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魔女の子

作者: odayaka

 彼女が何故、そこまで強力な力を持つに至ったのか、その経緯について、僕は何も知らない。

 僕が生まれた頃には、既に彼女は魔女であったし、人が足を踏み入れない険しい山の奥深くに暮らし、外界との接触を断っているようだった。そのことで何か不自由にしている様子は見受けられなかったし、実際、彼女は孤独を好んでいるように見えた。

 果たして、僕を拾い、育てようと思ったのは、また、何故なのか。

 それも、恐らくは気まぐれに過ぎないのだろう。




 山の上から冷たい風が吹き降りてくる。黄金の穂は、その風に強かに打ち付けられ、潰れて砕ける。人間は自然の猛威に抗うことが出来ないまま、それをじっと見つめるばかりだ。

 豊かな土地ではない。そもそも、各々が生まれてきた集落からつまはじきにされてきたような者たちばかりだったから、まともな土地など持てる筈がなかった。国は最低限の支援しか送らず、開拓民は、ただ、その日を何とか生き抜くので精いっぱい。そんな中で生まれた子供は、単なる労働力以外の何物でもないし、それにもなれないものは、無残にも打ち捨てられる運命だった。

 僕の妹が捨てられたのは、数年に一度訪れる飢饉の年のことだった。朝早く起きて、夜遅く寝る。雑用仕事で酷使された肉体が悲鳴をあげ、碌に食べ物も与えられない為に、痩せ細った腹が激しく鳴る――それも慣れてしまえば当たり前のことで、かじかんだ手を擦りつけながら、真っ暗闇の中で横たわり、かさついた毛布と妹を抱きしめて、暖を取り、眠る。

 両親は既に死去していた。僅かな土地は、彼らが死んだ時に、何とも理不尽なやりとりの末に奪われていた――僕らは親類を名乗る人々の小作人をすることで、生き長らえている。何とか、生かされている。暴力を振るわれることなどは日常茶飯事だった。生きるよりも、死ぬことを、望まれている節さえ、あった。

 土地さえ奪えてしまえば、僕らの存在価値などはどこにもなかったのだろうことに僕が気づいたのは、いとも簡単に妹が山の中に捨てられたその時だった。妹はまだ物心もつかない頃だ。家に帰った僕が、甘ったれた声をあげる彼女に気づいたのは、彼女が間違いなく、僕の生きる理由に他ならなかったからだった。

 馬小屋から出、親戚夫婦の住む家の戸を激しく打ち鳴らすと、彼らは酷く面倒な顔をして、僕を睨み、履き捨てるように、『妹なら山の中へ捨てた。無駄飯食らいは要らん』と呟き、僕を蹴倒した。

 閉められた戸は彼らの態度そのものだった。何も言うべき言葉などは持ちえないし、開かれることはない。僕はまき割り用の斧を持って、その戸を激しく殴打した。戸はすぐに開かれた。はっきりとした怒りの感情を露わにした男が、怒号と共に僕を睨みつけ、僕のその手の中の、切れ味が良いとはお世辞にも言えない斧に視線を向け、幾度か口を開閉させ、その場に尻もちをついた。


 掌をこちらに向け、よせ、と彼は言う。やめてくれ、と彼は言う。僕は頭を振った。

 戸を壊すためだけに手にした筈の斧を握る手に力を込めた。



 物言わぬ躯は静かに家の中に転がっていた。彼らは口ぐちに呪いの言葉を吐き捨てた。その前には、自分だけは助かりたい、助けてくれ、助からねばならない、と無数の理由を口にした。

 妹を山の中の捨てたことに関する贖罪の言葉は何一つとしてなかった。

 唯、『恩知らず』の捨て台詞だけが、妙に頭に残った。『人殺し』の言葉と、共にだ。


 まだ10歳にも満たない僕にも、この行為が、自分の身の破滅を意味することは十分分かっていた。けれども、この暮らしを続けることが出来ないこともまた、分かっていた。

 庇護者のいない子供ほど弱いものはない。まして、人殺しなど。遠方の官吏に引き渡され、惨い罰を受けて死ぬのだろう。その前にどれだけ痛めつけられるか解ったものではない。寒村の人間は、弱い者には残酷な割に、結びつきは強かった。それは、互いに裏切らないようにする為の、酷く後ろ向きな理由からの繋がりではあったが、だからこそ、余計に頑強に縛られているのかもしれない。

 僕は家の中から、金になりそうなものを探した。金になりそうで、子供の僕が逃げるのに邪魔にならないものを――僅かな飾りのついたナイフ、無数の銀貨。女の持っていた金飾りのついた簪――。探せば、もっとあったのかもしれない。いや、なかったろう。気が急いていた。早くこの家から抜け出して、逃げ出さなければならない。妹も、迎えに行かなければ。



