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七日目或いは殺人鬼の復活

 鳥打帽。サスペンダー。煙草。

 詐欺師にとって標準的な探偵のアイテムはこの三つだ。


 厳密に言えば煙草は刻み煙草であるべきなのだが、それは現代日本において一般的な物品では無い為紙巻き煙草で代用している。

 詐欺師の顔は精悍な壮年男性のそれに造り替えられていた。

 詐欺師はその顔の仕上がりをサイドミラーに映して確認すると、不敵な笑みを浮かべて小三塚の待つ部屋へと歩き始めた。


 その日詐欺師は小三塚の部屋を盗聴していなかったが、電話口で四宮と言う偽名について尋ねられた瞬間に全ての支度が整った事を確信した。

 今回の一件、開耶勇気の依頼に関する一連の事柄はいよいよ大詰めを迎えている。


 否、本来であれば小三塚と話す事で完結する予定であったのだが、岬美咲が余分な事をしたせいで少しばかり順番が狂っている。

 開耶勇気との最終交渉は問題が無いとして、岬美咲に関しては無視できない程厄介であると言うのが詐欺師の所感だ。

 だが今はその事は些事でしかない。

 詐欺師は少し緊張した面持ちを面の皮の下へと押し込んで、鉄製の扉をノックした。

 室内で人の動く気配がして、ごりごりと音を立てて扉は開けられた。


「待たせたかな?」


 詐欺師は不敵な笑みを浮かべたままそう問うた。


「今は、四宮光か?」


 小三塚は妙にあっさりとした声でそう問い返した。


「いいや、今日は橋場悟、橋場探偵社の橋場悟だよ」


 詐欺師がそう言うと小三塚はどこか納得した様な息を吐いて、名探偵の登場かよと投げ遣りに言った。


「取り敢えずお邪魔するよ、殺人鬼殿」


 仰々しい態度で詐欺師がそう言うも、殺人鬼は特に感情を表さずに詐欺師を部屋へと誘った。


「名探偵の推理ショーの始まり?」


 万年床へどっかりと腰を下ろした詐欺師を見下ろしながら殺人鬼がそう問うと、詐欺師は笑って首を横に振った。


「生憎と本職は詐欺師なのでね」

 

 詐欺師の言葉に対してそれもそうかと呟いた殺人鬼は胡坐をかいた。

 その僅かな間に、背中から取り出された灰皿が詐欺師と殺人鬼の間に置かれていた。

 詐欺師は殺人鬼としての小三塚一郎と相対しているのにも関わらず泰然とした態度で、優雅に煙草を取り出してマッチで火を点けた。


 詐欺師の鼻と口から紫煙が天井へ向けて吐き出され、それはゆっくりと虚空に溶け込んで視認出来なくなった。

 殺人鬼はその様子を黙って見ていた。


 灰皿がどこから出て来たのかを聞きたくもあったのだが、詐欺師が携帯灰皿は喫煙者の嗜みだ等と言って茶化す事が分かり切っていたので敢えて沈黙していたのだ。

 その灰皿はどう考えても携帯に適さないであろう硝子製で、見るからに重量感のある人を殴り殺すのに適した灰皿であったが。


 煙草から灰皿へと二回灰が落とされた後に詐欺師は口を開いた。


「これは返しておくよ。葱背負った鴨様はこの手紙の一件が露見しない事を御望みでね、二度と人目に触れない様に処分してくれると助かる」


 そう言いながら殺人鬼には見覚えのある封筒が差し出される。

 正面から見ていてもいつどこか取り出されたのか分からないその封筒を受け取ると、表面の住所が若干間違っている事だけ確認して中身も見ずに三回破り灰皿へと捨てた。


 詐欺師は薄く笑ったままマッチに火を点けると灰皿へと投げ入れた。

 手紙に火が燃え移り静かにその色を黒く変えて行く。


「名探偵の推理は必要かい?」


 詐欺師がそう聞くと殺人鬼は素っ気無く必要ないと答えた。

 殺人鬼にとっての事実は自身が殺人鬼である事だけであり、それ以外の事実と称される事柄は蛇足でしかないのだ。


「殺人罪の所有権は誰の所だ?」


 替わりに殺人鬼は事実よりも重要な一点を問う。

 その問い掛けの裏に殺人鬼の思考を読み取った詐欺師は、ただ素っ気無く詐欺師にとって有益な結末を伝える。


 殺人罪は魚岩省吾の物であると、ただそれだけを伝える。


 それに対して殺人鬼は鼻で笑うだけだった。

 それが詐欺師にとって少しばかり予想外の反応だった為、詐欺師が一言良いのかとだけ確認すると殺人鬼は明確な嘲笑を含んだ声で答えた。


「また、作ればいい」


 ぞっとしない声でそう言い、ちらりと視線を灰皿へ落とす。

 灰が飛び散ると掃除が大変だなとそんな考えが殺人鬼の脳裏を過ぎった。

 そんな物騒な情動は殺人鬼の眼光を通じて詐欺師の双眸へと吸い込まれた。

 詐欺師は物騒な空気を纏う殺人鬼に対して楽しそうに曖昧な相槌を打つだけだった。


 二人は互いを見つめ合う。


 殺人鬼の両目はかつての輝きを取り戻していた。

 殺人鬼は長らく忘れていた感覚を思い出していた。

 それは魚岩省吾の逮捕からずっと忘れていた感覚、理由の無い殺人衝動だ。


 元々殺人鬼の殺人衝動に理由等無かったのだ。

 それを魚岩省吾に対して変な動機付けをした挙句達成出来ずに死なれてしまったが為に、殺人鬼はずっと殺人衝動を見失ってしまっていたのだ。


 意味等無い。

 目が合ったから殺す。目が合ったから見逃す。

 所詮殺人鬼の殺人衝動はその程度の条件付けしかないのだ。


 殺人鬼は極自然に詐欺師を殺す方法を探していた。

 殺人衝動の解消先として詐欺師は丁度良い存在だと殺人鬼は思った。

 知られている素性が全て紛い物である詐欺師は、適当に手と顔を潰して捨てるだけで死体処理を終えられる都合の良い存在だった。

 その一方で、殺すのに骨が折れそうな存在でもあると殺人鬼は確信していた。

 今も目の前で笑顔を崩さない詐欺師が、そう簡単に殺されてくれるとは思えなかった。

 取り敢えずは保留だなと、殺人鬼はそう思った。

 同時に、いずれいつかは、とも思っていた。


 そんな物騒な思考を知ってか知らずか、詐欺師は笑顔で殺人鬼に殺しを持ち掛ける。


「岬美咲ってさ、どう?」


 あちらもこちらもそちらも騙してそれでいてどこも騙された事に気付かせぬ詐欺師らしからぬ、乱暴な解決策。

 それに対して殺人鬼は気怠そうに返事を返す。


「問題は後始末だ」


 相手は誰だって良いのだ。殺してしまうのであれば誰だって同じなのだ。

 結局いつも問題はそこでは無い。

 殺し続けるには逮捕を避けなければいけない。

 過去の被害者は全員殺人鬼と接点が無いからこそ気軽に殺せたし、気軽に死体を遺棄出来た。

 接点がある人間を殺す等詐欺師の様な例外を除けば悪手でしかないと殺人鬼は考えていた。


「僕誤魔化すの得意なんだけどな?」


 詐欺師だし、と言って甘える様な上目使いの詐欺師と殺人鬼の視線が絡み合う。


 誰でもいいから殺したい。


 長い間人を殺していなかった殺人鬼は、そう思って――

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