三日目 後
詐欺師の用意したボイスレコーダーを意識しながら、殺人鬼は再度全てを教えて欲しいのですと言った。
殺人鬼の雰囲気が変質した事によって岬大五郎が理由も分からずに動揺する。
殺人鬼の目に映っている岬大五郎は最早取材対象でしかない。
「全て、と言われましても」
何から話せばいいのやらと岬大五郎は困惑する。
殺人鬼は、魚岩少年との出会いはどんな状況でしたかと淡々とした声で尋ねた。
「出会いは部活動を通じてですね。私は登山部の顧問でして、魚岩君は部員の一人でした」
そこまで言って、岬大五郎は唾液を渇いた喉へと送り込んだ。
その間殺人鬼は感情の見えない目で岬大五郎を注視していた。
岬大五郎を観察する意思以外の意図は無いその視線は、岬大五郎によって勝手に続きを促す物として解釈される。
「魚岩君達は登山部最後の部員で、部員は魚岩君を含めて五人……五人でした。まあ、活動の殆ど無い部活でしたが。実際の登山は年に一度近くの山へのハイキングと言った感じで……魚岩君は真面目に活動していましたよ、真面目に。……こんな話は関係無いですよね?」
居心地が悪そうな岬大五郎を、殺人鬼は無言で注視し続ける。
殺人鬼は一連の話に対して強烈な違和感を覚えていた。
それはこの話題を続ける事を岬大五郎が忌避している事を確信させたが、殺人鬼はそこを追及したいと言う欲望を理性で抑え付けた。
自分の快楽よりも情報の方が貴重であった。
長年行って来た後先考えない取材は、少なくとも現状では不適当であると理性は判断していた。
「私が、魚岩君を支援するのは彼の境遇にもその理由があるのです」
境遇にも、と殺人鬼は岬大五郎に聞こえない様にそのフレーズを復唱した。
詐欺師が意味有り気な視線を殺人鬼へと向けた。
「御存知でしょうけれども、魚岩君の家庭環境は複雑です」
ここに来るまでに簡単にではあるが詐欺師から聞いたと、殺人鬼は心の中だけで返事した。
「実の父親が実の母親を殺した。当時のマスコミは魚岩君が殺人犯の子供である事を大きく報道していましたが、彼は同時に殺人の被害者遺族でもあるのです」
持ち直したなと、殺人鬼は先程岬大五郎を欲望のままに追及しなかった事を少しだけ後悔した。
そしてこんな真面目に話を聞くのは性に合わないとも思った。
挑発したい。罵りたい。そんな感情がふつふつと湧き出て来る。
「そして魚岩君は頻繁に父親に面会していた様です。恐らく唯一の肉親でしたので、複雑な感情があったのでしょう。でも、その父親も高校三年の春に病死してしまい、以降魚岩君は天涯孤独となってしまいました」
だから私達は魚岩少年を支えたのですと、岬大五郎は殊更強調する様に言い切った。
私達とはと、殺人鬼は詐欺師の方を見た。
「魚岩さんの支援団体は卒業年度の登山部のOBで組織されているのよ。岬先生を含めた三人で組織される小規模な団体なの」
殺人鬼は疑問符を視線で表現した。
同時に先程感じた違和感の正体に思い至る。
五人でしたと、殺人鬼が平坦な声で呟くと岬大五郎の視線が僅かに泳いだ。
部員の人数が過去形であることは文脈上問題無いのだが、形容し難い違和感がそこにあったのだ。
「一人、死亡してしまった部員がいたもので」
沈痛な沈黙が降りた。意図的に岬大五郎が降ろした。
恐らく部活動中の死亡事故だろうと殺人鬼は直感的にそう思った。
事故の詳細を聞くべきか、それとも両親の事について聞くべきか、或いは魚岩省吾の卒業後を聞くべきか、殺人鬼は沈黙の最中にそれを考えていた。
結論が出る前に岬大五郎が沈黙に耐え切れずに口を開いた。
「正直な所、私が知る魚岩君のエピソードは在学中の事だけなんです。卒業後、逮捕されるまでの事は開耶君が詳しいので、彼から聞いてもらった方がいいと思います」
言い訳がましいその言い方にまたタイミングを逃したと殺人鬼は浅く溜息を吐いた。
その溜息の意味を邪推した岬大五郎は僅かに動揺し、しかし言葉にはしなかった。
