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三日目 前

 寝惚け眼の殺人鬼は車窓から景色を眺めた。


 運転手は詐欺師だが車は軽自動車では無い。

 優れた居住空間と高い馬力を備えた高級車である。

 これは詐欺師の車ではあるが、坂下円花専用の車であり、見た目は重要と言う信条を持つ詐欺師の仕事道具の一つでもある。


 今日の詐欺師の装いはウィッグと化粧によって美女と表現するのに相応しい仕上がりであった。

 詐欺師が美形なのは事実なので騙しても偽ってもいない自然な姿とも言えるのだが、殺人鬼はそれらが偽りだと言う感覚を払拭出来ずにいる。

 服装はレディーススーツをシャープに着こなしていていかにも有能な女性と言った印象だ。

 これもまた有能であるのは事実なので妥当な印象と言えるのだが、殺人鬼はこれにもまた違和感を抱いている。


 違和感の根源は詐欺師の性別が判然としないと言う一点に集約される。

 男にしか見えない装いも知っている殺人鬼としては、奇妙な違和感が拭い去れないのだ。


 一方の殺人鬼もまた、詐欺師がコーディネートしたスーツその他によって知的な男に見える。

 ダークグレーのスーツとネクタイに合わせるシャツは薄い水色。無精髭は綺麗に剃られている。


 服を着ているのは殺人鬼だが、着せたのは詐欺師である。

 少し地味な服装だなと詐欺師にネクタイを締められながら感想を投げると、身内が死んだばかりの相手にはこの位が好印象だと窘められた。


 殺人鬼は何の事か理解出来なかったが、それを顔から読み取った詐欺師は魚岩省吾だよと補足した。


 今日から会おうとしている者は魚岩省吾の無実を信じているのだと、殺人鬼はその会話を通してようやく思い出した。

 そんな事を思い出してしまい、殺人鬼はまた少し憂鬱になるのだ。


 理解出来ない人間を相手にしなければならないと言うその事実に、憂鬱になるのだ。


 とは言え殺人鬼は魚岩省吾の事を知りたいと思っている。

 その方法として本人を尋問なり拷問なりする事が不可能な今、岬大五郎は貴重な情報源なのでもある。


「そう言えば」


 岬大五郎との邂逅をうんざりとシミュレートしながら、殺人鬼は運転席の詐欺師に言葉を投げた。


「岬大五郎とお前は、坂下円花ってのはどんな関係なんだ?」


 詐欺師と鴨だと言う事は分かる。

 だが岬大五郎側からはどう認識されているかは見当も付かない。

 殺人鬼の問い掛けに詐欺師は完璧に整えられた眉を僅かに眉間に寄せた。


「んん? 名目上は魚岩省吾の後援団体の相談役だけど一言で言うなら仲介屋ね。彼等が必要としている物や人を紹介して仲介料を取る訳」

 本物を紹介した際には水増し請求し、時には安価な偽物を紹介して丸儲けするのよと、詐欺師は楽しそうに言った。


「今回もその一環で紹介させて貰うから安心して」


 何を安心するのかと殺人鬼が呟くと、詐欺師は第一印象だよと言って笑った。

 それは上品でありながらとても妖艶な笑い声だった。

 殺人鬼はそこに昨日との差を感じて、そこが坂下円花っぽさなのだろうと思った。

 恐らく知的な印象を強くしたいのだろうと、服装を見れば思い至る事に今更思い至った。


「ああ、そうだ。スーツの内ポケットに名刺と名刺入れを入れておいたよ」


 そう言われて殺人鬼が内ポケットを確認すると黒革の名刺入れが入っていた。


 服を着せられた時かと、ネクタイを締める際に妙に密着して来た詐欺師の行動に今更納得した。

 名刺は殺人鬼が一昨日契約した携帯電話の番号も印刷されており、その肩書きはフリーライターとなっていた。

 一晩でよくこんな物を用意出来たなと殺人鬼が嘆息すると、詐欺師の嗜みだよと詐欺師は自慢した。


 その後車中で軽い打ち合わせをしながら車を走らせる事一時間。

 殺人鬼と詐欺師は目的の場所に到着した。


「ホテル?」


 車から降りた殺人鬼は間抜けな声を漏らした。

 ホテルはホテルでも頭に高級と付きそうな敷居の高いホテルだった。

 ベルスタッフに車のキーを手渡した詐欺師は全て印象の為だよと囁いた。


「ちゃんとした場所を準備できる人間はちゃんとした人間になるのさ」


 お前は詐欺師だろうと殺人鬼がそんな事を表情で表現すると、詐欺師はこれが詐欺師の嗜みだよとでも言うかの様に笑った。


「岬さんはもうお待ちだそうだから、気を引き締めてね」


 微笑む詐欺師が殺人鬼の腕を取り、エレベーターへの中へと誘った。

