな分析をしていると、ファーナが値踏みするような視線を向けながら言う。
「へぇ~、ほんとに居たんだぁ?」
そして珍しいものでも見物するかの如く、覗き込むような仕草をしながら慈の回りを半周して背後に移動する。丁度ルイニエナと挟み込む様な位置だ。
「う~ん、今更こんな貧相な人間一人殺してもねぇ。退屈だから叛徒共に合流させようかしら」
立てた人差し指を頬に当てつつ、こてんと小首を傾げながら「腕の一本でも捥いでおけば復讐に駆られるかな?」などと不穏な事を口走っているファーナ。
「我々の任務は勇者の捕獲か討伐だ。勝手な行動は慎みなさい」
同僚の登場で混乱の海から立ち直ったらしいルイニエナは、その同僚の不用意な発言に注意をしつつ慈に警戒を向けている。
「あたしに指図する気ぃ~? 『屍公』の娘が偉くなったものねぇ」
「父を侮辱するな!」
「あ~らぁ、『屍公』で通じるのねぇ。きゃはっ! あのミイラもそろそろ埋葬してあげたらぁ?」
慈を間に挟んだ状態で何やら詰ったり煽られたりして睨み合っている二人。あまり仲は良くなさそうだ。
さておき、ルイニエナが「父」と呼ぶからには『屍公』とはカラセオスの事だろうかと推察した慈は、空気を読まずに問い掛ける。
「なあ、もしかしてカラセオスさん死んでるのか?」
「死んでなどいない!」
思わずそう叫んでから、ルイニエナは違和感を抱く。
(あれ? 彼はどうして父上の名を……さっきも私の名前を知っていたし――)
本当に異世界から召喚された勇者なのか? 勇者とはそういうものなのか? と再び疑問と混乱の海に思考が囚われるルイニエナ。
一方、そんな彼女をからかって遊んでいたファーナは、慈に脅し文句を無視されてつまらなそうに鼻を鳴らすと――
「まあいっか。さっさと殺して魔王様にご褒美もらっちゃお」
そう言って腰に提げている得物をしゅるりと抜いた。捻じれた杖っぽい外見の鞘から現れたのは、鋭い針のような刀身の突剣だった。
「じゃあまずはぁ、逃げられないように脚もらうね?」
ファーナが立っていた足元の瓦礫が弾け飛び、その姿がブレる。瞬時に慈の真後ろまで接近した彼女は、そのまま横薙ぎに斬り付けた。
しかし、勇者の刃の膜を纏っている慈の身体には傷はつかず、武器の先端が消失した。
「!?」
予想外の結果に目を瞠ったファーナは、接近した時と同様に一瞬で距離を取る。そして三分の一ほど削られてしまった得物を一瞥すると、ニヤリとした嗜虐的な笑みを浮かべた。
「へえ、少しはやるんだぁ?」
削れた突剣を鞘に納めるや否や、ファーナの魔力がぶわりと膨れ上がったかと思うと、捻じれた杖っぽい鞘を翳して魔力の塊を発現させた。
外見だけでなく、魔法杖としての機能もあるようだ。
ファーナが放った魔法は、ソーマ城の玉座の間で何度も見た過縮爆裂魔弾のミニチュア版のような爆裂系の攻撃魔法だった。
付近一帯が激しい爆発に飲み込まれる。
「きゃあ!」
その爆風は近くに居たルイニエナまで巻き込み、瓦礫の山もろとも吹き飛ばした。やがて土煙が晴れると、抉れた地面の上に無傷で立つ慈の姿。
少し離れたところにはルイニエナが倒れている。起き上がろうとしているのか、もぞもぞ動いているので大きな怪我は無いようだ。どうやら位置的に慈が盾になったらしい。
「あれ~? これも防いじゃうんだ? おもしろ~い」
それを見てケラケラと笑っているファーナに、慈は少し眉を顰めながら言った。
「お前、さっきから嫌な感じするな。ルイニエナ巻き込んだのワザとだろ」
「あはっ、わかるぅ?」
ファーナは悪びれる様子もなくあっけらかんと言い放つ。
「いい加減、目障りなのよねぇ……あの家格だけで特別扱いされてるミイラも、その娘も」
五十年前の征服戦争から大した活躍もしてない癖にと悪態を吐くファーナは、再び杖鞘を構えて魔力の塊を練り上げる。
その視線の先には、未だ立ち上がれないでいるルイニエナの背中。
「捜索中の勇者と遭遇して交戦、名誉の戦死なんていいと思わない?」
「はぁ……相変わらず不遇と言うか、過去でも未来でも味方に命狙われてるのな」
「?」
慈の溜め息交じりな呟きに、ファーナは小首を傾げる。
「お前みたいなのを野放しにしてると、後々くっそ面倒な事になりそうだ」
「ふぅん? じゃあどうする?」
ニイィと、牙でも見えそうな笑みを見せるファーナに、慈は淡々と言い放った。
「悪いが、消えて貰う」
「あははっ やってみ――」
ジュッ
笑いながら杖鞘を振り上げたファーナは、慈から発生した光に飲まれて魔力の塊諸共消失した。ガランと音を立てて転がる、歪に捻じれた杖鞘と、ビキニアーマーっぽい黒地に赤ラインの甲冑。
「……え?」
同じ部隊だったのは嫌がらせの配属か、何かと絡んで来る事の多かった因縁の相手が、あっさり消されてしまう瞬間を目撃したルイニエナは、呆然とした表情で座り込んだまま慈を見上げた。
「さーて、これからどうしたもんかなー」
何とか還る手立てを考えなければならない。
とりあえずファーナの杖鞘を拾って武装した慈は、ルイニエナに向き直ると、まずは直近の情勢について聞き出す事にしたのだった。