 そう妹を――僕は山に向かって走った。山はそう簡単に人に恵みをくれるようなところではなかったけれど、それでも、僕は何とかこの山の中に入らされた。燃料となる小枝はそれでも無数にあったし、季節によっては、山菜も取れた。それも、ごくわずかだったが。山は息絶えかけた獣のように生気が失せていて、虫や鳥や獣の鳴き声は滅多に聞こえるものではなかった。水の流れさえも、聞こえなかった。外から見た山は、そこまでの標高もない筈なのに、中腹辺りからいつも白く染まっている。雪の精霊が住んでいるのだろう、と村人が子供に話しているのを聞いたことが有る。彼らは苦々しい顔をしていた。そんなものさえ住んでいなければ、もっと、ましな暮らしが出来るのでは? と、考えていたに違いない。


 妹はどこにいるのだろう。

 僕は期待を不安が綯交ぜになった胸を抑え、駆け回った。彼女の名を呼んだ。返事は無かった。あの連中は、妹を捨てた、と言った。それならば、妹は村に帰れるような場所には置いてはいまい――。

 まさか。高さのある崖を見る度に見下ろしてみた。妹の亡骸は見当たらない。けれども、そうしようと思えば、どこにでも、そんなところがある。入ってすぐの場所で、彼女を殺したとしても、何ら不思議なことは無かった。

 それでも、捨てた、と言った。殺した、とは言っていない。自分の手を汚すことを躊躇ったのだ。

 溢れ出る涙が止まらなかった。いや、それと気づいたのは、山の中で、立ち止まった時だ。不安は常に胸の中に渦巻いていた。喉から血が出、口中は鉄の味で染まっていた。妹は死んでいるのだろう、そんなどうしようもなく不吉な確信は、あの小さな馬小屋を出た時からあった。親類の夫婦を殺した時には、何もかもを諦めていた。俺は一人になったのだ、と思わざるを得なかった。

 それでも、一縷の望みに賭け、山の中を探し回っている。何と言う不毛なことだろう。こんな山の中から妹を探そうだなんて。まして、彼女はまだ幼く、弱い。獣に抗う術も持ちえない。打ち捨てたあの連中も、殺さなかっただけで、彼女を痛めつけない理由などはどこにもないのだ。もしも無残な彼女の死骸を見つけてしまったら、僕はとても生きて行こうなどとは思えないだろう。


 山の中を只管歩いていく。獣が作った足場を頼りに歩いていくばかりだ。足を前に出す気力が失せていく。既に諦めていた。妹のことも、僕自身の未来も。何かの弾みで足を滑らせ、激しい傾斜の山を転がり落ちることが出来れば、それでも生きようとする自分を殺すことが出来るのではないか?



 溜息が白色に染まり、周囲もまた、凍えるような冷たさの雪に覆われる頃、それは現れた。

 二つの大きな角を持った鹿に似た獣だった。絶対的に違うのは、その毛皮の色が銀色であることと、首が痛くなるほど見上げなければならない巨大さだった。


 出逢った僕に、それは甲高い声をぶつけてきた。怯んだ僕に向い、恐ろしい勢いで突進してくる。疲れ果てた僕に、それを避ける力は無かった。もう既に、山を登る力さえ、残ってはいなかった。まして、村人たちから逃れ、新しい土地で生きるなど、埒外の事だった。

 その足に強かに体を撥ね飛ばされた僕の意識は一瞬で刈られた。痛みはなかった。












 「兄ちゃん、兄ちゃん」


 声が聞こえた。この世で唯一、自分を人間として扱ってくれる人の声だった。

 目を覚ます。白色のシーツが眩く輝いて見える。生まれてから感じたこともない柔らかい感触が、身体を包み込んでいる。そこはベッドの中だった。清潔で、暖かで、軽い。呼びかけた声はベッドの傍らに見えた。妹の姿が、そこにあった。


 「…」


 現実感がなかった。周囲を見渡す。見たこともない部屋だった。いや、それが家の中なのだと言うことさえ、理解しがたいものがある。大理石の床、壁、調度品の類はなかった。さっきまで僕が眠り、今腰掛けている位ベッドしか部屋の中には置かれてはいない。大きな窓を覆い隠すように紺色のカーテンが広げられ、ぱたぱたと風を受け止めている。僕は周囲を眺めた後、また、妹に視線を向けた。彼女の呼びかけに応えてはいなかった。動揺に泣き出しそうになって、思わず、彼女を抱きしめる。


 「兄ちゃん…」


 すりすり、と彼女は頬を僕の胸に擦り付ける。しばし、僕らはそうしていたが、そっと彼女は僕から離れた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、僕の服に擦りつけた後に―ーそう言えば、着ている服さえ変わっていた。肌触りの良い生地だった。


