5日目
詐欺師は僅かな睡眠の後目を覚ました。
深夜までディスプレイと睨めっこをして完成させた原稿が印刷されて机の上に置かれている。
その内容は魚岩省吾の生涯を克明に記した物であるが、連続殺人に関する記述は殆ど無い。代わりに高校生の時に死亡した登山部員に関する記述が大きな内容を占めている。
デジタル時計が十時半を表示している事を確認してから、詐欺師はおもむろに電話を掛ける。
電話は数コールで繋がり受話器の向こうから女の声が聞こえて来た。
電話がとある出版社へ繋がった事を伝えた事を確認して、詐欺師は四宮と名乗った。
続けて小三塚一郎の助手であると伝え、相手の返答を待たずに名賀編集長より依頼を受けていた件に関する原稿を持ち込む事を一方的に伝えると、相手の生返事を了承と見做して電話を切った。
受話器の向こうから漏れ出る焦りの声は聞かなかった事にする。
その焦りは名賀編集長が社外に居る事に起因していた。
「まあ、スケジュールは把握してるんだがね」
詐欺師は誰にともなくそう呟く。
名賀編集長が翌日の夜まで他府県へ出張している事は事前に把握していた。
その話は橋場悟が名賀との世間話をした事で得た情報である。
詐欺師は原稿を肩掛け鞄に収めると、思い出した様に顔を造り変える。
ごりごりと痛々しい音の後には詐欺師が一年振りに作った顔が完成していた。
詐欺師は部屋の片隅に一年放置されていた段ボールから古い名刺を引っ張り出すと、これもまた肩掛け鞄に収めてから服を着替え始めた。
鞄に収められた名刺には四宮光が架空の人材派遣会社に所属している事が記載されている。
家政婦にも似た秘書を派遣する会社の広告が裏側にカラー印刷されたその名刺は、手短に要件を済ます時用の物であった。
詐欺師は落ち着いた色のシャツの上から薄いカーディガンを引っ掻けて同系色の綿パンを穿く。
今回は先方に印象を残す必要は無いので努めて地味な格好を装う。
現在の外見と同様に地味なありふれた車種の軽自動車に乗り込んで、真っ直ぐに名賀の勤める出版社へと向かった。
この仕事もいよいよ大詰めだなと詐欺師は楽しそうに笑った。
車は法定速度で走り続け出版社付近のコインパーキングへと収容された。
車を降りた詐欺師はサイドミラーで化粧と髪型を確認して、背筋を伸ばして出版社の入っているビルへと歩き始める。
頭の中で交渉すべき内容と利益確保の最低条件を確認している内に、その足は出版社の中へと進んでいた。
某大手テレビ局系列の小さな出版社に受付嬢は存在しない。
詐欺師がバーカウンターの様な受付に立つと一人の女性が駆け寄ってきて要件を訪ねた。
詐欺師が名刺を差し出しながら小三塚の原稿を持って来た旨を淡々と伝えると、安っぽい仕切りの中へと通される。
会話は終始平和的に進められた。
そうなる様に名賀が不在の時を選び、尚且つ事前調整を行わせるために連絡を入れたのだから当たり前ではある。
全ての商談は名賀が遠隔地から指示した内容に沿って円滑に進められ、それは詐欺師の予想とは寸分の狂いも無かった。
「報酬の件ですが」
そう、商談は詐欺師の予想した内容とは寸分の狂いも無い。
「小三塚から経費に関してはそちら持ちであると伺っておりますが間違い御座いませんでしょうか?」
「ええ、編集長の名賀が原稿を読んだ上で掲載すると決定した場合、ですが」
しかしそれは名賀の予想した筋書きからは僅かに逸脱する筈である。
「承知しております。こちらが経費の明細になります」
詐欺師は白い封筒を差し出す。
対応する女性はその中身を検めて、微妙な表情をする。
明細に記載されていた金額は事前に名賀が許可した支払い上限に限り無く近い物だったからだ。
もちろんそれらの経費の大半は虚偽の記載である。
虚偽の記載であるが、一見して無駄も矛盾も無い。
それは詐欺師が橋場悟の名前で受けた事前調査を参考に作られており、言うなればその請求書は架空請求より二重請求に近い物だった。
「小三塚は最低限経費位保障して欲しいと申しておりました。そこには私共への報酬も含まれますので」
保険として逃げ道を提示しつつ追い込む詐欺師の言葉に、女性は更に微妙な表情をする。
請求された金額は二人分の人件費込みとしては破格なのである。
「……伝えておきます」
女性は明言を避けたが、詐欺師は満額で回答が来る事を確信していた。
名賀との金額交渉は橋場悟が経験済みであり、それ故に予想する事は容易い。
「報酬は現金書留で小三塚宛にお支払下さい。また、報酬の支払いが無い場合での紙面掲載や原稿の無断改変が確認された場合然るべき措置を取らせて頂きますので、念の為ですが、この事も御理解下さい」
言いながら、今話した内容を記した書類を差し置く。
詐欺師の利益は開耶勇気から確保可能であり小三塚は自分の為に取材をしているのだ。
掲載されなくても問題無いからこその強気の要求である。
名賀には原稿を諦めると言う手段が遺されているのだから、どうにも受け入れ難いと思えば原稿を諦めるだけなのだ。
「それと、取材者名は私の名前を使用すると言う事で小三塚契約しております。原稿に関する権利は全て当社が所持致しております事も併せてご了解下さい」
止めとばかりに偽造された契約書類のコピーを差し置く。
対応する女性の顔を様々な感情が通り過ぎて、最後には感心した顔でただただ詐欺師の要求に頷いた。
こうして商談は全て詐欺師の想定範囲内で行われた。
その後詐欺師は事務的な調整を一時間程行い、原稿を置いて出版社を後にした。
帰りの車の中で詐欺師は鼻歌を口ずさむ程度には上機嫌だった。
その午後は久し振りに予定を入れて無かったので、小三塚を引きずり回して食事と買い物を楽しむ積もりだった。
詐欺師の車は残酷荘へと向かっていた。
残酷荘付近の路上で停車した詐欺師は、鞄から小さな機械を取り出した。
それは小三塚の部屋にしかけた盗聴器の電波を拾う為の機械である。
周波数を合わせると、機械は低い鼾を受信した。
「……」
詐欺師は己の欲望や打算や小三塚の寝起きの悪さや性格やそれ以外の諸々を織り込んだ複雑な計算を行い、十二分に悩んで後ろ髪を引かれながら車を出した。
「まあ、また機会はあるだろう」
一郎は無職なのだからと若干失礼な台詞を呟いて、車は残酷荘から遠ざかって行った。
詐欺師が名残惜しそうにミラーで残酷荘を確認すると、大家と思しき人影が門の周囲を清掃していた。