 殺人鬼が視線を落とすと詐欺師のつむじがそこにあった。


「身長こんなに低かったか?」


 甘ったるい香水の香りに辟易しながら殺人鬼はそんな事を問うた。

 詐欺師は女に身長を聞くなんて失礼な殿方ねと笑った。


 身長を聞くのが失礼だなんて聞いたことが無いと言うべきか、お前は女なのかと言うべきか。


 殺人鬼が口にする台詞を迷っている間にエレベーターは目的の階に到着した。

 詐欺師がすいっと殺人鬼から離れて距離を取ると、その顔から茶目っ気が消えていた。


「最初に私から小三塚さんを紹介致しますので、お話はその後でお願いしますね」


 もう全部詐欺師一人で十分なんじゃないかなとそんな事を漠然と感じていた。


 既に背を向けていた詐欺師はそんな殺人鬼の悶々とした思いに気づく事も無く、優雅な足取りで目的の部屋の前へと歩いて行った。


 詐欺師が扉を数度ノックして中の人物に声を掛けると若干緊張した返事が返って来る。

 詐欺師は一度殺人鬼を振り返って優雅に微笑んでから扉を開けた。


 詐欺師の後を着いて室内に足を踏み入れた殺人鬼は、岬大五郎と対面した。

 第一印象は残酷荘より過ごし易そうだと、岬大五郎とは無関係な事だった。


「岬さん、この度は私の力不足で若い少年の自由を取り戻せず、本当に挫くたる思いです」


 これは誰だ。殺人鬼がそう思う程に坂下円花と詐欺師は別人だった。


「そんな、坂下先生は誰よりも魚岩君の為に動いて下さいました。死刑執行は、本当に残念ですが……」


 そう答える初老の男が岬大五郎なのだろうと、殺人鬼は詐欺師の肩越しにじっくりと観察を始めた。

 一言で言うならくたびれたおっさんだった。

 岬大五郎の服装や仕草は詐欺師の言う所の良い印象を形作るそれだったが、それを台無しにする程強い疲労と遣る瀬無さが全身から染み出していた。


 服装も、白くて黒い。


 喪服を着ているからでもあるが全体的に暗くて煤けているのだ。

 延々と続きそうな社交辞令の応酬を聞き流しつつ、殺人鬼は岬大五郎の目を凝視する。


 まだ、生きていると思った。


 殺人鬼は殺人衝動こそ失っていたが獲物を探す目は失っていない。

 心が死んでいたり擦り切れている人間を殺しても、それは楽しくない。

 殺人鬼が獲物を探す基準、殺すに足る人間を識別する基準は目である。

 生き生きとした眼光を放っていない人間は人間では無い。

 そしてその眼光が消える過程が大好きなのだ。


「……こちらが、フリーライターの小三塚一郎さんです。今回魚岩さんの無実を証明出来るかも知れない情報をお持ちの方でもあります」


 気が付くと岬大五郎の目は殺人鬼を見ていて、詐欺師は殺人鬼を岬大五郎に紹介していた。


「あ、小三塚です」


 殺人鬼はわたわたと名刺を取り出し、ぎこちなく岬大五郎へと渡した。


「岬大五郎です」


 対して岬大五郎の仕草はこなれた物であった。


 受け取った名刺を直ぐ仕舞うのか持ったままにしておくか。どちらが正しいマナーであったか。

 殺人鬼がそれを思い出そうとしたタイミングで詐欺師が座って話す事を提案した。

 高そうなソファーに腰掛けた殺人鬼は、岬大五郎が受け取った名刺をテーブルの上に置いたのを見てそれを真似した。


 張りつめた緊張感の中で詐欺師が最初に口を開いた。


「昨日お話した通り、小三塚さんは魚岩さんが無実である事を証明出来る、かも知れません」


 含みを持たせた詐欺師の言葉に、岬大五郎は期待と生気を滾らせた視線を殺人鬼へと向けた。

 殺人鬼はこのくたびれたおっさんが生きた目をしているのは自分が持つ情報に対する希望が理由だと理解した。

 全体の雰囲気は死んでいるそれなのにも関わらず、その眼光だけは妙に生々しい。


「小三塚さんの持っている情報の全てを明かす事はできません。情報源に対する守秘義務があるからです」


 詐欺師は餌を前にしてぶんぶんと尻尾を振る犬を宥める様に、落ち着いた声で岬大五郎の手綱を握っている。

 そして、岬大五郎に向けていたその視線を殺人鬼へと向ける。


 食べて良し。


 そんな言葉が聞こえた気がした。

 俺は犬か。殺人鬼はそんな視線を詐欺師へと返した。

 岬大五郎はそんな殺人鬼をじっと見つめていた。


 待て。きっとそんな幻聴を聞いているのだろうと、殺人鬼は少しだけ岬大五郎を哀れに思った。

 気を取り直して軽く咳払いをしてから、殺人鬼が口を開く。


「自分があの事件の真犯人だと、そう言っている人物がいます」