 「ここは、どこだ?」


 尋ねると、彼女は、一言だけ答えた。


 「魔女のお姉ちゃんの家だよ」

 「魔女のお姉ちゃん?」


 妹の言葉は童話の中の話のようだった。

 山の中に連れ出された妹は、山菜を採取してくるように命じられ、周囲を探し回っていた。

 けれども、彼女は、自分と訪れたことはあっても、一人で来たことはない。どれが食用に適した山菜なのか解らない。(そもそも、今の季節に食用の山菜などは採れないのだが)

 とにかく、探してこなければまた何を言われ、何をされるのか解ったものではない。怯えた彼女は山の奥深くに入っていくと、そこで、不思議な女にであったそうだ。

 この世のものとは思えない程、美しい赤い瞳の女。



 「赤い瞳の、女?」

 「うん。それが、魔女のお姉ちゃんだった」


 どうやら、彼女は、妹が捨てられた子であると気づいたらしい。この山の中には、飢饉の度に誰かが捨てられる。精神に異常を来した者、年老いて動くことも儘ならなくなった老人、そして、妹のように、誰からも見放された子供――。


 「生きている人間に出会うのは久しぶりだ、って笑ってた」


 どうやら、その女の真似をしているのだろう。しどけない女の姿が浮かんで来た。妹の声には、まるで悪印象は感じられない。優しい女だったのだろう。妹には、死んだ両親との記憶はほぼない。優しくされたことなどは、兄の自分以外からは無い筈だった。

 人の好意ほど判別の難しいものは無かった。それでも――余程の金持ちなのだろう。こんな家に住むほどなのだから。魔女と言う言葉に偽りはないのかもしれない。


 「魔女って、魔王ってことだよね、兄ちゃん」


 妹が、目を輝かせて、僕に尋ねた。僕は頷いた。死んだ両親が語った話を思い出す。お伽噺のストーリー――。人々の夢を叶える魔法使いの話。そんな魔法使いたちの中でも、世界を変えるほどの力を持つ男の魔法使いが魔王。女の魔法使いが魔女。

 両親は楽しげに語って見せていた。夢を見るように語って見せていた。どうして、そんな魔法使いたちが世の中にはいるのに、僕らはこんなに貧しいのだろう? 疑問は口に出せなかった。その言葉を口にした途端、後悔をしそうな気がした。

 両親が死んだ後は、僕が彼女にお伽噺を読み聞かせた。勇者が悪しき魔王を倒す、優しき魔王が狂った勇者を倒す――話は様々に形を変えた。僕は魔女を出演させることはなかった。単純に言って、面倒だったからなのだけれど、だから、彼女は、魔女をそのまま、直結した存在として認識することはなく、『女の魔王が魔女』と口にした。そして、その認識の僅かなブレは、僕の中にあったそのままのことだった。


 「お礼を言わないとな」


 ともかく。僕は腰かけていたベッドから降りた。

 そして、ここから出なくてはならないと思った。どうやら、魔女とやらは良い人らしい。良い人を巻き込むわけにはいかない。

 僕は人殺しになってしまったのだから。

 妹をここに置いてもらうことは出来ないだろうか――そんなことを考えて、妹に声を掛けようとしたところで、


 「必要ないさ。礼なんて」


 ――まるで氷のように冷たい、それでいて優しい声が、部屋の中に響いた。

 声の方を向く、と、そこには、この世のものとは思えない程美しい存在があった。

 銀色の髪は馬の尻尾のように束ねられ、腰まで長く伸びている。鋭く細い切れ長の目、主張の激しすぎない細い鼻、小さな唇。雪のように白色の肌。大きく盛り上がった胸――。と、そこまで視線を向けたところで、女の視線が、やや、冷たくなっていく。


 「む。まだ子供だと思っていたが、欲情するような年齢だったか」

 「…よくじょう?」


 良く分からないことを言った後、彼女は胸を隠すように腕を交差させ、自分の身体を抱きしめる仕草をした後で、天井を仰ぎ見た。


 「あれかな。やはり、私の美しさが悪いのだろうか。こんな小さな子供さえも勃起させてしまう美の化身のような自分が悲しい」

 「…ぼっき?」


 何か妙なことを口走る人だった。これが例の魔女なのだろうか? と、妹に視線を向けると、彼女は困ったような目を返してきた。何とも判断がつかないところだが、さもありなん。とりあえず、僕は、魔女?に声を掛けることにした。


 「あの、礼は要らない、ということでしたが」

 「うむ。礼など要らん。ただ、拾っただけだからな」

 「はあ…。あの、それでも、妹にしても、僕にしても、命の恩人ですし」

 「命の恩人か。確かにそうだな。では、一生感謝してくれたまえ」


 何か話をしていても、噛み合っているんだかないんだか解らない。

 とりあえず、変人であることは間違いないようである。

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