何を聞くべきか、殺人鬼がそれを考えていると詐欺師が口を開いた。
「正直な所、魚岩さんは岬先生の支援を拒絶していたの」
詐欺師が困った様な顔を作ってそう言った。
「それでも岬先生達、は献身的に支援活動を行っていました」
達。
その二文字の発音に妙なニュアンスが込められていた。
要するに情報源は一つでは無いと言う事だと、殺人鬼は詐欺師の発言に込められた意図をそう判断した。
死んだ部員の話は他からでも聞けるのなら今追求する必要は無いと判断し、殺人鬼はサクヤ君に関する情報を求めた。
「サクヤさんは開くと言う時に耳偏におおざとの耶と書いてサクヤと読みます」
そう言われて送付された資料に記載されていたもう一人の人物だと言う事に殺人鬼は気が付いた。
あれはサクヤと読むのかと殺人鬼は視線で詐欺師に言った。
「親友だった様です。魚岩君を登山部に誘ったのも開耶君で、部員の中では唯一卒業後も深い交流があった様です」
岬大五郎のその言葉に殺人鬼は正体不明の感情を感じた。
「魚岩さんに対する支援団体の実質的な発起人でもあるのよ、開耶さんは」
詐欺師がそんな事を言う。
恐らく詐欺師が開耶少年を詐欺師が焚き付けたのだろうと殺人鬼はそう思った。
「私達は魚岩君が人を殺せるような人間では無いと思っています。もし、仮に何らかの過失で人を殺してしまったとしても、その事に耐えられる様な人間では無いのです。実際山田君が――」
言葉が途切れた。
熱っぽく語り掛けていた岬大五郎の顔が、冷えていた。
「魚岩少年は、優しい子です」
岬大五郎は強引にその話題を終わらせる。
その表情はひたすら硬く、そして殺人鬼はそんな表情を知っていた。
それは脅しても罵っても話が聞けない相手の表情であった。
殺人鬼は失敗していない。ただ、岬大五郎が勝手に失態を演じたのだ。
忌々しい馬鹿だと殺人鬼は視線に侮蔑を滲ませて、即座にそれを無感情の底に隠した。
同時にやる気も失った。
殺人鬼の予想に違えずその後の取材は参考になる物では無かった。
当たり障りのない魚岩少年のエピソードをしどろもどろになりながらも熱っぽく語られて、岬大五郎に対する取材は終わった。
無性に疲れた。殺人鬼の心は疲労感に染め上げられていた。
「どう思った?」
帰りの車の中で詐欺師は極悪人の笑みを浮かべてそう尋ねた。
「死んだ部員ってどんな奴だったんだ?」
殺人鬼は疑問をそのまま詐欺師に投げ付けた。
「さあね。その事にはあまり触れて欲しくないみたいで直接話は聞けなかったからね」
ちょっと脅したい時やはぐらかしたいには有効な話題だったけどねと、詐欺師は笑った。
「軽く調べた限りでは滑落による事故死。事件性は無しと判断されて岬大五郎には僅かな減給処分が下されてるね」
当時の詐欺師はそれを詳しく調べる予定はあった。何故ならお金の匂いがしたからだ。
それでも十分に利益が出ている状態で不用意に藪を突く必要も感じず、状況が変化した際に調べようと思っていたのだと詐欺師は釈明した。
「詳しく調べようかなと思っていた時に一郎が首を突っ込んで来たからね。まあ、近い内に調べておくよ。事の真相をね」
とても可愛らしくウインクする詐欺師に何故か全く可愛らしさを感じられない殺人鬼は、半眼でフロントガラスの向こうを見た。
道路は灰色だが、空は青かった。
「取り敢えず、他のメンバーにも会いたい」
岬大五郎に追加で取材をするのは少し後になるだろうと殺人鬼は考えていた。
今話を聞いても同じ内容の繰り返しになる確信があった。
岬大五郎が勝手に失敗して身勝手に纏った堅牢な心の殻を破るのは、とても面倒だと考えていた。
どうにもならなかったら監禁して拷問でもするかなと、殺人鬼は物騒な言葉を漏らした。
詐欺師はそれはそれで面白そうだねと本心から同意した。
今日は残酷荘に帰って、ゆっくり寝よう。
眩暈のしそうな爽やかな日差しを浴びて殺人鬼は目を細めてそう思った。