 それは自分ですけどねと殺人鬼は心の中で言い加えた。

 まだたった一言話しただけなのにも関わらず岬大五郎の眼光が鋭利になった。

 薄い紙なら穴を開けられそうだなと、殺人鬼はその眼光に居心地の悪さを感じた。


「しかし、証拠はありません。現状では裏付けが取れていないのです」


 押し黙った殺人鬼の言葉を継いだのは詐欺師だった。

 殺人鬼が詐欺師に視線を向けると詐欺師は見てられないと横顔で答えた。


「非常に残念ながら、事件は終わってしまっているのです。魚岩さんの有罪は確定してしまっているのです」


 咎が確定している。

 その部分で殺人鬼の心が深く抉られた。


「小三塚さんが行っている取材も、本来なら事件を回想する取材なのです」


 すらすらと言葉を繋げる詐欺師を見て、本当にこいつ一人で十分なのではないかと殺人鬼の感じる居心地の悪さは増大した。


「自称真犯人の情報もそれだけで三流記事にはなるでしょう。けれども、曖昧なままの情報を記事にしても魚岩さんの無実は証明されませんし、小三塚さんはその様な半端な仕事を望んではいません」


 上手い事話を持って行くなあと、どこか他人事である殺人鬼だけがこの場において真剣味に欠いている。


「私は……!」


 岬大五郎が勢い良く立ち上がった。

 詐欺師が視線でそれを落ち着かせて、岬大五郎は再び腰を下ろした。


「……私は、何をすれば?」


 数度深呼吸をして落ち着いた岬大五郎は縋る様な視線を殺人鬼へと向けた。

 詐欺師の視線もまた、殺人鬼へと向けられていた。


 少しは働け。

 そんな言葉を聞いた気がした。


「……僕は、魚岩少年について知りたいと思っています」


 殺人鬼は慎重に言葉を選ぶ。

 詐欺師の仕事を間近で見て言葉選びは大事だと感じていた。

 殺人鬼が深く考えずに乱発出来る言葉は、凡そ全て相手の神経を逆撫でする挑発だけなのだから。


「真犯人の言葉に真実味を持たせるのに、魚岩少年の、生前の言葉や態度は、邪魔です」


 邪魔と言う単語は少し失敗だったかと殺人鬼は岬大五郎の顔色を窺った。

 結果的に良く分からなかったが、怒っている感じはしなかったので大丈夫だと判断した。


「僕は、魚岩少年が、殺人を騙った理由を、知りたい」


 最早全て本心である。

 もういっそこの路線でいいのではないかと殺人鬼は開き直った。

 開き直れば口は回る。


「だから魚岩少年の過去を知りたい。考え方を知りたい。その為に身近な人から話を聞きたい。どんな話を聞きたいのかは僕にも分かりません。でも、聞ける話は全て聞きたい。何故なら、何故なら」


 殺人鬼は一旦口を閉じてその先に続く言葉を吟味した。

 さっきの邪魔が大丈夫ならこれも大丈夫だろうとそう思ってそのまま言葉にする


「魚岩少年がもう死んでいるからです」


 岬大五郎の顔が悲しげに歪んだ。


 それを見た殺人鬼は今の言葉選びは間違いだったか緊張した。


 痛い様な沈黙が流れた。


 殺人鬼は唾を飲み込もうとして、空気を呑み込んだ。


 喉も口もからからに渇ききっていた。


 嫌な汗が首筋に背筋にぬるりと線を引くのを感じた。


 掌はにちゃりと汗ばみ、頭皮が熱を持っていた。


「魚岩君が死んだ今」


 唐突に岬大五郎が口を開いた。


「……死んだ今」


 そう繰り返して目を伏せその顔を掌で覆った。


「彼の無実は、もう証明出来ないと、そう思っていました」


 声がくぐもり、震えていた。

 殺人鬼の視界の端では詐欺師が泣いていた。


 当然嘘泣きである。

 殺人鬼の緊張が少しほぐれた。


「私達に出来る事なら、何でもします」


 岬大五郎が顔を上げて手を下ろす。その目は真っ赤に充血していた。


「どうか、どうか真実を」


 明らかにして下さい。

 言葉の最後は声にならずに消えた。


「まずは、話を聞かせて下さい」


 岬大五郎の懇願には何も回答せずに殺人鬼は言葉を投げ付けた。


「魚岩少年に関して知っている全てを、全てのエピソードを、教えて下さい」


 ある種酷薄な殺人鬼の言葉は、岬大五郎にとっては頼もしい確約に聞こえた。

 噛み合っているようで乖離している二人の間に、詐欺師が横からボイスレコーダーを差し置いた。

 お前はどこぞの良妻かと言う殺人鬼の視線に、詐欺師は婿に貰ってやると横顔で答えた。


 殺人鬼の矜持を取り戻す取材が始まった。

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